日本刀の考察  実戦刀 0

水戸の実戦刀     勝 村 徳 勝 (Katsumura Norikatsu)

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幕末水戸藩の豪刀・徳勝刀



水戸藩・勝村徳勝の刀身
銘: 於東部水府住勝村徳勝作之 裏銘: 慶応二丙寅(ひのえとら)九月日
(写真ご提供: さむらい商会 様)


幕末の水戸藩・常備刀の条件

幕末の動乱は、永い徳川泰平の世の眠りから日本刀を目覚めさせた。
武士の装飾刀と化していた日本刀が、本来の日本刀の原点である戦う武器であることを再認識させた。
有名な松代藩の荒試しが伝わるように、各藩ともに常備する日本刀の性能条件を定めて厳しい試験を実施していた。
その一つに、尊皇の気風が高い水戸藩があった。
水戸藩が設定した日本刀の合格条件は以下の通りとなっている。

一、棒試し(正眼に構えている刀の両側面を直径5cm位の樫の棒で思い切り叩く。棟も同様に叩く。刀は棟打ちに弱いので、造り込み
  や熱処理が下手だとここで折れてしまう。次に刃を斜めから叩き刃コボレやシナエ等が無いかを調べる)
二、巻き藁試し(青竹の巻藁を数回斬り、刄味の良否を調べる)
三、鹿角試し(数度実施。又、甲冑に使用される鉄板切り)。刀は刃肉を落せば薄くなり巻藁などは良く切れるが、堅い物を斬ると刃が
  欠ける。従って、二と三を満足させようとすると相反する条件を両立させる至難の業となる。
四、水試し(大樽に満杯に水を張り,その水面を刀の平で何十回も叩く。出来の悪い刀は数回で曲がるか折れ飛んでしまう)

これらの厳しい荒試しを通過した刀だけが、水戸藩の常備刀として採用された。

今迄、泰平の世の日本刀に慣れていた刀匠達にとって、かなり戸惑いがあったのではなかろうか。
然し、時代の要請により、各刀匠は実戦刀への挑戦を果敢に行った。
水戸藩の中で、実戦刀としての評価がひときわ高い勝村徳勝(かつむらのりかつ)とその一門がいる。
勝村徳勝は名を勝村彦六、水戸藩士の子として文化六年(1809)に水戸で生まれ、はじめ関口徳宗に学び「徳一」と銘を切った。
後に水戸藩工に推挙された安政四年(1857)に江戸小石川水戸藩邸(現在の後楽園)に居を構え、石堂運寿是一や細川正義の指導を受けた。
水戸家九代藩主、徳川齋昭(なりあきら)(水戸烈公)の鍛刀の相手を務めたことでも知られている。
彼の作刀は尊王攘夷の機運が高揚する水戸藩士の指料(さしりょう)として愛用され、井伊大老を桜田門外で襲撃した刀としても名高い。

今般、関市の日本刀関係で大御所的存在である尾上高熱工業の尾上卓生社長が勝村徳勝の切断刀身を解析された。

1

解 析 切 断 刀 身


銘: 水府住勝村徳勝作之  裏銘: 慶応三年八月日(1867年・大政奉還の年) 刃区より28p、茎24.2p残存、地肌: 柾目


       
                 
          茎(中心)押し形     茎銘部分                 刀身構造
                                  濃度の濃い部分=高炭素(硬鋼)、薄い部分=低炭素(軟鋼)
 
          解析者所見: 刃に柾目パターンが出るように複雑な鍛法と素材組合わせを示す。
                刃先はわずかに柔らかくする。低火で水焼入れ(低温焼入れ)。
                全般に下鍛え段階から鍛造板材?の組合わせで上鍛えは単純。

化学腐食液(ナイタールなど)を塗布して撮影された顕微鏡写真
色の濃い部分=高炭素領域、色の薄い部分=低炭素領域、中間調部分=中間炭素領域、黒い部分=非金属介在物
規則的に並ぶ丸い小さな黒点は硬度測定の為に当てたビッカース硬度計の打痕


           棟側断面             中央部断面            刃側断面

   50倍顕微鏡写真: 高倍率顕微鏡写真では写る面積が少ないので、小さい部分面積写真の貼り合わせで刀身断面を表現
      


 

 
                         焼刃部分の細部
分析者の見解

 100X(倍)
 焼刃組織内の中炭素素材
 中の炭化鉄分布
 MnS(硫化物)、シリカ成分
 の鍛伸状況から短時間加
 熱でここまで均質化は可
 能か ?

