日本刀の考察 1

日 本 刀 の 史 実 と 神 話

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日 本 刀 の 歴 史


 古代、大陸・朝鮮半島から鉄製品が渡来した。弥生後期の紀元1世紀頃、鉄素材が渡来して倭国(北部九州)で鍛冶が始まった。
 4〜7世紀、鍛冶工が組織的に渡来して、新たな製鉄技術と刃金技術が伝来した。
 紀元663年、倭軍は朝鮮半島・白村江(はくすきのえ)の戦いで敗北し、鉄の国産化を迫られた。
 国内各地に原始製鉄が勃興したとみられる※1
 鉄鉱石製鉄が筑前、吉備、近江地方で先行し、砂鉄製鉄は7世紀初頭頃に出現した。

 国産直刀の「剣」の時代を経て、関東以北で舞草刀が生まれ、奥羽戦争の経験から平安中期に湾曲した刀身の「太刀」が出現する。
 一時期途絶していた鉄の交易再開に依り、平安時代の箱型製鉄炉遺跡の数は、奈良時代の五分の一まで激減した
 平清盛の時代、対宋貿易が隆盛を極めた時代が永く続く。
 鎌倉時代の太刀黄金期を経て、室町時代の戦法変化で太刀は「打ち刀」に移行した。
 南北朝〜戦国期にかけて倭寇による私貿易がピークを迎え、膨大な物資が日本に持ち込まれた(日本刀の地鉄\ー文献史学参照)
 室町時代後期※2、千草・出羽(いづわ)の商業鋼が生まれる。同じ頃に南蛮鉄の輸入が始まった。
 慶長まで、鋼の製造は舶載ズクを砂鉄で脱炭する製鋼法が主流を占めていた。商業鋼の出現は零細たたらの滅亡に拍車をかけた。

 慶長の舶載鉄種の変更※3と零細たたらの衰退が古刀の終焉(しゅうえん)に繋がった。                 
 慶長(江戸開幕前)に入り、刀匠・堀川國広、南紀重國らがこの新鋼材を使い、心鉄を包み込む新たに工夫した刀を造った。
 この期を境に、地鉄の変化が刀質と作刀法の変革をもたらした。
 以降の刀は刀質(地鉄)が異なる為に新刀と呼ばれる。ここで古刀地鉄の製法の伝承が途絶えた。
 鎖国政策に依り、江戸後期には舶載鉄の在庫が無くなり、国産鉄の必用に迫られて天秤鞴(てんびんふいご)を備えた永代たたらが出現
する。銑、鉄、鋼(玉鋼)の分別供給が始まり、新々刀の時代に入る。国産鉄が初めて鉄器類地鉄の主流となった※4

 明治以降、「太刀」と「刀」をまとめて「日本刀※5」と呼ぶようになった。

 慶長以前の古刀は、日本刀定義の上で極めて重要な鍵を握るが、地鉄と作刀法は依然多くの謎に包まれている。
 今に云う「古式鍛錬」とは、記述に残る新々刀の作刀法の一つで、現代刀はこれを継承した。
 これらは古刀の地鉄や刀身構造と異なる。
 刀剣界の日本刀認識は新々刀を論拠とし、これを伝統的日本刀とするが、時代と期間からしても妥当な認識とは言えない※6

       ※1 日本刀の地鉄参照 ※2 出現時期は慶長まで下がる可能性大(文献史学) ※3 日本刀の常識を問う下欄参照
       ※4 鉄の密貿易は幕末まで継続  ※5 幕末、既に頼山陽が使っていたが、一般化したのは明治以降  ※6 斬鉄参照
        穴澤義功論稿「考古学的に見た日本の製鉄遺跡の歴史

