日本刀の考察  小林康宏遺作  0
古刀への挑戦

無言の問いかけ       康 宏 刀 作 品

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小 林 康 宏 の 遺 作 刀



遺作展図録

在りし日の小林康宏

 私は、日本刀は芸美の極みであり、日本人の心の底に存在するなに
 ものかだと常に思ってやみません。
 日本刀は、限りなき美と比類なき堅牢さを車の両輪とするものです。
 先人が造ってくれたこの作刀の理論を再現するために、私は年齢をも
 省みず、まだまだ長い道のりを日々歩んでいます。(小林康宏)

1986年1月15日「山梨日日新聞」にて

2013年1月12日〜20日の間、小林康宏刀匠没後二十五年の節目に「刀匠 小林康宏 遺作展」が、刀匠縁の地である東京都港区高輪の
「啓祐堂ギャラリー」で開催された。出展作品は図譜に収められた(上掲左)。
遺作展は、小林康宏刀匠の後継者である小林直紀(二代康宏)刀匠監修のもと、世話人・栗谷文治氏、根来広和氏に依り企画実施され
たものです。

出展作品20点の研ぎは田村慧研師、刀身撮影は塚田志穂氏(刀剣小町)が担当されました。

小林康宏刀匠の事蹟を改めて浮き彫りにする為に、作品図譜に収められた世話人のご挨拶、研師の方の刀身所感、並びに二代康宏(直己)刀匠のお人柄をご紹介しておきます。
1

栗 谷 文 治 氏 の 挨 拶 要 約

(遺作展世話人代表・初代康宏弟子)

刀剣界の中で孤高の位置を保ちつづけた初代小林康宏刀匠の作品は、とくに実戦的な武術家の間において「斬鉄剣」の異名をもって
伝説化する一方、古刀の美の再現という視点での正統な評価を得てきたとは必ずしも言えない憾みを残しております。
歳月とともに作品の散逸が進み、展示数は多いとはいえず、かつ小品が中心となってしまいましたが、刀匠が後半生のすべてを打ち
込んだ「古刀地鉄研究」の到達点を見るに十分(ママ)な作品群といってよいと思います。
康宏刀匠の刀剣制作の目的は、ただひとつ「古刀地鉄研究」にありました。
新刀期以降、多くの刀鍛冶が目標としてきたのは「古刀に迫る」ということでした。
刀剣地鉄の質が時代とともに劣化の道を辿ってきたのは否定できない事実だったのです。
康宏刀匠は、たたら製鉄による玉鋼の使用、送風技術(ふいご)の進歩、梃子鉄による鍛錬といった、現在いわば常識とされている作
刀法を否定し、往古はもっと素朴な製鉄・鍛錬が行われていたに違いないとの信念のもとに、生活のほとんどすべてを古刀再現に注
ぎました。
地鉄づくりの要諦は、燐、硫黄等の不純物を極限まで取り除くことにあります。
そのためには、可能な限り低温で処理すること※1が 重要となります。強い送風と高温は不純物の浸潤を促進するからです。
康宏刀匠は全国の古い製鉄跡を踏査し、跡地がすべて山の斜面にあることから、自然の通風を利用して製鉄が行われていたことを確
信するに至りました※2
そして自然通風による製鉄に適した地を探し求め、1980年ようやく八ヶ岳南麓(山梨県長坂)に鍛錬所を定め、登り窯による製鉄実験
を開始しました。
また、解放炉で梃子鉄をもって行う折返し鍛錬は、いたずらな放熱と過度の送風が鉄を傷め、脆弱な鋼をつくる原因となることに思
い至り、そこで刀匠は、閉鎖炉(耐火煉瓦で周囲を覆った炉)で鉄を沸し、梃子鉄を使わずに、そのつど箸(鉄塊をつかむヤットコ状
の道具)で取り出して折り返す工法を案出しました。
閉鎖炉の中で少ない風でゆっくりと包み込むように鉄を沸かす・・・多くの手間と大量の木炭を要するこの鍛錬法は、日本刀製作の
歴史の中についに定着を見なかったものと想像されます。
一般には、作刀技術の粋のように信じられている芯鉄(ママ)を硬い皮鉄で包み込む工法も、要するに脆弱な鋼を補強するための手段
に過ぎず、また別の見方をすれば貴重な鋼を節約するための方便とも解釈されます。
このような細工は、康宏刀匠にとっては何らの意味もない無用の技でしかなく、あくまで古刀本来の無垢鍛えを貫きました。
既成観念を打ち破る康宏刀匠の作刀理論が刀剣界から異端視されてきたのはやむを得ないとして、本展が、些かなりとも問題提起と
なればと願っております。
筆者注 ※1 古刀研究の第一人者・工藤治人博士(元活タ来製鋼所社長(現・日立金属)の古刀鍛錬法の信念と一致 ※2 考古学的にも穏当

