日本刀の考察 9

名 刀 と は 何 か

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 世の中には、定義が曖昧なまま、さしたる問題にもならないで流通している言葉がかなり存在する。
 正確な意志の疎通は「言葉」に共通の認識があって初めて成り立つものなのに、曖昧な儘に各自が勝手に納得している言葉の一つ
に「名刀」という言葉がある。筆者は、この言葉にいつも逡巡する。
 「名刀」とは何かを問うには、どのような日本刀観 (価値観) があるかを明らかにする必要がある。
 大雑把に分けると以下の三点であろうか。

日 本 刀 の 価 値 観


1.書画・骨董品と同列の美術工芸品としての価値



 ここでは、刃文や地肌、鑑定・鑑識、刀匠位列等が興味の対象である。五ヶ伝・流派・刀匠、刀装具、
 神話・伝説・伝聞等の主として江戸期に流布された虚飾に満ちた情報を根拠として、現代美術刀剣界が
 流布する情報が参考とされている。
 世の中では、刀の化粧を中心に多くの刀剣関係書が溢れていて、そこには俗に言う「名刀」が山ほど解説
 されている。

 室町期、研磨の技が発達して偶然にも刀身の美が認識されるようになった。
 これが日本刀の特徴の一つになったことは事実である。
 日本刀の武器としての本質が薄らぎ、附帯的価値としての刀身美がもて囃(はや)される兆候は既に江戸時代
 から現れ始めた。                     (写真は柴田光男著「刀剣ハンドブックより)
 それが昂(こう)じた結果、刀身美が日本刀の本質や目的であるかのような錯覚を広めさせた。
 刀匠達は、そうした風潮に迎合して、見てくれの派手な刃文の刀を作った。平和な時代に刀の需要が低迷した事もそうした風潮を
助長した。刀は豪商達の愛玩物や投資の対象となり、書画骨董と同列の商品となった。
 刀の商品価値を上げる為に、多くの名刀伝説が生まれた。その中で、刀の利鈍位列と刀匠の格付けが創作された。刀剣界は戦前か
ら美術要素に偏重した考えが支配していた。現代美術刀剣界の大勢もこの流れを踏襲し、価値基準は「美術刀」となっている。

 この価値観を決定的にしたのは、日本の敗戦である。
 連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) は日本文化を象徴する日本刀を根絶する方針だった。
 日本刀を守る為、日本刀は武器ではなく「美術工芸品」だと方便を使い、この危機を乗り越えた。
 日本が独立した時、この誤魔化しの概念を是正できる機会はあった。
 しかし、政治政略と業界の思惑が重なって、日本刀の概念はねじ曲げられたまま現在に至っている。

 米国の植民地政策は見事に成功した。
 占領政策に洗脳され、結果的に占領政策代弁のお先棒を担いでいる (その自覚すら無い) 人達が日本文化の象徴たる日本刀を論じ
ているのである。こんな悪い冗談は滅多にあるものではない。

 明治の廃刀令で刀匠は潰滅し、和鋼も枯渇した。日本刀の復活は望めなかった。
 こうした時代状況から、新鋼材や造刀法が科学的に研究され、古来の日本刀を凌駕する優秀な各種刀身が誕生した。
 刀の本質に照らせば、こうした刀も日本刀の一つの姿であり、日本刀の歴史上の厳然たる一分野である。
 これらの優れた刀をも「甚だ迷惑な存在である」と公言して憚らなかった。一体どういう迷惑を掛けたというのか ?
 時代の状況すら理解出来ない幼児の戯言だった。歴史の事実を無視した身勝手な日本刀定義の強要は、傲慢以外の何ものでもない。
 刀の本質を歪曲し「日本刀は美的鑑賞の為に存在する」と云う思い上がりも、ここまで来れば宗教である。

