軍刀抄(1) 村田刀0

村 田 刀

村田刀誕生の経緯 | 軍刀 | 軍刀について(軍刀抄目次) 

東京砲兵工廠

村 田 刀

 陸軍少将男爵・村田経芳は射撃の名手。有名な「村田銃」を開発した。
 その後、軍刀の改良を志し、東京砲兵工廠在庫のサーベル地金 (ドイツ・ゾーリンゲン社の刀剣鋼) で軍刀を自ら試作した。
 非常に良く切れた為、宮本包則、横山祐包等の指導を受け、スウェーデン鋼と和鋼比率を六対四で細切りし、これを1,500℃で溶
解。丸鍛錬して油焼き入れをした刀身を完成した。
 明治24年10月、工廠内での刃味試験で二本の刀身を使い豚の頭骨を見事に切断した。
 二本とも刀身に全く異常が無かったので、この結果に依り軍刀に採用された。
 安価で、尉官将校でも入手し易い為、日清・日露戦争で大いに使用され、錆に強く良く切れる実用軍刀であることが実証された。

 陸軍東京砲兵工廠にて製造。銘は「小銃兼正」と切り、その下に村田経芳の四字を篆書して、二字に合成した刻印を打った。
 裏に年号と製造番号が打たれる。この他自ら打った刀には「兼正」・「村田経芳」の銘が切られた。
 刃文が無い為に刀剣界の評価は得られなかった。                     (詳細は「刀剣の精神」村田経芳参照)



村田経芳が自ら鍛えた刀身







刀身長: 83.185cm、刃長: 66.357cm、茎長: 16.827cm、反り: 0.714p

 刀身は「小烏丸」造り。刃文はエッチングで描いたものと思われる。
 経芳は村田刀の開発に当たり「蜈蚣(むかで)切丸」と「小烏丸」の二つを強く意識した。




(Photograph offer:Mr.Frank Stand in U.S.A)


村田経芳が新作刀 (村田刀) の模範とした蜈蚣切丸


「集古十種」は原板を見易いように修正した

 藤原(俵藤太)秀郷が龍神から授かったと云われる伝説の名刀。身長二尺五寸五分、中心六寸八分。現、伊勢神宮の宝刀。
 村田少将はこの蜈蚣(むかで)切丸を新作刀(村田刀)の基本とした。                         「刀剣の精神」参照


秩父宮殿下の練習刀(裏打ち)




刃長: 66.7cm、反り: 1.6p


 



 ← 銘: 模軍刀術御練習用御太刀
   於東京砲兵工廠製作之


                       裏銘: 大正八年八月吉日 →
                          シリアルa@116
                        東京砲兵工廠標章刻印
            

 銘から推測して、大正天皇の第二皇子雍仁(やすひと)親王(後の秩父宮)が陸士にご
 入校された時、軍刀術の練習用に刀が献上されたとの推定が成り立つ。
 この刀はその太刀を写したか、或は、謂われのある刀は複数作刀するのを常と
 していたので、その中の一振りではあるまいか。
 そうだとすれば、雍仁親王の御太刀も東京砲兵工廠の作となる。
 刀姿は蜈蚣切丸そのもので、村田刀の原型である。
 この刀は焼き刃の状態から手作りの刀と推測される。
 村田少将の退役後であり、横山祐包、森岡政吉などの専属名工の手になるもの
 であろうか。村田刀の原型が確認出来る貴重な刀と言えよう。




(写真ご提供: 寺田憲司 様)



     


量産村田刀




刃長: 61.5p、反り: 0.9p 掻き通し樋付き中切先の刀身











 ← 銘: 小銃兼正

                    裏銘: 明治廿三(?)年十月 →
                       シリアルa@7-17
               

 茎はかなり朽ちていて、銘が読み取り辛い。
 更に、目釘穴の為、正確な年期が読み取れない。
 もし、廿三年が正しいとすれば、明治廿四年の軍採用前に造られた試作
 刀身又は量産試作刀身という事になる。
 村田経芳の篆書(てんしょ)を二文字に合成した刻印が見当たらない。






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