日 本 刀 と 地 鉄 の 歴 史



 日本人なら誰しもが知っている刀剣の歴史と、刀剣に密接した鋼材の動向を図示した。時代の長さはほぼ正確な相対比率で表した。
 敢えて図示してみると、古刀〜現代刀の各々の存在が、視覚を通じて何かを問いかけてくる様に思える。
 古刀及び古刀に繋がる古代刀の存在は極めて大きい。古備前などの古刀はある日忽然(こつぜん)と生まれた訳では無い。
 古代刀の進化の延長線上に古刀は生まれた。古代刀で既に鎬造りは完成していた(6世紀前半、埼玉県・将軍山古墳の大刀)
 刀剣界に『反りを持つ日本刀以前の刀は「上古刀」と言って考古学の範疇で日本刀とは言わない』という奇説がある。
 発掘に関与した学者の学問分野によって刀剣そのものの本質が変わる筈がない。
 古刀の謎を解明する為にも、古代刀は重要な鍵を握る。
 渡来した製鉄、鋳・鍛造技術を習得して日本人が造った古代刀は紛れもない日本刀である。もっと注視されるべきであろう。
(古代刀に関しては「異説・たたら製鉄と日本刀」 の項に順次掲載していきます)


古 刀  ( 太 刀 )

 
 古刀は慶長以前、600年の永い期間に亘って造られた刀。刀身性能と刀身美の頂点に君臨する日本刀と評価されている。
 然し、鋼材・作刀法は未だ謎に包まれた部分が多い。
 古代刀、古刀は舶載鉄、或は国産塊錬鉄、銑(ずく)、その中間物質が混沌とした素塊などを卸した地鉄を使っていたと推定される。
 刀身構造は丸(無垢)鍛えが多く、次いで割刃金、更に硬・軟鋼の合わせ鍛え、マクリや甲伏鍛えまで実に変化に富んでいた。
 刀工集団の地域特性、交易ルートに依る舶載鉄の違い、国内各地の地鉄の地域特性、時代に依る精錬手法の変化などが刀身構造・
地肌に豊かな変化をもたらしたものと見做(みな)される。
 大東亜戦争に於ける北支の前線で2,000本の軍刀修理を行った成瀬関次氏は「古刀は痩せ身(研ぎ減りした刀身)でも良く切れて戦
える。数打ちの無銘でも古刀は最も戦い良い」と評価した。
 地鉄、刀身構造も永い実戦の経験から練り上げられた刀身だったに違いない。(実戦刀譚参照)

新 刀 ( 刀 )



 新刀は慶長以降に造られた刀。
 供給地鉄の変化によって刀身折損の恐れを生じた為、軟鋼を心鉄とする「皮・心鉄構造」の刀身となった。
 心鉄の挿入は、物理的・化学的に鍛刀上後退した手法と言われる。(中世地鉄は銑鉄の項参照)
 江戸・泰平の世は実戦が無くなった為に刀の本質が薄らぎ、専ら刀身美に関心が集まった。刀身美だけを競う卑俗な刀が多く造ら
れた。
 刀が豪商達の投資の対象や愛玩物に成り下がり、刀の資産価値を高める為に虚飾に満ちた「名刀伝説」が創出され、増幅された。
 刀剣観が最も堕落したのは江戸期である。

 鎖国に依る舶載鉄の国内在庫が底を尽き、必要性から、宝暦以降(1763〜)、量産たたら製鉄が生まれ、硬い鋼(玉鋼)が出現した。
 この頃、古刀への回帰を唱えて「新々刀」が現れた。
 この硬い玉鋼を使う新々刀の地肌は新刀より更に無機質で単調になり、武器性能にも疑問符が付く。(孤高の刀匠小林康宏 参照)
                                          
 現代の日本刀剣界は新々刀に鋼材と作刀法の基準を置いているが、新刀以降の刀は古刀に遠く及ばない。
 その理由の一つに地鉄の違いが指摘されている。「鉄と人は時代が下がるとともに悪くなる」というのが日本刀の現実だった。