 彼等の日本刀の認識は、明治以降に確立された「日本刀神話」が全てであった。元々、史実や客観的な認識とは無縁であった。
 それらを妄信した美術刀の愛好者達は、オウム返しにこうした「神話」の忠実な伝道者の役割を担った。
 価値観は多様であり、誰もが日本刀を美術品と思っている訳ではない。日本刀の本質に価値観を求める人達だっている。
 自分の趣味の為に他人の価値観まで否定し、歴史上に厳然と存在した刀までをも抹殺するというのは明らかに分を逸脱している。
 日本刀の本質は武器である。地刃の美などというものは、日本刀の本質から派生した付帯的要素にしか過ぎない。
 自らの領域が何たるかを自覚すべきであろう。そして領域外の日本刀の実質内容などを、他人の受け売りで安易に喧伝すべきでは
ない。これ以上、誤った日本刀の認識を蔓延させる罪を犯してはならない。それが分を弁(わきま)えるということであろうと思う。
                                   関連項目 南蛮鉄・洋鉄考日本刀の常識を問う日本刀の地鉄参照

2.武器としての価値


   古岡二刀斎師
 日本刀の本質である武器性能、利鈍の実態が重視され、神話・伝説・伝聞は通用しない。
 実戦刀に求められる価値観である。
 この延長線上に、特殊綱の各種刀身や、兵器としての下士官刀があった。
 現代、日本刀を武器として使うことはないから、試斬、真剣道、居合いの武道家達に支持されている。

 刀剣の原点は云うまでもなく「武器」である。
 古代、この武器性能への畏敬の思いが祭祀の神器となった。
 この価値観では、刀身の見てくれの美(地肌・刃文)、神話・伝説・伝聞等の虚飾は通用しない。
 江戸・泰平の時代から日本刀は実戦で使用されなくなった (仇討ち以外はご法度) が、刀の利鈍位列が流
 布された。しかし、その真偽の検証は全く行われていない。
 この刀の位列は実戦での結果ではなく、罪人の死体を試斬した結果に依る。従って、実戦での優劣の実態を示すとは限らない。
 江戸初期の寛永11年(1634年)、鍵屋の辻の仇討ちで荒木又右衛門の伊賀守金道が相手の中間ちゅうげん=使用人)の木刀に叩かれて折
れ飛んだ。来金道家は日本刀鍛冶の名門である。又右衛門の刀が来の何代目か不明だが、仇討ちの場面で木刀で折られたという不名
誉が鍛冶惣匠来金道の権威を虚構としてしまった。権威の実態とは大凡このようなものだった。
 刀は戦うと必ず折れるか曲がる。折れた刀の話しはこの他にも沢山ある。
 折れず曲がらずとは願望であって、そんな刀は存在しない。

