日本刀の考察 4

折 り 返 し 鍛 錬 と 強 度

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「鍛錬・鍛える」という言葉の過ち


日本刀は「折り返し鍛錬するから強靱になる」と言われ続けて来た。これは科学的には全く根拠がない。
原始製錬で生まれた塊鉄はそのままでは使えず、折り返し打撃して非金属介在物を絞り出すのが世界的な手法だった(手動精錬)。
欧米では" Forge (フォージ)"と言い、普通は塊鉄を加熱後、ハンマーなどで打撃して介在物を除去して成型することを意味する。
Forge は単に不純物を除去(一部炭素量の調整)する作業で、「鍛錬」又は「鍛える」という概念は一切無い。
折り返し鉄を叩く行為は、それで鉄が強くなるような内容ではないからである。(英和辞典: 鍛錬 = Forging. Forge)
「折り返し打撃作業」の意味を知らなかった日本では、この作業を「折り返し鍛錬」・「鍛える」と呼称するようになった。
これらの言葉を" Training "と英語に直訳したら、西欧の製錬・精錬の専門家達は「意味不明」として戸惑うはずである。
この日本独特の「当て字」が「鉄は鍛錬するから強くなる」という迷信の元になった。
そこで、日本刀の折り返し鍛錬と強度の関係を明らかにする。

折 り 返 し 鍛 錬 と 刀 身 強 度


陸軍受命刀匠の資格を得るには作刀々身の斬れ味と強度が一定の基準を満たすことが必要だった。
「受命刀」の強度試験には、シャルピー型墜撃試験機が使われた。下図の様に枕の間に刀身を横たえて上から約11.25sのオモリ
を落として刀身の折れ曲がりを検査する。支柱には高さの目盛りが印してある。
刀身が折れた場合のオモリの落下重量(s)を折れた部分の面積(cu)で割った値を「シャルピー衝撃値」として表示する。

ここで大変興味を惹く「衝撃値」データがある。日本刀とほぼ同じ条件で鍛造した鋼鉄片による試験成績は下記の通り。


福永酔剣著「日本刀大百科事典」より
      折 り 返 し 鍛 錬 の 回 数 衝撃値 備    考
@ 無鍛錬(素延べ) 2.42
A 一回折り返し(二つ折り、元の長さに鍛延) 4.88 衝撃値は飛躍的に向上(強靱)
B 二回折り返し     同上 5.07 強さの向上は微増しかしない
C 三回折り返し     同上 2.42 素延べの数値に戻り、以降は何度
折り返しても強靱性は変わらない

 日本刀の日本刀たる所以(ゆえん)は、折り返し鍛錬にあると耳に鮹が出来る程聞いた。
 この実験から、折り返し鍛錬は原始直接製鉄の宿命である鉄滓(非鉄不純物)・空孔の除去と炭素量の
 調整が目的と結論付けられる。(鉄滓・空孔の除去は鉄片の強度に影響するが、折り返し鍛打二回で目的達成)
 要は、鍛造鉄器に使える「鋼を造る」為の原始的手法にしか過ぎなかった。
 日本刀を造る条件と思った処から勘違いが生じた。然も、古代では万国共通の手法だった。

科学的考察

 国立歴史民俗博物館が、九代・法華三郎信房氏及びご子息の栄喜氏の協力を得て「折り返し鍛錬」の科学的考察をまとめた。

 
折り返し鍛錬の作業内容図

ここでは,炭素濃度の異なる二種類の原料として軟鉄とヒを使用し,各6回の折り返し鍛錬を実施した。
軟鉄としては,江戸時代後期(18世紀頃)に作られた門扉に使用されている肘金(ひじがね)から1.58kg 分を切り出して使用した。
炭素濃度は< 0.1 〜 0.2%程度である。
また、ヒとしては,江戸後期〜明治初期頃の砂鉄製錬で得られたもの2.10kgを使用した。
炭素濃度は0.7 〜 0.9% である。このヒは,空孔が数多く含まれており,またスラグなども残留しているので,加熱と鍛造を4回繰
り返し,叩き延ばして1回折り返して鍛接・整形したものを原料とした。