〜 舶 載 鉄 を 使 っ た 日 本 刀 〜


刀 (新刀: 以南蛮鉄於駿州越前康継)重要刀剣

 鍛冶は舶載鉄で始まった。国内製鉄の開始で全てが国産鉄になった訳ではない。
 法隆寺の年代別鉄釘や鎹(かすがい)、平安時代〜室町末期の鉄器・鉄刀類、鋼精錬遺跡の分析は圧倒的に舶載鉄を示している。
 室町時代に明との朝貢貿易で支那鉄を輸入した。南北朝〜戦国期の倭寇は多くの鉄を日本に持ち込んだ(「中世の鉄事情」参照)
 室町後期に国産商業鋼が出現して以降も、戦国期の鉄需要の増加で南蛮鉄の輸入が続いた。
 鉄砲や全ゆる鉄器具に使われたが、舶載鉄は当然日本刀地鉄の主流として使われ続けていた※1
 南蛮鉄では有名刀匠に将軍家御用鍛冶初代康継がいる。 「葵紋・以南蛮鉄於武州江戸越前康継」は重文指定。
 南蛮鉄の輸入は90年間も続き、多くの新刀に使用された。
 和鋼だけでは地肌が単調になる為、関伝には南蛮鉄を混用する流派もある。

 幕末、古刀復活を唱えた新々刀の中にも南蛮鉄銘切り(元治元年甲子仲秋以南蛮鉄之)の刀がある。
 幕末の安政には洋式製練も始まった。
 新々刀最後の刀匠宮本包則(帝室技芸員)、横山祐包、羽山円真(羽山精錬会)などが洋鉄の日本刀を鍛えた。
 和鋼を絶対視する刀剣界はこれらの史実を無視し、洋鋼の鍛接性や不純物の難点のみを指摘してきた。
 これは偏見に満ちている。
 古来より、日本人は異文化を融合し独自の文化に昇華させる技に長けた民族である。文化・技術の伝来とその後の過程をみれば、
(ひと)り刀剣のみが例外であったとは思えない。刀剣界には客観的な姿勢が求められる。(南蛮鉄・洋鉄考参照)    

 刀剣は、刀匠が持てる能力の限りを尽くして造られる「手工芸品」であって規格化された「製品」では無い。
 然も、古の作刀は「一子相伝の秘技」であり、普遍の作刀法や基準などは元々あり得る筈がなかった。
 日本刀という名称で統一される共通の質、若しくは水準といえるものは無い・・・これが「個別手作り」の日本刀の実像である。
 懼(おそ)れずに言えば、明治になって「大和魂の象徴たる日本刀は和鉄でなければならない」と云う国粋思想に傾斜した人達の思い
込みと願望がやがて妄想となり、戦後はそれに利権が絡んで現在の「日本刀 = 玉鋼・折り返し鍛錬」の日本刀神話になった。
 新々刀を基にしたとは云え、戦後、占領政策に基づく日本刀を保存する為の歪んだ口実がこれに更なる拍車をかけた。
 本来、多様だった「造刀手段」の中から、近世の玉鋼と心鉄構造のみが独り歩きを始めて日本刀の実像を完全に歪めてしまった。

 古刀は塊錬鉄又は銑鉄卸しと推定されるが、舶載鉄が恒常的に使われていた※2
 日本刀たる所以は、断じて特定の鋼材や構造にあるのではない。それは「民族の資質・感性・英知」の内から生まれたものである。
 鋼材や構造が絶対条件なら、それを真似ればどこの国でも同じ刀が造れる筈である。
 然し現実には不可能であろう。それはひとえに民族性の相違に起因するからである。
 我が祖先達はどのような鋼材を使おうとも、日本刀という美しい武器を生み出して来た。
 特定の鋼材や作刀法を絶対視するのは、とりもなおさず民族の資質を疎(うと)んじている事に他ならない。

 日本刀を時間軸で見ると、鋼材、作刀法は明らかに変化しており、その延長線上で先駆的刀匠達が洋鉄の日本刀を鍛えていた。
 時間を止め、幕末の鋼材と作刀法を全ての論拠※3にし、その条件に合わない日本刀を一切否定する風潮は、祖先達の実跡の否定
であり、日本民族の資質と適応力の否定である。
 鋼材はあくまで手段であって目的では無い。
 そうでなければ、舶載鉄を丸(無垢)鍛えした古名刀などを歴史から全て消し去ることになる。そうした暴挙は誰にも許されない。