 貴重な資料として、上海事変と北支那の実戦で使われた日本刀の記録がある。
 成瀬関次氏は実戦検証に基づき「私は、戦場の体験から、美術骨董品の領域にいる鑑識家達を一切信じない。江戸期の鑑定・鑑識
は極めて作為的・政略的である」と断定している。
 この実戦検証から、優れた刀の条件が示唆された。最も重要な点は、「粘硬な刀身」という事である。
 戦える刀は、硬い刀身と鋭い刃を意味しない。古刀のようなしなやかな刀身で軟らかく斬ることができる刀を指す※1
 硬い量産鋼の新刀や、更に硬い玉鋼で作られた新々刀は実戦に於いて脆さを露呈した。
 鋼単体として純化した和鋼が優れた刀材とはならない※2
 高品質 (この定義は曖昧) な玉鋼だから刀の性能も良いというのは全くの幻想である。硬い玉鋼は逆に刀身性能を後退させた。
 美術刀剣界が流布した情報が虚構であった事がこの実戦検証で明らかになった。地刃の美観と刀身性能には何の関連も無かった。
             ※1実戦刀譚」参照 ※2 刃の表裏平均シェア硬度() 古刀・村正(57)、満鉄刀(57)、新々刀・水心子正秀(68)
 古刀はしなやかで、新刀→新々刀と硬くなって脆(もろ)くなった。
 現代では、貴重な歴史遺産への配慮もあって、高価な古刀〜新々刀は簡単に武術用に使われない。殆どが現代刀であろう。
 新々刀に準拠した多くの現代刀匠は「美術刀剣」という概念に支配され、日本刀の本質を忘れているようである。
 武道家は「こうした刀は、物を斬ったら直ぐに刃毀(こぼ)れを引き起こす。場合によっては刀身が折れる危険がある。
 現代刀は美を再現する為だけの刀であって、全く使い物にならない」と厳しく指摘する。
 化粧は綺麗でも、物も斬れない刀は日本刀と呼ぶに値しない。刀姿や地刃を真似ただけの「模造刀」に過ぎない。
 例えが悪いが、「中身が無くて厚化粧で飾り立てた場末の性悪女」と同じである。「以非日本刀」とはこういう刀を指すのであ
る。
 現代刀の鋼材は、江戸の中期に出現した非常に硬い玉鋼と同じである。慶長の「千種鋼・出羽鋼」に比べても更に硬い鋼である。
 これから類推しても、新刀、新々刀は一般的に、既に武器としては失格だったのかもしれない。
 こうした実態は、成瀬氏に依る実戦での240例の損傷刀の報告でも明らかにされた。
 従って、武道家達は、武術用に作られた特別な武術刀を使う。
 美術刀剣界はこれを蔑(さげす)んでいる。美術刀剣界は必ず刃文や地肌を持ち出してくる。刃文や地肌がなければ日本刀ではないような口ぶりである。
 然し、平安時代から太刀黄金期の鎌倉時代まで、刀身の表面は「鍛冶研」を少し丁寧にした程度であった。従って刃文や地肌は判然と識別出来なかった。寧ろ、刀身の表面は、斬れ味を良くする為にわざわざ荒らされた。
 これが「寝た刃(根太刃)合わせ」である。これは、戦う刀の常識だった。
 刀匠達は刀身美の為に刀を鍛えたわけではない。日本刀にとって、刃文や地肌の美は刀の本質とは何等関係なかった。
 因みに、明治から大東亜戦の終結までの一部の優秀な軍刀身は、これと同様の次元で造られた。

     刀身美が認識されるのは、研ぎの技術が発達した足利(室町)時代に入ってからである。

これに目をつけた豊臣秀吉と石田三成らは、巧妙な政治政略にこれを利用した。
地刃の美を意識的に利用するようになった。

 太刀と刀が主武器の座を退き、儀仗と象徴装飾品となった事で、刀身美が持て囃されるようになった。
 そうした退廃の中で、治にいて乱を忘れない刀も作られた。実戦刀の虎徹、同田貫は名刀の筆頭になるのであろう。
 外国の圧力が強まった幕末、刀は長い泰平の眠りから目覚めた。正秀、清麿、直胤らが現れた。(直胤の刀身性能は劣悪)
 正秀は鎌倉後期の戦える古刀の復活を目指した(新々刀)。この影響は新々刀の作風を一変させた。
 これは新刀が堕落していた事の逆説的証明だった。

 然しこの頃、鎖国に依る舶載鉄の払底で、新々刀は量産玉鋼しか使えなくなった。その武器性能の実態はどうだったのであろうか。
 新撰組の近藤勇が「一時(いっとき・2時間)余の間戦闘に及び候処、永倉新八の刀(手柄山氏繁四代=新々刀)は折れ、沖田総司(加州
清光= 新刀)の帽子折れ、藤堂平助(上総介兼重=新刀)の刃切出さゝらの如く、枠周平は槍を斬り折られ、下拙(自分)の刀は虎徹(実
際は清麿 ?)故哉無事に御座候」と池田屋顛末を養父宛て書簡で述べている。清麿の刃はボロボロになり、どうにか鞘に収まった。
 藤堂は負傷して離脱したが、その刀は刃切れが"ささら"のようになって修理不能の損傷で、戦闘を続けていれば折れていた可能性もある。
 幕末、人斬り以蔵と恐れられた岡田以蔵が、木屋町で本間清一郎を襲った際、鋩子(ぼうし)が折れ飛んで以蔵を狂乱させた。
 この刀は名刀として名高い肥前鍛冶忠吉(新刀)の二代忠広であったと言われる。これらも貴重な実戦検証と云える。

