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俵國一著「日本刀の科學的研究」 | 近重眞澄著「東洋錬金術」 | 足田輝雄講師の刀身断面木版画 |
※1 原画は左図のようにA4版和紙に四色木版刷りされている。 ここでは刀身断面組織を比較し易いように原画の断面組織部分 のみを抜き出して羅列した。 又、来國■と備前春光の木版刷り原画二葉が散逸している為に、 この刀身断面については「東洋錬金術」に掲載されている白黒 断面スケッチ図を援用した。 |
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※2 「東洋錬金術」誌では、備前春光の刀身構造をマクリ鍛えと説 明している。そうだと顕微鏡写真のような断面にはならない。 筆者は、大陸の刃物鋼として使われた「灌鋼」と同様な硬・軟 鋼を数回練り合わせたものか、或はズク卸しの不均質鋼の丸鍛 えと解釈する。 「東洋錬金術」誌は、日本刀の合わせ鍛えとして従来の新々刀 に基づく五種を説明し、これに丸鍛えを加えて各々の造り込み の種類を説明している。 |
刀 銘 | 「東洋錬金術」誌説明(白字) 足田講師の木版画説明(黄色字) |
筆 者 推 定 |
青江次忠 | 大火での焼け身。左側は焼き戻しでフェライト 結晶肥大。 皮金の一部が取り去られている。フェライトの 針状組織は火災に遭ったことを示している。 |
大火に遭って半面だけ焼けたという説に些か違和感あり 全身焼け身→外皮吸炭 ? 古青江の銘(即ち時代) は疑問。 |
将軍家佩刀 |
大阪城中で切断の伝説あり。 大阪城落城の際遺失せしねのと称せられる。 組織非常に密にして鍛えすぎの如し。 炭素量少く、美しき肌なれど実用的に非ず。 |
丸鍛え(一枚鍛え)。組織の粒状が極めて微細。 |
来國■ | マクリ鍛えらしい。 | 中央鍛接面左右の粒状、刃金の軟鋼部への食い込みから見て 単純なマクリとは思えない。銘の欠落で来の何代目か解らない。 |
相州正廣 |
組織の粒状が微細。 相州鎌倉流にて非常に良く鍛えたる組織もち、 焼刃は大きな乱れである。 |
不均質鋼本体と棟部軟鋼の合わせ鍛え |
関兼元 |
単純マクリ鍛え。 硬軟鋼合わせ鍛えて全体として硬質。棟(背部) にも所々焼入れあり。 |
何代目か不明。練り材本体と棟部に焼入硬鋼の合わせ鍛え。 |
備前春光 | マクリ鍛え。 |
硬・軟鋼のマクリ鍛えに異論あり。丸鍛え(練り材)と推量。 |
壽命 | マクリ鍛え。 比較的正確な組織をしているが、中央部の鉄が 軟らかすぎて実用的ではない。 |
何代か不明。マクリ又は甲伏鍛え。皮鉄の棟側への展延が少ない 刃の損傷による研ぎ減りなら、棟〜刃側の皮鉄が先に減る。 |
三品宗次 |
四方詰め。 短刀。装飾的。硬質鋼を用う。皮金は軟鋼を折り 返し鍛造したるもの。 |
両側面の皮鉄は軟鋼。従来説の四方詰めとは違う。 |
備前祐永 |
軟、中硬、硬鋼を組合わせた特殊マクリ。 中央の中硬鋼材に軟鋼の背金を溶接し、外側を 軟鋼で包んで鍛造している。しかし、背金部が 横にずれている。 |
硬・軟鋼の単純練り材。 |
藤島友重 |
構造説明無し。 皮金の片方が欠けている。刃部の焼入れも完全 ならず。 |
従来概念で説明がつかない為か ? 硬・軟鋼の単純合わせ。 |
眞龍子壽茂 |
マクリ鍛えの皮鉄を棟に曲げた。 軟鋼のまわりを硬鋼にて包みたるもの。 モリブデンの含有を精密検査したるも含まず。 |
明治維新直前の作刀。四方詰めか。 |
無銘 |
最も簡単なる作り方で、脇差しと称するもので ある。 |
硬鋼を軟鋼で挟んだものか。 |
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鍛錬したあとなく、焼入れもなし。 刃部には硬鋼を用いている。 |
両刃の短刀。一方のみ焼入れ有り。 |
屑鉄を集めて造りたるものの如し。 しかし、少量の刃金もあり、焼入れも されている。 |