2

田 村 慧 研 師 所 感

(康宏刀の研磨を終えて)

小林康宏刀匠との出会いは、昭和49年、たまたま高輪の仕事場をお訪ねしたのが最初でした。
以来、折りにふれ康宏刀を研磨する機会をいただいてまいりました。
(今回の)研磨を終えて、改めて康宏刀の印象を申しますと、良くも悪くも極めて個性的だということです。
おそらくこのような刀を製作している現代刀匠はほかにいないと断言できます。
その最大の特徴は、地鉄は硬いけれども、ただ硬いのではなく非常に粘いということです。
イメージとしてはゴムに地艶(砥石の薄片を親指を使って研磨する最終段階の作業)をかけているような感覚です。
砥汁とアク水を微妙に調整しながら地艶を丁寧にかけなければなりません。
この過程で康宏刀がいかに強靭であるかが如実に伝わってきます。

康宏刀匠は古刀の再現を目標としていましたが、古刀の特徴である金筋、稲妻が康宏刀にはごく普通に存在し、地鉄の青さも含め
て、時代的には南北朝期のものに見紛う域に到達していると見えるものもあります。
砥当たり(砥石に刀が当たる感覚)の点では、古刀のような柔らかさには欠けるものが多いですが、一方で非常に軟らかい地鉄もあ
り、作風は一様ではありません。
ひとつの作風として完成していないという言い方もできますし、さまざまに実験を繰り返した証左とみることができます。
康宏刀匠は刀剣製作の道に入ったのが遅く、したがって残された時間が少ないことからくる焦りもあったのだろうと推測されます
が、刀身彫刻や茎仕立てをもう少し丁寧にやってほしかったと思います。
極力低温鍛錬するゆえにどうしても鍛え疵が多いことを含めて、師の遺志を継ぐ二代康宏氏をはじめ弟子の方たちが、今後の研究
課題としていただければと思っています。


康 宏 刀 匠 の こ と


 二代・康宏(直紀)刀匠と、古くからお付き合いをされてこられた吉本知景様が、直紀刀匠のお人柄を述べられています。
 吉本様は、二代・康宏刀匠から絶大の信頼を寄せられ、康宏刀匠工房の作刀事業に深く関与されています。

光 よ あ れ 

〜 も の の は じ め 〜

吉本 知景 


 鈍色の空が重くのしかかる木枯らしが吹く初冬の頃、その知らせは届いた。
 刀工初代小林康宏の没後二十五周年の遺作展が東京高輪で催されるという。

 初代康宏遺作展は、平成二十五年一月十二日〜二十日の八日間、小林康宏工房があった
 ゆかりの地東京港区高輪の古書店ギャラリーで開かれた。

 私は九州の友人と連れだって二日間に亘り見学のために上京した。
 刀工二代目康宏を囲む往年の康宏作友の会である鍛人会 (かぬちかい)の仲間も何人も顔を
 出し、10数年ぶりの二代目康宏との再会に旧交を温めた。
 遺作展開催期間中は、初代康宏小林林(こばやし はやし)の子息である二代目康宏直紀が鍛刀工
 房の弟子とともにギャラリーに立ち、来訪者に作品説明をした。