 明治の時代になって、戦いに耐えられる大量の刀が必要になった。それが軍用刀剣だった。兵器に特化した下士官刀が造られた。
 興亜一心刀、振武刀、群水刀、造兵刀、制式鍛錬刀などの将校用刀身が造られた。
 刀の本質からすれば、成瀬氏が評価した優れた特殊軍刀身は名刀と言えるのではないだろうか。
                             (関連項目 斬鉄剣・小林刀匠日本刀の常識を問う軍刀の評価実戦刀譚 参照)


3.武器性能と美の兼備及び精神的要素を付加しての価値

 2の武器性能と1の美的要素の付加に価値を認める。大多数の日本刀観はこれだと思う。
 2のように日本刀を実際に使用する事が無くても、武器性能は畏敬に足る刀身としての絶対条件である。
 日本刀は大凡この要件を備えているように思われているが、2でも述べたように、実はそうではない。
 地刃が綺麗でも、使いものにならない脆い刀身に畏敬の念は持てないし、そうした刀は日本刀とは呼べない。
 美術刀に浸っている人とは区別される。
 刀身美の捉え方も人によって千差万別である。又、刀身美とは地肌や刃文だけを指すものではない。
 「用の美」がある。士官軍刀はこの範疇(はんちゅう)であろう。

 問題は、此処に価値観を求める人達に二つの考え方の相違があり、価値観の乖離(かいり)が生じている。相違点は只一つである。
 現在市場に流布されている鋼材・利鈍位列等の情報を無条件に信じるかどうかである。

  @ 1の価値観と同様に、現代美術刀剣界の情報をその儘無条件に信奉している人達。
    この人達は、既に刀剣界の資料により名刀は決まっている。この派の人達は寧ろ1の価値観に入れるべきであろう。
  A 「美術刀剣」という摩訶不思議な考えに距離を置いている人達。美術刀剣界からは「異端児又は素人」扱いをされている。
    このグループの人達は刀剣界が流布する日本刀の情報を、虚飾の遊びと思っている。
    鋼材や作刀法など、美術刀剣界が流布する情報を殆ど信じない。刀身性能などは検証されたこともない。
    戦国の世、功労の褒美は土地であった。分け与える土地には限界があり、刀剣が報酬の代わりとなった。その為、刀には土
    地に匹敵する価値がなければならなかった。ここに、「名刀伝説」が生まれる作為があったのではないか ? 
    五郎入道正宗は名刀の代名詞とされているが、実態は果たしてどうだったのか ? 正宗伝説は本阿弥の作為説が付き纏う。
    刀の利鈍位列では、「首斬り浅」の山田浅右衛門の評価が流布された。
    大名、旗本などから試斬の依頼を引き受け、一介の首切り浪人が、富裕な財を誇ったという。
    ここに、依頼する側の思惑が働かなかったか ? 金銭と利権が絡む処に作為が働くのは、古今変わらぬ常識である。
    本阿弥の鑑定にも同じ事が云えないだろうか。刀剣界が砂上の楼閣に思える。          (「砂上の楼閣」参照)

 本来はこれ以外にも、故事・来歴などの多様な価値観がある。上記三点だけでも「名刀」の価値観は変動する。
 従って「名刀」とは自己判断であり、自分の心の中にしか存在しないと思っている。
 ところで、「名刀」という「絶対的ランク」はどうしても必要なのだろうか。価値観が統一出来ない以上、それは不可能といえよう。資産価値に重きを置く人か、刀剣商売で儲けようと企む人以外にはあまり意味が無いように思えるのだが・・・・。