それぞれ2回,4回,6回折り返し後に生成物を切断して試料を採取し,鍛接面が見える方向でエポキシ樹脂(Strues EPOFIX)に埋め
込み,ダイヤモンドペーストで鏡面研磨し,1%ナイタールでエッチングして炭素蒸着を施したのちに,EPMA(日本電子製JXA-
8200)を用いて,二次電子像によって資料断面の金属組織観察を行った。
また介在物等の観察は反射電子像によって行い,各部の化学組成はエネルギー分散型X線検出器(EDS)によって分析した。


図13 原料のヒおよび各折り返し回数におけるスラグ由来介在物の変化

夾雑するスラグ粒や空孔の特に顕著なヒを原料とした場合の,原料と各折り返し回数での介在物の状況を比較してみた (図13)。
図13a は原料のヒの中にある介在物である。
図13b,13c,13d はそれぞれ2回,4回,6回の折り返し鍛錬後の資料にみられる,中に鉄チタン酸化物の鉱物が含まれていること
から原料にもともと存在していたと考えられる介在物(鉄製錬時のスラグに由来する)である。
これらによると,確かに折り返し鍛錬の当初には,原料に夾雑していた大きめのスラグ塊の除去や空孔の減少が起きているとみてよ
いが,その効果は二回までの折り返しまでにほぼ達成されており,あとは特に全体としてスラグ等に由来する非金属介在物の量は少
しておらず,そのような効果が顕著に認められるとはいえない。
ただし,原料で様々な大きさのスラグが含まれていたものが,折り返し回数が増えるにつれて小さく均一に分散していく様子は観察
された。
折り返し鍛錬が行われている鋼の中では,加熱時に炭素原子の移動は起こるため,全体としての炭素濃度の変化はそれほど困難では
なく生じる(脱炭が容易に進む)。
しかし,鋼組織の内部に存在している微細な非金属介在物(スラグ粒子など)は,たとえ折り返しのために鋼を叩き延ばしたとして
も,鋼中で自由に移動できるわけではないので,容易に表面まで出てくることはできず,この方法で除去することはきわめて困難で
あると推測される。
実際に刀剣の金属組織を分析してみると,それほど精巧な作りをしていない他の鉄製品に比べて,それぞれの非金属介在物がきわめ
て小さく,ただし多数が分散して存在していることがわかる。
これらのことから,スラグなどに由来する非金属介在物に対する折り返し鍛錬の効果は,その初期段階では肉眼で見える程度の大き
な介在物の除去が行われる場合があるものの,残留した介在物が鉄の鍛接を阻害しない程度に小さくなった段階に至ってからは,
それらを搾り出すことで除去するのではなく,むしろ微細化と均一な分散化を行っているのだと推測される。
                                            (2012年11月、研究報告第177集)

本実験は、物理的夾雑物や空孔を多く含む原始直接製錬で造られた粗鋼(玉鋼など)の折り返し鍛錬に対する変化を考察したものであ
る。原料に含まれる大きな夾雑物(非鉄金属、空孔など)はその原料塊又は原料片を明らかに脆弱にする。
本実験でも明らかなように折り返し鍛錬二回でその夾雑物はほぼ排除される。
残るのは極めて小さな夾雑物であって、折り返し鍛錬を重ねても、その排除は困難であり、又、原料塊又は原料片全体の靱性・強度
にほとんど影響を与えない。 
福永酔剣著「日本刀大百科事典」の上記衝撃試験と同じ結果を示した。
ただ、赤熱・折り返し鍛打すると、空気に触れて脱炭された表面が中に織り込まれ、結果として全体の脱炭が進む。
脱炭により鉄が軟化して鉄の性質に変化をもたらすが、これは元の鉄が折り返し鍛打で強靱になるという話しではない。
 
電気製錬炉、近代精錬でつくられた原料鉄には元々物理的夾雑物や空孔は存在しない。
こうした調整鋼であれば、炭素量の調整以外に折り返し鍛錬をする意味がないことを示している。
調整された良鋼を使えば、素延べ刀でも、粗鋼を使った鍛錬刀と同等以上の日本刀ができるということである
折り返し鍛錬が必要なのは粗鋼を原料に使う場合のみであって、日本刀を造る絶対条件ではない。 
村田刀、振武刀、群水刀 (各一枚鍛)、満鉄刀 (二枚鍛)等はその一つの例と云える。
軍刀について」の各刀身説明、「日本刀考」・「軍刀評価」の関連項目、及び下記群水刀試験を参照