 当事者でもない後世の人間が、地鉄や構造の願望を事実であるかのように妄想すると、このような許されざる結果を招く事になる。

           ※1 日本刀諸資料の検証 日本刀の地鉄各参照  ※2 末古刀の祐定は大陸の炒鋼だった=「日本刀の科学的研究」 参照
           
※3 鎖国の為に舶載鉄が無くなり和鋼を主に刀を造るようになった
2

日 本 刀 資 料 の 現 状


1.日本刀に関する資料は江戸期に記述された物が総てと言っても過言ではない。これ等の資料は刀姿、地肌・刃文(地刃)、刀匠・
  流派・歴史などの考察に終始している。地鉄や構造に関する日本刀の実質内容に係わる資料は皆無に等しい。
  造刀法は一子相伝の口伝とされ、その秘匿は厳しい掟だった。従って秘伝の漏洩を防ぐ為に伝書に残る事がなかった為であろ
  う。
  古刀期の地鉄は、ウスタイト系のノロ(鉄滓)を多く含んでいる為に、それが鍛接剤となって簡単に鍛造できることから、「秘
  伝」というものは存在しなかったという研究もある(「慶長期・地鉄の変化の要因」参照)
  
2.その造刀関係書なるものが僅かに散見されるが、誇張、法螺(ほら)、我田引水、売名目的等が多く、資料の信憑性には甚だ疑問が
  ある。鋼材と造刀法の根拠は僅かに水心子正秀(江戸末期・文化文政=1804-1829)の秘伝書※1と、新々刀最後の刀匠達の保持技
  能であった。明治以降の刀剣界はこれに基づいた「日本刀神話」を創作し、この情報のみを流布し続けてきた。
  日本刀の実態を顕していない。
  日本刀の実質では俵國一博士の研究(明治末〜大正)と、佐々木稔氏などの金属学的地鉄の分析が使用鋼材の実態を明らかにし
  た。
  一般の冶金学者の著述は日本刀を表層的に述べるのみで、古刀構造を四方詰めとして憚(はばか)らない冶金学者もかなりいる。
  玉鋼、心鉄構造の説明に終始する刀剣書は、それがあたかも古刀期からの日本刀であるかのように世間を惑わし続けている。

3.現在判っている「たたら製鉄※2」 は江戸・元禄4年(1691)に出現した永代タタラである。
  玉鋼とは宝暦末期からの量産鋼を指している。古代〜中世の「たたら製鉄」や天文の千種・出羽鋼すら実態は解っていない。
  旧来「砂鉄製錬」とされた考古学の遺跡は、最新の金属学・文献史学に依って「鋼の精錬遺跡」と大幅に覆された。
  古代より江戸の中期末まで、たたら製鉄は鉄交易の状況に左右される補完的な存在でしかなかった※3
  元禄の永代タタラに偏重した国産製鉄の説明は、タタラ製鉄の誇大妄想を招いた。
  タタラの宿命的な非生産性が語られることもない。
  古代より「たたら製鉄」が鉄供給の中核であったかのような認識は、国内鉄市場の実態を完全に見誤るものである。
  たたら製鉄の位置付けの抜本的な見直しは、日本刀地鉄の俗説を根底から覆すことになった※4

4.和鋼を強調する為に意図的に洋鋼を曲解している。刃物・刀剣研究家の岩崎航介氏に和鋼の意義を簡潔に述べた名言がある。
  これは鋼単体の本質を衝いているが、刀材としての適否を斟酌(しんしゃく)していない等、贔屓(ひいき)の引き倒しの感が否めない。
  刀剣が具備すべき機能を明確にした上で、時代毎に要求される使用鋼材の適否の評価をなすべきであろう。

5.日本刀の研究には最も重要な「武器」としての視点が完全に欠落している。
  武器は、戦闘方法・人員編成と密接し、大量生産と実用性が徹底して追求される。美的な遊びなど許されない。
  「最低の機能を満たし、より安く、より多く、より早く」が造刀の必須条件である。
  これこそが武器である日本刀の本道であった※5
  これらは「数打ち物」と軽蔑され、決して語られる事はない。物事の本質が解らない浅薄な見方は恥ずべきことである。
  現存する太刀・刀は由緒ある物か、戦闘に使われなかったものが残存した。日本刀は常に美術工芸品として鑑賞する立場から
  しか語られていない。刀身美は日本刀の本質から派生した付帯的側面にしか過ぎない。
  日本刀の文化を正しく語っている事にはならない。日本刀には倒錯した認識が余りにも多すぎるように思える。