1

利 即 美

大村邦太郎


 
日本刀の洞察


 戦前、「刀剣工藝」に大村邦太郎氏の
 刀身美と利刃の美に対する含蓄のある
 記述がある。


(以下要約のみ)

四振りの刀があった。
 第一は無銘左弘行。物深い地鉄の色合、名工が萬波を一刷毛に描いた様な刃文、灰汁(あか)抜けのした見るからに名刀の風格を持っ
    た素晴らしい刀である。
 第二は美濃の岩捲、弘行を見た眼からするとどうも感心できない刀である。地鉄はかなり強いが刃文はどう見ても余り絵画的とは
    言えないし、姿だって左程感心したものではない。
 第三は天正祐定、誂(あつら)へ打と見えて満更捨てたものではないが、変な先反り、景のない直刃、ご愛敬にも上品なものとは言え
    ない。
 第四は大慶直胤。裏年号は嘉永とあるが、実は昭和のつい近い頃に出来た直胤である。この製造人は少々絵心があると見えて刃文
    は仲々乙に焼いてある。一見したところでは前の岩捲・祐定などよりは遙かに美しい。

 以上四本の刀を比べて夫々の美しさを比較して見ると、第一は何といっても美しい、何人が見ても名刀といった感じである。
 第四も確かに美しく華やかに綺麗である。
 第二・第三は、いくら贔屓目(ひいきめ)に見ても美しいとは言えず、決して美術品の何のといえる程の代物ではなかった。
 (以上の評価は)形とか色合いとか焼刃の線とか、普通の美術品を見るような見方で刀を見たわけであるが、刀は何といっても斬る
という役目をも持っているのであるから、美しいという方面ばかりでなく、その実用方面をも検(しら)べて見なければ刀としての全
体の値打ちが判らない。
 折れ曲がり及び切れ味の三つを検査しなければならないが、茲(ここ)ではさし当り切れ味だけを検べることにして、取りあえず巻
き藁でも斬ってみることにした。

 まず弘行から始めた。名刀を損じると大変だから極く軽くすうっと斬った。土壇拂、何時切れたか分からない様な切れ味だった。
 次は昭和直胤、こんどは折れたところで大した事はないので思い切りやった。竹が半分切れて止まった。
 入れ替わり立ち替わり試みたが段々切れなくなるばかりで刃先が永くは保てないとみえた。
 第二、第三の岩捲と祐定、これは又意外、雑兵(ぞうひょう)と侮(あ など)れど剛(ごう)の者で、何度切っても誰が試みてもまるで大根か何
かを切るように凄い切味だった。
 こうして実際に刀を使って見ると、余りよく切れるので今更ながらその霜刃(そうじん)にみとれざるを得なかった。
 弘行が一層よく見えるのはいう迄もないが、岩捲、祐定でさえも何となく美しく見えて来た。
 気のせいといえばそれ迄だが、凝(こら)して刀を見直してみると、初め我々が求めた美しさとはおおよそ異なる別種の美しさがある
ように思われた。刀の格好についていえば、美術的ならざる迄も力学的調整はあるし、よく釣合がとれている。
 刃文にしても上品ではないが峻山のような或いは氷のような強さ鋭さがある。
 「切れる美しさ」とでもいいたい全体的な、又、核心的な美しさが段々はっきりしてくるのである。

