「日本刀考」の趣旨と内容


日 本 刀 サ イ ト の 趣 旨 と 内 容


  古代より、刀剣は部族の盛衰に係わる重要な武器でした。
 刀剣の持つ利刃が畏怖を生み、その裏返しが畏敬でした。刀剣は、単なる武器を超越した部族の信仰の対象にもなりました。
 部族にとってそれが如何に重要な存在であるかは、多くの神社にご神体として刀剣が祀られていることからも明らかです。
 刀剣が持つ畏怖・畏敬、霊威・武威の多面性は、全て武器の本質から生まれたものです。
 以来、刀剣は国造りを支え、単なる武器に止まらず、心と魂とに係わる民族の精神性の醸成と一体を成してきました。

 反りを持つ太刀が出現してからも、日本刀は1,000年の歴史を重ねてきました。

 武士の時代が終わり、明治の廃刀令によって日本刀は廃絶の憂き目に遭いますが、再び、軍用日本刀として蘇生しました。
 この軍用日本刀は、日本刀剣史の中でも、組織運用と量に於て、一大分野を形成しました。
 然し、日本の敗戦と共に、長い日本刀の歴史はついに終焉しました。軍用日本刀を最後に、永い日本刀史に幕が引かれました。

 戦後の占領政策によって、「美術刀」なるものが製作できることになりました。
 これは、誕生の経緯からみても、日本刀の本質を否定し、表面の形姿のみを真似た刀が主流を占めています。
 問題は、これを古来からの伝統的日本刀だと糊塗する風潮です。
 その上、新々刀に準拠した美術刀を根拠に、日本刀の一形態であった軍刀を徹底して圧殺するという暴挙を平然と行ってきました。
 戦後美術刀の観念で、大東亜戦争終結までに日本刀として存在した刀を批評するという大変な勘違いを犯し続けています。

 弊サイトは、謂うまでもなく、今更「武器」を造れと言っている訳ではありません。
 今の世で、日本刀を武器として使うことはありません。
 だからと云って、武器であった日本刀の根本を欠落させた美術刀を「伝統的日本刀」と喧伝するのは大きな間違いです。
 そうでなければ、古代から連綿と続いた日本刀は全て「装飾美術品」だったということになります。
 装飾美術品が伝統的日本刀の本質でしょうか ? 理解不能な風潮です。

 日本の刀剣界は刀剣鑑賞が主流を占めています。日本刀観は人各々ですから、この是非の議論は控えます。
 刀身地刃の美的要素は、日本刀の本質から派生した付帯的要素にしか過ぎません。
 鑑賞趣味の視点で日本刀を語るのは、日本刀の一側面しか捉えていないということです。
 その立場を明確に自覚すべきだと思います。
 歴史上の日本刀の本質や、定義にまで立ち入るのなら、日本刀を別の視点に立って見直す必要があるでしょう。
 若し、戦後の美術刀を「伝統的日本刀」と主張するのなら、例え武器として使われることがなくても、日本刀の根本である武器性
能を備えることが最低の条件でなくてはなりません。刀身美はその後の話しです。
 そうでなければ、日本刀の表面だけを真似た単なる「模造刀」にしか過ぎません。
 何故なら、武器性能は、日本刀の根源を成していた基本要素だからです。
 これを否定する地刃の鑑賞趣味人や、日本刀を美術骨董品と見ている人達に、日本刀の実質が語れるとは思えません。

 永山光幹研師の 日本刀が武器として出発し、発達してきたものであり、その結果として美術性を備えてきたことを考えると、
現代刀(美術刀)の原点も「美術品」ではなく「武器」に置かなくてはならないだろうと思う との提言は、日本刀本来の在り方を
(つ)いた卓見であると言わざるを得ません。
 「武器性能が原点」ということは、「今日的に日本刀を武器として造れ」ということを意味していないのは自明のことです。
 この理(ことわり)すらも理解出来ず、見当違いの反論をする美術刀関係者が居るやに聞いています。
 「日本刀は美術品であるが故に今日まで存続した」との主張も聞きますが、それは鑑賞趣味が昂じた独善的傲慢です。
 日本刀の派生的側面から日本刀概念を強引に改竄することは、日本刀の歴史と、日本刀そのものを冒涜することに他なりません。
 戦後の美術刀と、歴史上の日本刀は、その実質と精神的刀剣観に於て全く異質であることを明確に認識すべきと考えます。

 本サイトは、日本刀が日本刀であった時代の史実の日本刀の一端をご紹介するものです。
 日本刀を書画骨董と同様の美術品と見る日本刀観とは、全く次元の異なる立ち位置で日本刀を考察するものです。
 まやかしの日本刀の捉え方は訂正されねばなりません。そうした内容であることをご理解の上、ご訪問下さい。



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2013年12月17日掲載