    ※1 佐藤富太郎 (室蘭在住の医者): 堀井俊秀に師事、数少ない科学的日本刀の研究家。新々刀の概念に支配されているが、水心子正秀の
       秘伝書を懐疑的に厳しく批判している。かなり賛同出来るものがある  
※2 学術用語は「製錬」。「製錬」と「精錬」の意味とその
       違いは異説・たたら製鉄と日本刀参照
又、前後の文字により識別を容易にする為 「たたら」=「タタラ」=「鑪」と使い分けた
    ※3 
たたら製鉄の認識を問う 参照 ※4日本刀諸情報の検証」参照 ※5 美術刀剣界の日本刀認識の偏狭さは「刀都・関点描」の下欄参照

3

日 本 刀 神 話 の 創 作


 古刀の鋼材や造刀法は定かではない。古代より、舶載鉄は使い続けられていた。
 新々刀最後の刀匠・羽山円真、宮本包則、横山祐包なども洋鋼を鍛えた。
 それにも拘わらず、刀剣界は「玉鋼、折り返し鍛錬、皮・心鉄構造」と言う日本刀寓話(神話)を創り上げた。
 刀身性能と美の頂点は鎌倉〜南北朝期の太刀である。古名刀を頂点に→新刀→新々刀と日本刀は確実に退化して行った。
 日本刀1,000年の史実を無視し、古刀より退化した新々刀を論拠にした。然も、新々刀は必ずしも神話の条件を満たしていない。
 何とも皮肉な話である。この日本刀神話が如何に偏見に満ちているかは別記した。(最下段表示参照)

 何を根拠とし、何の目的でこのような神話を創り上げたのだろうか。
 明治廃刀令で、愛刀家達は無用の長物となった日本刀への惜念の情が根強く、これが反動となって彼等の民族的心情を刺激した。
 こうした心情を基に、愛刀家達は「神国日本」を叫ぶようになり、国体の象徴として日本刀を顕現するようになった。
 彼等は「万邦無比の日本刀」と高唱し、日本精神の象徴であると謳(うた)った。
 日本精神とは何かの具体的説明はなく、極めて抽象的な言葉の弄(もてあそ)びに終始していた。 
 彼等は、急速に西洋化する風潮への反動として国粋思想※1への傾斜を強め、神懸かりな日本刀礼讃を繰り広げ始めた。
 国粋の為に日本刀は和鋼でなければならず、鍛錬、心鉄構造、刃文なども西洋剣との差別※2を際立てる為に不可欠な条件だった。
 たたら製鉄は、製鉄技術の観点からみると極めて原始的(稚拙)な製鉄法である。
 稚拙な製鉄法すら恰(あたか)も意図した如く、万邦無比の優れた技術だと言い換えた。
 撤退を転進とした大本営発表と同じ思考である。
 渡来鉄・丸鍛えの古代刀は不都合だった。考古学の範疇との珍説で日本刀から除外した。
 支那鉄や南蛮鉄の古刀の事実を徹底して封印した。
 彼等には、渡来鉄が払底して和鋼を主にして造るようになった幕末の新々刀は救いだった。
 これを古刀からの伝統だと喧伝して日本刀の普遍的姿であるとの主張を展開した。
 近代、和鋼と同等以上の刀剣地鉄が科学的に製出されたが、これ等を決して認める事が出来なかった。
 軍が推進する洋鉄一枚鍛えの軍刀を徹底して酷評した。
 これらは検証に基づく評価ではなく、西洋剣と共通するとの思い込みから否定された。
 国粋を強調する為に、西洋に通じる造刀法を日本刀の条件から徹底して排除しなければならなかった。
 こうして、史実を無視した伝統技術の歪んだ純化にのめり込んで行った。
 史実の一部に過ぎない近世の玉鋼、折り返し鍛錬、心鉄構造の条件を絶対視する万邦無比の日本刀神話はこうして創り上げられた。
 折り返し鍛錬と強靱性の妄想、皮・心鉄構造の不折・不曲神話が喧伝された。
 これらには何の根拠も無く、実践検証の結果とも相違していた。これが理性を失った偏狭な「日本刀神話」の実態である。
 これ等の主張が、民族の資質と、我が祖先達の実跡とを否定する結果になるという矛盾にすら気が付いていなかった。