 200X





 50X
 低炭素域の粗大針状マル
 テンサイトと介在物
 菱形は硬度計の打痕跡
 500X
 洋鋼か
       ※筆者注: 強靱な刀を造る秘訣は低温で焼き、作業を短時間に終わらせることにあると言われている
            強靱な刀身構造についてはこちらも参照されたい


棟部の部分拡大

200X(倍)

解析者見解
高・低炭素部(硬・軟鋼)の鍛接
境界線での炭素遷移が認められ
ない。

筆者注
低温で短時間の熱処理作業が
影響していると思われる。
介在物
 

50X
 200X
介在物微細
ネット状パーライトと
鍛接用ロー剤 ? 
未変形のガラス質介在物
鍛伸効果見当たらず

500X
未変形





500X

低炭素鋼の粗大針状マルテンサイト

解 析 者 の 総 合 所 見

素材の鍛錬法と薄板の圧延方法は ? 積み沸し鍛錬でトランプ重ねの圧延方向と組合わせ、肌の期待と設計は ? 
高温での沸しづけは経過していない ?
焼入れに於いても高温短時間で処理されており、水冷である鉄(たたら鉄)での薄板は、甲・鎧の小札(こざね)で使われていたが、ただの重ね使用で鍛着した厚物は未見である。
パーライト層の微細さは「たたら鉄」では不可能に近い。
炭素の拡散(筆者注: 高・低炭素濃度相互間の炭素遷移)もごく僅かで層間の移動は殆ど認められず。今後の詳細調査・研究が必要。


筆者注:
今回、徳勝刀の刀身構造が明らかになった。
薄い硬・軟鋼の板を交互に鍛接し、一回折り返した分厚い複合材(一種の硬・軟鋼の練り材)を刀身側部(皮鉄部?)に配置しているところに大きな特色がある。
刀身中央の狭間には薄い心鉄らしきものが挟み込まれている。
中央配置の薄板は、炭素濃度分布から推測するに、やや硬めの鋼が使われていたようだ。
この造り込みを変形本三枚造りとする見解も出されたようだが、新々刀の一般的造り込みの方式に当てはめるには無理がある。
分析者は「柾目(まさめ)肌を出す為の複雑な鍛法と素材組合わせ」とコメントされたが、強靱な実戦刀を目指す徳勝が鍛え肌を出す為に刀を打ったとは考え難いのではなかろうか。
強靱性を求めて硬・軟鋼の組合わせを工夫した結果、表面地肌に柾目が偶然に表れたというのが実態ではなかろうか。
新刀以降、特に新々刀期の造り込みの大勢は皮・心鉄構造だったと思われるものの、強靱な刀を目指す刀匠は固定観念に囚われず、様々な独自の工夫を凝(こ)らしていた例と思われる。
柾目鍛えを好んでいたとされる徳川齋昭(なりあきら)の意にも適っていたようだ。
今回、鋼材の成分分析は行われなかった。
解析者は顕微鏡写真のパーライト層の観察から和鋼を使っていないと推測している。
使用鋼材も知りたいところではある。
徳勝は石堂運寿是一や細川正義の指導を受けていたので、石堂や細川たちの刀身構造もあるいはこうしたものに近似していたのではなかろうか。
この刀身構造に類似した例としては「斬鉄剣」として知られる小林康宏刀匠の刀身が存在する。

2

刀身表面のロックウェル硬度


  筆者注:
 刀身表面のHRC(ロックウェル)硬度が測定された。
 刃部のHS(ショア)硬度は、古刀・村正 = 57、満鉄刀 = 57、新々刀・水心子正秀 = 68位である。
 これをHRC硬度に変換すると、古刀 = 42.7、新々刀 ≒ 51となる。
 徳勝の表面硬度は、刃先から0.5ミリピッチで19〜21ヶ所測定された。刃部近辺が = 53.5〜43、中央部付近が = 26〜27、鎬(しのぎ)
 から棟部 = 34〜スケールオーバーを示す。
 刃部近辺が最も硬く水心子正秀刀より硬い。中央部は柔らかく、鎬地から棟にかけて硬くなっている。
 この刀身硬度の分布は、刃部と棟部に硬鋼を配置した関の孫六に近似した刀身と言うことが出来る。
 数百年の時空を超えて実戦刀を目指した結果の偶然の一致であろうか。
 この表面硬度の分布状況から見ても、新々刀の一般的な本三枚構造の刀身とは異なることが判る。

本解析資料は日本近代刀剣研究会の幹事である祖父江光紀氏が入手され、筆者に提供されたものである。


2019年3月31日より
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