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軍 の 日 本 刀 落 錘 試 験 を 見 る

日本刀学院生徒 金子相水

私は栗原(彦三郎)昭秀先生達が群水刀の機能を軍の造兵廠で試験するのに同行して落錘試験を見た。
刀剣鍛造上大変な知識を得たのでここにその状況を報告する。

昭和17年9月18日、栗原先生と群水(電化工業)の矢崎(専務取締役)様と東京王子の工廠に入った。
試験刀は群水刀二振り、栗原昭秀、幡野昭信、宮入昭平各先生の刀を私が携えた。
松岡中尉(試験官)の部屋に通され、松岡中尉の部屋には各地方刀匠が精鍛した数百振りの軍刀が山の如く積まれていた。
その過半というより殆どは栗原先生の門弟の物であった。栗原先生は次々に納入される(試験)刀や、自身で携えて来る受験刀に就い
てその刀匠の美点・長所を一々松岡中尉に話をして、試験の参考に供していた。
松岡中尉の部屋に積まれた納入刀の中から山下昭久、藤田昭吉先生他門弟の作品を手に取られ良く出来た作品だと我が子を慈しむお
姿だった。門弟や他の刀匠への愛情と思いやりが滲(にじ)み出ていて身にしみて底しれぬ暖かさを感じ た。
全国の刀匠が先生を慈父のように敬い親しむわけが良く解った。

午後一時から刃味試験と落錘試験が始まった。
切り台の上に巻き藁二束が載せてあり、傍に樫の木製の拍子木形をした枕に鉄板を載せたものが有った。
私は学校で巻き藁や鉄板を斬るのは毎日のように見ていて、先生や高弟の刀の切れ味は知っていたので平気でこれを見ていた。
松岡中尉は先ず先生の作刀を取って斬り台の正面に立たれ一礼して両脚を開き、下腹に力を入れて大上段に振りかぶって一声の掛声
と共に紫電一閃斬りさげて巻き藁二束を見事に斬り落とされた。
松岡中尉は刃味最上と叫ばれ、続いて再た一回試され前同然と言われた。

次ぎに幡野昭信先生の刀を2回試されこれも最上だった。
次ぎにいよいよ本日の受験の主たる目的の群水刀が取り上げられた。群水刀も、私は中山博道(剣聖と言われた)先生や吉原先生他の
方の試し斬りを度々拝見していたので平気だったが、矢崎(群水電化工業専務)様は初めてのご経験で危惧の念がお顔に見えた。
松岡中尉は前2回と同様巻き藁二束を見事に斬り落とされ、「刃味最上」と言われた。
続いて再た一回試され前回同様の評価だった。

次いで別の群水刀、長さ二尺四寸八分の心鉄を入れていない丸鍛えの長刀なので如何かと思ったが、他の刀と同様に「刃味最上」の
評価だった。
それから鉄板斬りに入った。学校では、もっと厚い鉄板を日頃試斬していたので安心して見ていた。
松岡中尉は第一に栗原先生の刀を取り上げ巻き藁斬りと同様の気迫と姿勢で大上段から斬り下ろし、鉄板は見事に両断され、余力は
樫の木に二分程も斬り込まれた。更にもう一回試されてこれも見事に両断された。松岡中尉は「満点」と呼ばれた。

次ぎに宮入先生の刀も満点だった。次いで群水刀の番になった。

群水刀の二刀中、一刀は心鉄をいれて折り返し鍛錬した物であったから私は安心していた。果たしてその刀は満点だった。
さてその次は丸鍛えの群水刀だった。
私は些か気になったが、先生は私に、この刀は古備前同様の鉄性で「包平」同然の刃味だと言われたものの、試しの結果は如何にと
思わず満身に力が入った。
栗原先生は、重要美術指定品の新羅三郎所持という伝家の宝刀「包平」在銘の逸品で、中山博道先生に一回、ご自身で二回、斉藤内
府、頭山(満)先生、徳富(蘇峰)先生、俵国一(東京帝大)先生、内田良平先生、平井千葉先生、本阿弥猛夫先生他各新聞記者、及び門
弟一同の前で試し斬りされた事がある。だから最上の刃味の時は常に「包平」同然と言われるのである。
包平同然か否かが今目の前で試されようとしているので私の緊張は当然だった。
松岡中尉は目にも留まらぬ早業で三回試斬された。「刃味最上」と呼ばれ、更に「良い刃味です。この通り少しの刃毀れも有りませ
ん」と言い足された。私は思わずほっとした。矢崎様のお顔に喜色の浮かんだのが見られました。