 ← 二代・康宏(直紀)刀匠
   遺作展にて、初代康宏刀匠の遺影を背景にして

 新聞でも報道され、たいへん多くの来訪者が初代小林康宏の作品を間近で見ることができた。
 新聞報道翌日以降は狭いギャラリーがすし詰め状態で、見学者の対応に苦労したと後に工房のスタッフから耳にした。
 刀工康宏の情報を求める人が、かなり多いことを私は改めて知った。

 初代小林康宏が目指した地鉄は山城粟田口だった。
 昭和末期に二代目康宏を襲名した子息の直紀は、父康宏が目指した古刀の地鉄再現からさらに自分自身の求める領域を純化させて
 作刀に臨んだ。
 ともすれば、それはこれまでの江戸末期からの「作刀技法」とは外れるため、局所的な伝統性との拮抗を常に招いた感がある。
 初代もそうだが二代目も梃子鉄(てこがね)さえ使わず、巨大やっとこ形の火箸のみで鋼を扱う方法も、江戸期以降の「伝統」か
 らは離れている。
 炉、選鋼、鍛法、焼き入れの水等々のすべてがほぼ現行の江戸幕末「伝統」技法とは別方法を採っている。
 そのため、現行の日本刀製作方法で日本刀を造った場合、康宏はあまり手際がよくはない。
 だが、親子で培った技法で日本刀を打った場合、まるで水を得た魚のような手際の良さと巧みさをみせる。

 私は日本刀を愛する者として、ひとつの幸せを感じることがある。
 それは、刀工二代目小林康宏が生きている時代に自分も生きていて、生の刀工康宏と触れ合えることができることだ。
 私は康宏の作品そのものにも惹かれているが、高輪工房時代から個人的に縁あって刀工康宏と知己以上の関係で懇意にしてもらっ
 ている私は、何よりも二代目康宏の人となりに深く惹かれてきた。
 その姿は、負けん気の芯は強いが、およそ大切れ物の斬鉄の刀を造る刀工とは思えない程に柔和で丸い人柄だ。
 深くつきあうにつれ、私は「嗚呼。この人は太陽みたいな人だ」と思うに至った。
 造形作者の刀工としてよりも、その人柄に私はどんどん惹かれて行った。
 だが、形として残す仕事の出来は、なんなく鉄が裁断できる日本刀を造る。
 しかし、決して驕らない。よく世間の刀工にみられる他刀工を貶して自分の位置を高めようとするような態度を絶対に二代目康宏
 は取らない。
 而して造る刀は斬鉄剣だ。
 現行の日本刀「伝統」技術から逸脱している手法を採っていることは本人が一番自覚している。
 だが本人は「また、下手くそって言われちゃったよ」とてらいなく笑う。
 卑屈な笑顔ではない。明るくカラリと笑って受け流すのだ。
 直紀は「刀匠」や「日本刀作家」と自称することを好まない。自らを「刀工」と呼ぶ。
 しかし、それは決して卑下などではなく、切れ物の刀を打つという確固たる矜持を背景として、日本刀製作の本道を亡失して驕慢
 に流れることへの自戒の現れだろう。
 日本刀における美とは、武器としての原初的発生から連綿と続く一千年の歴史と密接不可分な関係にある。
 日本刀の美や芸術性は、武器としての本質的な存在基盤を無視しては絶対に成立しない。
 刀工小林康宏親子は、まず初めに表面上の視覚的な美ありきではなく、日本刀の本来の姿を探究することを通して日本刀に美が帰
 結として付加され具備されるという、けだし当然のプロセスを歩もうとした。
 時に、それは局所的な一時代を代表する「伝統」工法との確執を招いたりもした。だが、これはどの時代にも、どの刀工にも起こ
 り得ることでもあったし、事実、歴史的な時代の中で多くの刀工が旧弊部分との軋轢を経験してきたことだろう。

 私は二代目康宏と出会えて本当に良かったと思う。
 一人の人間との出会いは偶然だ。
 大きな地球上の歴史の流れの中で、一人の人間などは芥子粒ほどにもならぬ小さな存在だ。
 そして、生まれる時代は自分では選べない。
 私は、二代目康宏が生きて、作刀を続けていられる時代に同時代人として生きていられることを幸せに思っている。
 せめて、最後期の残された時間は、刀工康宏に存分に思いのたけを作品に表現させてあげたい。
 私などは何も大したことはできないが、微力ながらも、康宏が作刀だけに集中できる環境を作ってあげたい。
 私は二代目康宏から多くのことを学んだ。
 その二代目康宏に対し、恩に報いるなどという陳腐な言葉で私は表現したくはない。言葉の向こう、名辞以前の世界がそこにある
 からだ。
 私は刀工康宏との出会いによって、睡余の前に一縷の光を見たのだ。