 又、的確な評価と判断には「敵を知り、己を知る」との孫氏の教えは公理である。この原則を忘れてしまった。  
 和鋼は稚拙な低温還元の「偶然の結果」として、炭素以外の固溶元素が少ない単純炭素鋼(鉄と炭素の二元)となった。
 洋鋼は不純物が多い粗悪鋼で、和鋼は世界に例をみない「清純な鋼」だと言い募(つの)った※3
 無節操な御用学者もこれを補完した。稚拙製錬の「偶然性」の認識は欠落していた。
 それでは「清純な鋼」とは何か ? 
 「清純」という定義を曖昧にしたまま、ここでも言葉の語感から「清純な鋼 = 最高の鋼」との妄想を勝手に膨らませた。
 刀剣界の大方の認識は、この単純炭素鋼(単に炭素鋼という)を指して多分に「清純な鋼」と言っているのであろう。
 それでは、この炭素鋼 = 清純な鋼が、刃物鋼として最高なのか ? 
 これに関しては、11世紀・宋代の官僚と、16世紀・明代の学者が実に面白いことを述べている※4(灌鋼の項参照)
 現代刃物工具の例を挙げると、炭素鋼は「並品 = 普通鋼材」ということである。
 切削性、耐摩耗性、耐熱性、強度などを向上させる為に、クロム(Cr)、タングステン(W)、モリブデン(Mo)、バナジウム(V)、チタン(Ti)などの元素の含有が必須となる。その為に、用途に応じた様々な高級合金鋼(三元以上の元素を含有した鋼)が生まれた。

 大きな間違いは、固溶元素の少なさ、炭素分布の均質性(折り返し鍛錬の結果)※5のみに着目した鋼単体の評価と、刀材(用途)として
の評価は全く別である※6と言う極めて単純な理屈を忘れていたことである。
 粘硬性を確保する硬・軟鋼の「練り」や「合わせ」は太古から世界的に行なわれていた。これすらも日本刀独特の特徴と賛美した。

 炭素鋼の日本刀は、明治以降の数次の実戦に於いて、粘硬性、錆、低温脆性など、武器としての欠点を露呈した。
 これらは 合金鋼で解決される事が解っていた。この観点で和鋼を見れば、刀材として理想的な良鋼ではなかった。
 評価というものは、時代毎の視点と使用目的に依って一転する。
 近代科学の時代になって、刀剣に求められる機能を合金鋼で実現出来るようになった。時代に依る当然の結果であった。
 これらが化学調整された特殊鋼と呼ばれる一連の軍用に使われた優れた刀剣鋼である。
 刀剣界は日本刀神話に取り憑(つ)かれ、鍛錬無用の優れた刀材の軍刀を素延べ刀と徹底的に罵倒した※6
 最早、宗教の世界であった。

 こうして明治以降、日本刀の本質や史実と乖離(かいり)した「日本刀神話」が一人歩きを初めて世の中に深く浸透して行った。
 日本刀は伝統文化の実態を超えて国粋の象徴に利用された。国粋思想の宣揚の為に「日本刀神話」は不可欠だった。
 刀剣界は昭和の民族主義の昂まりに呼応して、冷静な判断力を失った儘、こうした日本刀神話を更に増幅し流布し続けた。
 刀に疎い世間や愛刀家達は、いとも簡単にこれを信じた。
 この結果、神話が遍(あまね)く蔓延(まんえん)して日本刀の史実や本質と錯覚された。この神話の根深さは尋常なものではなかった。