今度はいよいよ落錘試験だ。工場内の落錘試験場に移動した。
試験器は厚さ三寸位、巾一尺二寸位、長さ三尺位の鉄板中央両端に一尺の間隔で直径一寸位の二本の鉄柱が立ち、その柱と柱に挟ま
れて前後左右に動揺しない装置で目方12キロの鉄錘が吊られていた。鉄板台の上には富士山の形をした二個の鉄塊が4〜5寸の距離に
相対してあり、その上に刀を載せて落錘で刀の靱性と弾力とを試す仕掛けになっている。
試験の方法は、松岡中尉が記録係りで計尺器で曲がり方と刃切れとを記録。雇員の人が刀を台の上に載せてその中心の一端を持ち、
十本の物差で錘の高さを測り、落錘の綱を引く職工へ「ヨシッ」と合図して錘を落とさせる。落錘の高さは十本の物差を使い、
初めは一尺に足らぬものから、段々4〜5寸づつ長さを増して最後には四尺ほどの高さから落錘して試験するとの事だった。

第一に栗原先生の刀が試験された。栗原先生は自信充分であったが私達は不安だった。この刀は諸般の事情で俄作りの間に合わせに
作った刀であった。
私達弟子は別の良い刀をとお願いしたが、どうせ打ち曲げて役に立たなくするのだろうからこれで良いと言い渡された。
然し落錘試験の結果は極めて最上で下記のような好成績であった。
松岡中尉は試験中、「なかなか靱性が多い、弾力があってある程度まで曲がりが直る、初めて刃切れが出た」とかその都度申されて
いた。
第二番目は幡野先生の刀が試された。この刀も満点の好成績で、然も60度以上に曲げても折れず下記の通りの好成績だった。
第三番目は宮入先生の刀が試された。これも下記満点の最上の成績だった。
第四番目はいよいよ今日の試験で世に出るか出ないかと言う大切な運試しの刀(群水刀)であった。
然し、これも過去に諸大家の試験済みの刀だから先生は安心しておられたが、それでも一歩前に出て熱心にご覧になった。

第一回目の落錘で殆ど曲がらず、二回、三回と段々物差が長くなり、錘(おもり)が高くから強く落ちて来て、第九回か十回頃初めて刃
切れが出た。六回七回九回、十回となれば四尺近い高さから落とされ、錘の落力が強くなっても遂に折れず、他の鍛錬刀同然で、
結局下記々録のように名誉の成績を挙げた。
松岡中尉は、「今日の刀は珍しく四振りとも折れず大成績です。時には一回の落錘で折れる物があり、三回目には、折れる刀は大概
折れます。五回以上になると折れないものです」と長い間の多くの試験上の知識を教えてくれました。
傍で片唾(かたず)を飲んで大緊張の姿勢で試験を見ておられた矢崎(群水電化工業専務)様も初めて多年苦心の研究が酬いられたので大
変なお喜びに見えた。
部屋に帰ってからも松岡中尉は多年の経験の話しをされ、刃味を試す時に折れる刀が沢山ある。
これが皆折れた刀だと傍にある百本あまりの刀を示された。下記の記録は松岡中尉殿から拝借したものである。
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陸 軍 落 錘 試 験 成 績 表


刀匠名/落下高さ
15糎
25糎
35糎
45糎
55糎
65糎
75糎
85糎
95糎
100糎(p)
栗原 昭秀
0.25
0.49
0.85
1.30
1.69
刃切れ1
2.07
刃切れ1
2.59
刃切れ1
-
刃切れ1
3.39
4.17
宮入 昭平
0.16
0.24
0.44
0.89
刃切れ1
1.12
刃切れ1
1.54
刃切れ1
1.89
2.22
刃切れ1
2.66
3.04
幡野 昭信
0.30
0.59
1.00
1.40
2.00
刃切れ2
2.54
3.08
3.58
4.40
刃切れ3
4.68
群 水 刀
0.13
0.14
0.24
0.44
0.72
1.02
1.27
1.54
1.96
刃切れ1
2.16
刃切れ1

