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水垢離する小林康宏刀匠
「月刊空手道」(1983年7月号)より |
新刀以降、刀匠の目標は古刀の再現にあったと言っても過言ではない。 戦後、一貫して古刀を探究した天田昭次刀匠(人間国宝)は、著書「鉄と日本刀」の中で 栗原彦三郎昭秀の同門だった宮入昭平刀匠(人間国宝)に触れ、「古刀を目指した宮入刀 匠の作刀結果は、その目標とは裏腹に次第に古刀から遠のいて行った」と述べている。 天田刀匠自身も、古刀は未だ遙か彼方にあると述懐している。 刀匠の頂きに昇り詰めた刀匠達を以てしても、古刀に到達することができなかった。 筆者は「日本刀の地鉄」の項で、天田刀匠の意外な側面を指摘した。 天田刀匠が、古刀には丸鍛え※1が多く、心鉄が刀の機能を阻害することなどを晩年ま で知らなかった事実である。これが刀剣界の実態を表している。 心鉄の矛盾は柴田刀匠や研究家達が指摘し、恩師の栗原昭秀も一枚鍛えの史実を明らか にしていた。 戦後の美術刀に関して、永山光幹師(人間国宝)は、新々刀の鍛法を棄てるよう鋭い問題 提起をしている※2。 それでも刀剣界の大勢は新々刀を古来からの伝統と信じ込み、この固定概念から脱却す ることができなかった。この因習は骨の髄まで染み込んでいた。 これが古刀の再現を妨げた大きな要因だったように思われる。 ※1
無垢鍛え及び割刃鍛え ※2 日本刀の常識を問う参照
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新刀以降の多くの刀匠達が鍛法、焼入からも古刀を追求したが全て 徒労に了った。何故古刀に近づけなかったのか ? 古刀期の刀匠と比較して作刀技術に遜色があったとは思えない。 古刀との差は造刀法ではなく「鉄質」の相違にあったからである。 古刀は600年の永きに亘る。 古刀初期から末期の間、海綿鉄・塊錬鉄から銑製造に巾を広げた。 一方、鉄器・鉄刀の分析では古刀期まで舶載鉄が主流を占めていた。 最も根本となる鉄質の違いを見逃していた※。 ←精練中の小林刀匠(「月刊空手道」より) ※ 日本刀の地鉄参照 |
刃部マルテンサイトの顕微鏡写真 |
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←刀身断面の硬・軟鋼は木目年輪状の分布。 刀身表面は不規則な硬・軟組織の分布の為、 これが変化に富んだ自然な地肌美を生んだ。 中央及び左右は折返し鍛接面と思われる 写真ご提供: 潟nチオウ会長・森雅宣様 |
鍛錬と刀身構造模式図 新刀以降の玉鋼折返し鍛錬と 二枚鍛え 皮鉄(硬鋼)の例 → 硬・軟鋼練り合わせ材と 丸鍛え 古刀想定 → |
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