3

康 宏 刀




1.脇差 銘:(表) 為古刀研究以銑鉄 康宏作之
(裏) 昭和丙辰年四月
刃長 35.8p   反り 0.3p
刃中に金筋・砂流し盛んに働く



2.脇差 銘:(表) 康宏作
刃長 31.4p   反り 0.2p
刃縁沸えづいて金筋・砂流しさかんに働く


        3.脇差 銘:(表) 康宏之作
          (裏) 西暦一九七五年四月
         刃長 38.9p   反り 0.4p
           乱れ映り、湯走り働く



4.脇差 銘:(表) 康宏作之
(裏) 大正百年十月日
刃長 38.8p   反り 0.4p
金筋働く

5.脇差 銘:(表) 康宏
(裏) 大正百年六月日
刃長 43.6p   反り 0.7p
刃中に金筋・砂流し盛んに働く




6.短刀 銘:(表) 康宏
(裏) 昭和庚申(かのえさる)年五月
刃長 25.6p   反り 無反り直刃に金筋・稲妻しきりに入る



  
    7.脇差 銘:(表) 康宏    
刃長 31.0p   反り 無し
  互の目の刃縁豊に沸えづき、刃中所々
 蔓(つる)状の働きあり

8.脇差 銘:(表) 康宏
(裏) 大正百年十月
刃長 32.4p   反り 0.4p
丸棟、表裏に棒樋を彫る


    
       9.脇差 銘:(表) 康宏作    
   刃長 34.9p   反り 0.3p
   小乱れの刃文匂い深く、表裏に二筋樋

10.短刀 銘:(表) 康宏    
刃長 22.9p   反り 無し※
直刃の匂い口明るく締り、表に腰樋、裏に護摩箸を彫る




11.脇差 銘:(表) 康宏作之
     (裏) 平成廿二年十一月日
刃長 41.3p   反り 0.5p
直刃調の小乱れ匂い深く金筋長く働く。表に梵字、二筋樋、裏に棒樋、素剣を彫る
刀身は初代・康宏作、年期銘は二代・康宏が付加した


      
12.短刀 銘:(表) 康宏作
     (裏) 平成廿二年十一月日
刃長 26.7p   反り 無し
刃中金筋、葉、砂流し働き、刃縁明るく冴える

13.短刀 銘:(表) 古刀地鉄解明之為康宏造之
     (裏) 於東都高輪 平成廿二年十一月二代康宏銘之
刃長 24.8p   反り 無し
乱れ刃匂い深く、刃中金筋働く
刀身は初代・康宏作、年期銘は二代・康宏が付加した




4

初代・康宏刀匠の後継者作品

 



14.刀 銘:(表) 直紀作
  (裏) 昭和庚申年十二月
   刃長 85.8p   反り 2.6p
本作は、二代康宏の直紀銘時代の若打ち。初代の作風継承を見ることが出来る






15.脇差 銘:(表) 栗谷文治鍛之康宏淬之
     (裏) 田中家永代守護 西紀一九八七年二月嘉辰
刃長 47.7p   反り 1.0p
康宏刀匠は後進の指導にも意を注ぎ、開発した技術を惜しむことなく弟子に伝授した。本作は、刀匠の最晩年に
弟子に鍛えさせたもので、光の強い沸えや刃中の働きに師風をうかがうことができる。




刀身撮影: 塚田志穂(刀剣小町)


   小林康宏刀匠の作品掲載の快諾を賜りました直紀刀匠(二代康宏)様、写真原画のご提供を頂きました写真家・塚田志穂様、
   仲介の労をお取り頂いた吉本知景様に深甚なる謝意を申し述べます。

2013年9月8日より
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