陸軍の刃味試験、墜撃(落錘)試験の模様が生々しく描写されている。
折れる刀は墜撃試験の前の刃味試験で既に相当数が折れているという状況は興味深い。
この試験のハイライトは群水鋼の一枚鍛えの刀の性能検査だった。
刃味試験は他の鍛錬刀と何ら遜色は無い。強度試験では四振り中で相対数値が低いように見えるが、試験基準は合格している。
群水刀の刃切れは、四振り中、最後まで発生しなかった。
素延べ刀は切れ味も悪く、ポキポキ折れるという刀剣界の根拠の無い迷信を払拭した。
詳しくは「群水刀」 の項を参照して下さい。
折り返し鍛錬の意味とは何か、今までとかく誤解されていた「鍛錬」の意味が明確になります。
調整された鋼が有れば、折り返し鍛錬が無意味である事が良く理解出来ると思います。

                     (資料ご提供:K.森田様 「日本刀及日本趣味」昭和17年10月号より現代漢字仮名遣いに変換して要約)


3

折 り 返 し 鍛 錬

も う 一 つ の 検 証


大正15年11月、著名な刀剣家、医師・佐藤富太郎は「日本刀の秘奥」(第一版)を名匠・堀井俊秀の校閲で刊行した。
佐藤富太郎自身も堀井家初代名匠・胤吉 (月山貞一・大慶直胤門人) から鍛刀の手ほどきを受けている。
その第一版の「序」に
古来から、刀剣に関する著書は指を折る遑(いとま)がなく、現代に至っても次々と雑誌や本として出版されている。
然し、その多くは、歴史と外観の考察に終始して、科学技術が進歩した今日に於いても、その範疇から一歩も出ていない。
刀剣その物の実質的内容に就いては、文化文政の昔、水心子正秀が僅かにこれを記述し、近世では、東京帝国大学教授工学博士・
俵國一氏が在りと雖(いえど)も、俵博士の研究は純専門学的で俗耳には入り難い。加えて完熟していない怨みがある。
従って、この分野では隔靴掻痒(かっかそうよう=もどかしい)の感があった。
日本刀の研究は、学問的にも貢献する多くの真理を持っている。その意義に於いて、水心子正秀の高弟、大慶直胤の正伝者・近江国
住堀井胤吉の三代目同苗の瑞泉俊秀氏は、刀剣界が廃絶するのを嘆いて、門外不出の家法と、加えて、現代科学の見地から、艱難
辛苦二十有余年の月日を費やして会得した鍛法の秘奥を公開して、これを後世に伝えんとする
と刊行の趣旨を述べている。

昭和8年11月の第二版の「序」では
大衆は、昔流の刀剣書に誤られ、未だ日本刀の真髄を掴み得ていないと警鐘を追加した。
当時の刀剣関係者が総てそうであったように、佐藤富太郎も新々刀の影響を色濃く受けているが、日本刀神話が蔓延し、情緒・感覚
でしか日本刀を捉えていなかった刀剣界の中で、日本刀の実質内容を科学的に解明しょうとした数少ない研究者だった。
                       ※ 明治の廃刀令で、軍に採用された刀匠以外は潰滅状態だった
                        注: 旧漢字カナ遣いの原文を現代漢字カナ遣いに変換して要約を記した。以下同様。( )は筆者注


4

鍛 錬 回 数 と 鋼 材 強 弱 の 関 係


佐藤富太郎は、「日本刀の秘奥」 (第二版) の中の鍛錬と強弱の項に、従来の折返し鍛錬の誤った認識を指摘している。

古より、日本刀を崇称するのに百練の鉄と言う。百練も鍛錬すると鉄は強くなるものだろうか ? 
これは前にも述べたように、有害なガス、夾雑物(非鉄金属介在物)の除去、そして鋼質の均質と緊密とにある。
これを理化学的に、結果から帰納的に考察すると、地金が精麗になり、純鉄化した一定の鍛接線が見られるだけである。
この純鉄化した鍛接面の古いもの(鍛錬前のもの)は漸次(ぜんじ)消失して新しいもののみが存在する。
これが鍛錬での総ての鋼の変化と収穫である。このように鍛錬に於ける鉄の変化は神秘的なものではない。