 民族の伝統と誇りは否定されるものではない。然し、理性を失った偏狭な国粋思想は全ゆる判断を誤らせる。
 民族の誇りと国粋主義は同義ではない。
 国粋主義の結果として、「敵を知らず、己を知らなかった」祖国は過去に多大な血を流した。
 日本の戦後は、戦前・戦中の全否定から始まったが、日本刀神話に浸りきっていた刀剣界は何等体質を変える事はなかった。
 占領政策から生まれた美術刀の定義に日本刀神話を当て嵌(は)めた。美術日本刀の価値の増幅に国粋思想は適(かな)っていた。
 性能を重視した優れた軍刀身を日本刀から抹殺する必要があった。
 これら特殊刀身を否定するのに日本刀神話は誠に好都合だった。古来日本刀の実態を「創られた寓話」にすり替えた。
 こうして日本刀の史実は捻じ曲げられ、武器としての本質も否定された。
 永い日本刀の歴史は終戦と共に幕を閉じた。
 戦後、日本刀の本質から乖離した美術日本刀が生まれた。これは伝統的日本刀とは異質の刀であった。

   ※1 日本人及び国家体制の固有の特質を重んじる思想。本来は緩やかな思想であったが、日本の国体と日本人を唯一最高の存在と盲目的に思う
     あまり、伝統文化の闇雲な純化に走り、外国を蔑視して極端な排他主義に陥った。通常、国粋主義とはこのような偏狭な国粋主義を指す
   
※2 外国刀剣にも複合構造、地肌・刃文を持つものがある。日本独特ではない ※3 和鋼より清純な洋鋼もある ※4 灌鋼の項参照
   ※5 古刀期の地鉄は有用なノロを含む。天文以降の高温たたらのヒは炭素量のバラツキが大きく、不要元素は鉄に固溶する。決して「清純」とは
     言えない。折り返し鍛錬(手動精錬)で鋼は炭素分布が均質になるが、有用なノロまで失った。(慶長期・地金の変化 参照)

   ※6 素延べ刀参照
4

虚 構 の 蔓 延


 Webで「日本刀」を検索すると約200万件のサイトが開設されている。それらの実態はどのようなものであろうか。
 仙台育英学園の人文科学部門で優秀賞に選ばれた「時代による日本刀の変遷」という高校生の小論文の一部をご紹介する。

『・・・略・・・2.日本刀とは、日本国内で造られたもの全てが日本刀ではない。例えば古墳などから発掘される直刀や蕨手刀な
どは考古学の部類に入る。また世界大戦中に大量 生産されたトラックの板バネや満州鉄道のヒール(ママ)で 造られた無鍛錬の軍刀
も、日本刀の形状はしているが、日本刀とは呼ばないのである。なぜなら真の日本刀とは「折れず、曲がらず、良く切れる」という
ことを追求した実用的で鍛錬されたものであるからである。・・・略・・「現代刀」の中でも第二次世界大戦中に造られた粗造乱造
の軍刀は「昭和刀」といい、前にも述べたが本鍛錬の日本刀とは区別される。・・略・・・平安時代後期、心鉄を入れずに柔らかい
鋼鉄のみを用いた丸鍛えから、折り返し鍛錬を行い、心鉄を入れて硬軟の鉄を組み合わせた日本刀独特の鍛錬法が確立した。・・・略・・・』

 これが、教育にとって最も重要な「考え、そして判断力を養う」ことを一切教えない「丸暗記教育」の終着点だった。

 この小論文を書いた高校生は7冊の本と、6つのWebサイトの日本刀資料を参考にした。日本刀解説の実態を如実に物語っている。
 近隣半島某国の国営放送の滑稽さを笑っている場合ではない。
 将軍様を日本刀に、チマ・チョゴリの女性アナウンサーを日本刀解説者に置き換えると、これは将に現実の日本刀説明の姿である。
 将軍様を盲目的に賛美する唯我独尊の姿は軽蔑され、世間の嘲笑を誘っている。
 以て他山の石とすべきであろうが、刀剣界では彼の国と同質の噴飯ものの話が尤(もっと)もらしく語られて世間にまかり通っている。