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化学腐食断面写真 黒色=高炭素領域 白色=低炭素領域 灰色=中間炭素領域 黒点・線=非金属介在物 最高含炭量: 刃金 0.6%C 最低含炭量: 棟部 0.1%C |
←左は本試料の「吉包」 右は小倉陸軍造兵廠の委託で造られた 優秀刀工「F」のマクリ鍛え ←右は玉鋼と包丁鉄の均質鋼を合わせた新々刀 以降の一般的マクリ鍛え。 当時の写真、印刷技術が粗悪な為に不鮮明だが、 中央に鍛接面が確認される。 「吉包」の造り込みを新々刀と同一の概念で捉 えるには無理がある |
「吉包」の皮鉄の役割と芯鉄の複合材を考慮して、刀身の基
本を割刃鍛えと想定した。 即ち、芯金を刀身本体そのものと捉えた。 上図は三枚、又は甲伏鍛えに近似した例。 下図は割刃鍛えに皮鉄の組合せ。皮鉄は滲炭材を兼ねる 現代常識を超越する造り込みがあったことを想定した |
硬・軟鋼は約800℃位の鍛造温度で固体の状態のまま原子の 相互移動に依って鍛接される。 接合面では硬・軟鋼の両者の鉄(Fe)と炭素(C)が同時に拡散 する。 左図は身巾方向の炭素濃度の分布曲線で、当然の事ながら 鍛接境界に近い程硬鋼の脱炭量と軟鋼の吸炭量は多い。 炭素拡散の見かけ上の範囲(遷移の発生した距離)は9oに及 んでいる。日本刀の平均的重ねより長い距離である。 重ね方向(側面から側面)に関しては刃先から7o、8oの位 置のデータはあるが何れも刃金の範疇である。 刀身中央附近のデータは残念乍ら記載されていない。 側面皮鉄の厚みと軟鋼との遷移の相関々係に興味を惹かれ る。 ←左図曲線上下の○は二点の測定値 |
※ 南北朝期の古名刀に関する工藤治人博士の見解
この時代の備前のタタラの産物は銑鉄=白銑であった。(刀身地肌の)木目を見せる黒い筋は鉄滓である。 今日は精鋼を得る為に、ヒを初めに高く焼いて鉄滓を流動状にし、鎚で絞って鉄滓を除去するが、古名刀は此の鉄滓除去 をして居ないと思われる(鍛接剤として有用なウスタイト系ノロ)。 炭素の高い鋼は低温鍛錬が出来ぬので、左下場で出来たヒと、本場で卸(さ)げた包丁鉄(錬鉄)を合わせ、何れもの持って居 る鉄滓を逃がさぬ様、出来る丈低く焼いて鍛えたものと考えられる。 低い温度で叩いて傷の出来ないためには鋼の炭素の低い事を要するので、ヒの炭素を低くするために包丁鉄を交ぜ、鉄滓 をも増加して居るものと思う。 @ 初め高温に熱して除滓する(新刀以降の)和鋼独特の作業をしない事 A なるべく低温に焼く事 B 低温鍛錬を可能ならしむるため、打上げた時 C 0.45〜0.5になるように低炭素の素材を選ぶ事 C 心金を用いず丸ギタエにする事 D 折り返しは少なくする事 これは鎌倉・南北朝期の古名刀の地鉄に対する工藤博士の不動の考えだった。 ( )は筆者注 |
因みに、北田教授が調べた江戸期の日本刀では「刃金にチタンが含まれるが、芯金ではチタ ンが検出されないものがあり、三種の異なる原料が使われている刀もあった。 また、古代の直刀ではチタンが検出されない。 これらについては多くの試料を用いて引き続き検討しているが、本邦の砂鉄に由来する鋼以 外の輸入鋼が古くから使われていた可能性がある」とも述べている。 東京帝大の俵博士も、新刀の心鉄には銅成分の多い輸入鋼と見做される鉄が使われていること があると述べられている。 肥前、筑前は南蛮船の主な寄港地だった。本試料の筑前信國(吉包)一派、肥前忠吉一派は 南蛮鉄使用の流派として知られている。 鍋島藩は幕末まで南蛮密貿易を行っていた。 筑前・肥前の刀工流派に南蛮鉄が多く使われた理由が肯ける。 この「信國吉包」の鋼材は舶載鉄※2の可能性が極めて高い。 ※2 南蛮鉄・洋鉄考参照 ← 本試料とは別の南蛮鉄銘を持つ信國吉包の刀。 銘: 筑州住源信國吉包 裏銘: 以南蛮鉄作之 |
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