それでは、鉄はどの位強くなるのであろうか。これは非常に難しい問題で、数字を挙げての計算は困難である。
何故なら、地金が精良で、有害なガスも、鋼(鉄)滓も含まないものは、ただ単に鉄質が緊密になるだけで、殆ど強靱性の増加をもた
らさないのは想像以上のものがある。仮に、弾力性が向上したとしても、僅か三割に満たないものである。
ところが、これとは反対に、鉄質が不良なものは、最大二倍強も弾力性の増加をもたらす場合がある。

従って、鍛錬の効果は、昔の人が考えるような絶対的、神秘的なものではない。要するに、鉄質本来の性質の如何に依って、鍛錬が
非常に
効果あるものと、大して効果が無いものとがあると云うことに帰着するのである。

それでは、古来日本刀の地金として用いられた出羽・千種のような鋼は如何に強さが増加するかを精査してみた。
先ず、二〜三割の増加と見做すのが妥当なようである。
そこで、鍛錬の回数と強さの関係はどうかと云うことになる。
鍛錬の度数と強靱性は、昔の人が信じるように正比例するものではない。
そして、必ず一定の限界がある。 実験してみると、一鍛、二鍛と段々靱性の増加を来たし、十二〜三回に至って最高の強度を示
し、この強度は十七〜八回、或は廿回までは強度が保持されるが、廿回以上になると、強靱性は段々減弱して来る。
これが下図である。



尚厳密に数字で示すと、出羽・千種の刀材は、鍛錬に依り質量が半減した場合、即ち、一尺の直径の鋼が五寸になった場合が最高の
弾力率を示し、それ以下に鋼が減ると、反対に弾力率が低下する。

この理由を考察すると、鍛錬十二〜十三回より十七〜八回にて、有害ガスと夾雑物が完全に排除され、鉄質も緊密になるが、これ以
上折返し鍛錬を重ねると、今度は鉄繊維の弾力の限界を超えて鉄が延び過ぎることになり、却って弾力の減少を来たすものと想像さ
れる。

脱 炭 と 鍛 錬 数 と の 関 係

刀材を火中に投じると、硬鋼は脱炭し、軟鋼は吸炭する。これが自然の原理である。然し、この支配を受けないと仮定して、刀材は
何回位鍛錬が出来るものであろうか。
折返し鍛接された部分は鉄滓の還元に依って新しくなり、肉眼でも明瞭に見えるものである。この見える処が即ち純鉄の線である。
この純鉄の線が、仮に一毛の幅があるとすれば、一厘中には十線、一分中には百線、刀身の幅一寸中に千本の線が充満することにな
る。
刀の重ねを仮に三分とすれば、純鉄線は三百線となり、その側鉄は被鍛接層も無くなり全部純鉄の鍛接面で充満することになる。
三百や千と云うと一見大変膨大な数のように見えるが、これを乗数として換算すれば、2の8乗=256、2の9乗=512、2の10乗=1024とな
る。
従って、三百の鍛接面は、僅かに八〜九回の鍛錬、千の鍛接面は、僅かに十回の鍛錬で出来ることになる。
道理で、十二〜三回の鍛錬で刀材の硬度は半減し、廿回で刃は使用に耐えず、還元した純鉄線で刀身が充満されれば、刀が造れない
のは自明の理である。
この原則は如何なる名匠と雖(いえど)も、多少の差があっても超越することは出来ない。
若し、この軟鋼となったものを火中に投じれば、吸炭して硬くなるが、そうすれば、これ迄の鍛錬は全く無駄な作業となる。

鍛 錬 と 経 済 的 考 察

造刀上、人力の操作すべき鉄の重量は三百匁(もんめ)を定法とする。
折り返し鍛錬で損失する量は、最初の三回迄に1/4の80匁を失い、十二〜三回で約半分の鋼を失う。
廿四回の鍛錬では二百三十匁を失い、歩留りは二割となる。廿回の鍛錬に要する時間は約五時間であり用いる木炭は六貫入りの炭俵
が五俵である。(筆者注: 和鋼鍛錬の効率が如何に悪いかをよく表している)