 世の中の日本刀の解説は、日本刀の本質(目的)を見失い、客観性を欠いている。
 これは、刀の「目的」と「手段」を混同し、歴史上の刀の実態を知らず、刀剣界の間違った情報を妄信した結果である。
 考えることを放棄した事にも起因するが、これには止むを得ない面もある。
 明治以来、刀剣界は国粋思想に基づく日本刀観を営々と吹聴し、戦後は占領政策に依って生まれた美術刀を「伝統」と糊塗した。
 明治から今日に至る迄、史実と異なる日本刀の概念が終始喧伝されて来た。
 今後も伝統的日本刀の真の姿を語ることはない。何故なら、戦後、法的に日本刀概念のすり替えを行ったからである。
 その為、伝統とは異質の美術刀を「伝統的日本刀」と強調しなければならなかった
 古来からの日本刀の実態をねじ曲げるのが目的だから寄辺(よるべ)ない話である。こうして組織的な史実の改竄(かいざん)が進められた。

 先ず、美術刀剣界の目的と実態を知り、彼等が流布する「偏向した伝統」と「史実の伝統」とは全く異質であることを理解してお
く必要がある。刀剣界の組織や肩書きを信用して情報を妄信すれば、誤った認識を植え付けられるだけである
        
 過去、「大日本帝国及び皇軍は不敗」という根拠の無い神話があった。不利な戦況も勝利と報道した。
 情報を安易に妄信した我が民族がどのような結末を迎えたかを想起して欲しい。
 戦後「大本営発表」は嘘の代名詞となった。同じ過ちを再び繰り返してはならない。
 又、我が国独自という独り善がりも慎まなければならない。客観性を持たないと、半島某国と何等変わらぬ国に陥ってしまう。
 日本刀に密接する製鉄や地鉄などの真実は、金属学、冶金学などの他の分野にしか存在しない。
 多角的な考察が求められる。                                     ※日本刀諸情報の検証2」参照
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日 本 刀 の 常 識 を 問 う


 現在、広範に流布されている日本刀の概念は日本刀の実態を表していません。これらは幕末の新々刀に準拠するものです。
 古来とは、少なくとも古刀からを指すのが刀剣史、日本史の常識だと思われますが、何故か近世末期の刀を「古来」として仕舞い
ました。その為に、日本刀という幅広い概念を新々刀にすり替えて認識し、且つ論じているのが実態です。
 その上、占領政策の結果に依って、美術刀剣界は日本刀の目的を刀身美としました。
 これが伝統的日本刀の誤解をもたらしました。
 その為、優れた鋼材を使った軍刀身などは日本刀ではないという実に不合理な認識が世に蔓延しました。これは大きな誤りです。

 戦後美術刀の規定解釈(偏狭な日本刀観に基づく身勝手な解釈)と、史実の日本刀の実態とを混同してはなりません。
 混同の結果、日本刀を見失って仕舞いました。「銃刀法」には古来の製法と記しているだけで、新々刀の製法と規定している訳ではない

 弊サイトは、日本刀の史実を探り、その実態を明らかにする事で、近代刀剣に対する謂われ無き偏見を是正する事を願いとします。
 日本刀に関心を持たれている方々が「日本刀とは何か」・・・を再考される一つの参考資料として閲覧して頂ければ幸いです。



本項の論拠は、下記項目で考察した内容に基づきます。併せてお読み下さい

日本刀考:「鍛錬と強度」・ 「名刀とは何か」・「南蛮鉄・洋鉄考」・「日本刀の常識を問う」・「日本刀の地鉄」・「日本刀の構
      造」・「孤高の刀匠・小林康宏」・「慶長期・日本刀地鉄の変化」・「異説・たたら製鉄と日本刀」
軍刀:   「満鉄刀の全貌」・「軍刀身の研究」・「将校用軍刀の研究」・ 他、 
軍刀について:「興亜一心刀」・「群水刀」・「振武刀」・「素延べ刀」・ 他    軍刀評価: 「軍刀評価」・「実戦刀譚」・ 他



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