再 び 鍛 錬 と 強 弱 に 就 い て

折り返し鍛錬は、有害ガス、異種鉱物、鹽(えん=塩)類及び夾雑物を取り去り、漸次鍛接面上の鉄滓を還元させ、純鉄線を織り込む作
業を云う。
故に、鍛錬を重ねるに従って脱炭し、鉄滓の還元能力も衰え、鉄繊維は適度に伸展され、鍛錬数廿回以上になると、強靱性は大いに
減衰し、加えて、残鋼は少くなり、刀材としては使い物にならない状態に陥る。
この原則は、如何なる名匠を墓場から呼び起こしても避けられない自然の法則である。

それなのに、世間の人は、日本刀が有する神秘的威霊を、この折り返し鍛錬のみを以て解決しょうとしている。
日本刀は決して折り返し鍛錬のみにて成るものではない。
殊に、出羽・千種のような良鋼を以てすれば、最高で二〜三割方の強靱性を増すに過ぎない
殊に刮目(かつもく)して留意すべきことは、同一鋼を如何に鍛錬しても、その最良の時期を以てしても二〜三割以上の靱性の増加はない。
そうだとすれば、我が日本刀の万国無比の所以は何に由来するか。
それは唯単に、同一鋼を鍛錬したものでは無く、硬・軟の組織より形成された為である。
この硬・軟の組織は、日本刀の部分的なことを云うのではなく、総対的なことを云う。これを実験上の数字で表すと

( 2側鉄 + 1心鉄) ÷ 3 = 0.55〜0.4

の含有量のものが最良の靱性を示す。
0.55以上の物は硬すぎて折れやすく、0.4以下は柔らか過ぎて曲がり易い。次の図は、この実験を示す。
同一鋼を鍛錬したものは「アイゾット」衝撃機上で、10呎(フィート)封度(ポンド)の力で完全に離断したのに対し、軟鋼の組織から
なる刀材は24呎封度の力に対して頑として抵抗している様子を表わしたものである。



古来、鍛錬に関する文献は沢山あるが、日本刀の威霊を鍛錬の数で説いている。
その著書を見ると、殆どが一知半解の道楽者が、支那流の百練鉄の形容詞を実際と信じ、荒唐無稽な空想を逞(たくま)しくして記述して
いる。
甚だしいのは実験する者すらある。
幸いにして(大村)加卜、水心子(正秀)のような刀匠の記述したものが有る。
然し、刀工は元来が神文血判して他言しない事を天地の神祗(じんぎ=天の神と地の祗=かみがみ)に宣言したものであるから、これ等の文
献すら真実を告げているとは限らない。信用出来るものではない。
従って、永年に亘り、世人を誤らせた一般の多くの刀剣書の如きは一顧だに値しない。

筆者注: 福永酔剣編と佐藤富太郎の「鍛錬と強度の関係」表示が異なる。
これは、試験した鋼質の違いと、異なる強度試験機の強度表示の取り方が違う為である。
折り返し鍛錬は基本的に鋼の強靱性と関係ない。鋼質に依って靱性の向上がある場合でも、その効果は微々たるものである。
これは「鋼の層が増える」から強靱になるのではなく、炭素量の減少に伴う鋼の「軟化」が要因である。
然も靱性の向上率は最大でも30%に過ぎない。鍛錬と強度は何等正比例しないという点に於て、両者の考察に基本的な矛盾は無い。
鍛錬しても変わらない鋼の典型例が群水鋼を初め、化学調整された各種特殊綱だった。群水鋼は電気炉で精錬された調整鋼である。
群水鋼では、折り返し鍛錬して心鉄を合わせた刀も、素延べの刀も性能は同等だった。

日本刀の特長とされる折り返し鍛錬と強度の妄想を止めなければならない。佐藤富太郎は、在来の刀剣書を唾棄すべきとしている。
現在に至るも、刀剣書等は、折り返し鍛錬と強度の迷信を流し続けている。迷信でなければ、明確な論拠を示すべきであろう。
論拠も無い情報を安易に垂れ流すのは止めるべきである。
まして、折り返し鍛錬を日本刀独自の手法と言ったり、「鍛錬・鍛える」という言葉を安易に使うのは如何かと思われる。
「鍛錬・鍛える」と言う呼称は、その語感から誤解を生んだ。せめて「鍛打」という言葉に切り替えるべきではないだろうか。


折り返し鍛錬というパラダイム


2013年8月24日より
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