 物の美しさはそれを発見することは出来ても証明する事の出来難いものだから、切れる美しさなどといった所で、結局各人各己の
自証に俟(ま)つほかはない。
 日本人は昔は日本刀の「切れる美しさ」をちゃんと知っていた。知っていたからこそ今以て「刀の霜気(そうき)」などという言葉が
あるのだと思われるが、謂わゆる鑑定術という「分析」が栄えるに従って、いくらか「霜気」の気がぬけた。
 そして「切れる美」がだんだん人目につかなくなったのではないかという感がする。
 金筋だの、稲妻だの、何伝だの、かに伝だのと、小六ヶ敷(こむづかし)い事をいっているうちに「切れる美」はいつしか分解して美と
用との二つの単体となり、かくして刀が「利器」になったり「凶器」になったり、さては「萬邦無比の芸術品」になるなど、とうと
う現代に於ける迷子になってしまったのではないかと思われる。
 日本刀は実用方面と観賞方面とが別々にはなっていない。切味という実用が同時に日本刀美という特殊の美しさを形造っている。
 即ち「美用一体」が成り立っているのである。
 この「一体」なるものの外に遊離しているような余分の美しさとか切味とかがあるとすれば、それは本当の意味に於いては決して
「日本刀の価値」ではない。                          (出展元は「日本堂」庄司治美様にご教授頂いた)

筆者注:「最初、美術刀の観点で四振りの刀の評価をしたが、試斬をした結果、大して美的には良いとは思わなかった刀の利刃に驚
いた。
 よく凝(こら)してその刀を見直してみると別の視点でその刀の美しさに気がついた。
 「切れる美」である。金筋だ、稲妻だ、何伝だ、かに伝等と、小難しい事を弄(もてあそ)んでいる間に「切れる美」はいつしか見失
われ、「美」と「用」が別のものになった結果、刀が「美術品」になったり「凶器」になったりして、とうとう現代に於いて、刀と
は何なのか分からなくなってしまった。
 日本刀は「切れるという実用」が即「美」という特殊な美を形成している。この美から遊離した美や切れ味が仮に在るとすれば、
それは本当の日本刀の価値ではない。美と用が本来一体となったものが日本刀美である」と述べている。

これは切れる基本を忘却して、地肌や刃文の美のみに偏向した刀の価値観に対する痛烈な風刺であった。

2

真 の 日 本 刀 を 求 め て

武 道 家 と 刀 匠


 影流・直心影流(じきしんかげりゅう)十七代宗家、秋吉博光師(福岡県嘉穂郡穂波町平恒)が、ごく限られた稀少の「名工」と共に長い歳月を費やして研究され、日本刀の原点である武術刀の最高峰を目指した日本刀の作刀に挑戦しておられる。
 古刀回帰を目指され、美術刀剣偏重の風潮は日本刀の本質を歪めるものとの主張である。
 古刀に対する憧れを持つ筆者には、少しく共感を覚えるものがある。



現代刀の名工 宗 勉 刀匠
 
影流・直心影流十七代宗家、秋吉博光師





刀銘: 筑州山王住宗勉作  平成十五年二月吉日  刃長: 76.1cm平成十五年新作刀展覧会入賞作品・作刀の部無鑑査 
「九州の現代刀匠展」(熊本・島田美術館)


後世に伝えるものは『正統な伝統』でなければならない

 「斬れる刀」の文化に終止符を打ったのが第二次世界大戦に於ける日本の敗戦です。
 日本は「昭和の刀狩り」を強いられ、日本独自の貴重な文化までも否定され「日本刀」根絶の危機に直面しました。
 そして屈辱ながらも、辛うじて「美術刀剣」として生き残る道が残されました。

 「斬る道具」としての日本刀は全面禁止となり、その存在価値を根底からねじ曲げられてしまったのです。
 日本刀が恐れられた原因は、日本刀の「斬れ味」、それを引出すことのできる日本人の「技術」、それらを身につけるために日々
鍛練する「侍の魂」だったのではないでしょうか?
 混沌とする現代社会に於て、日本人が日本人としての誇りを持って生きていくための大切な要素を奪われてしまったのではないでしょうか ?
 真の「日本刀の復活」が「日本人の復活」と短絡的に申すつもりはございませんが、後世に残すべきは「正統な伝統」ではないでしょうか ?
 先人達が築き上げた「命」の次元の「技」を、見た目の美しさだけを競う「工芸品」にしてはならないのです。
                                                  (「武術刀」サイト許斐達也様ご提供)


閑話休題 ( 日本刀の祖国は欧米になる ? )


 欧米で、日本刀ブームが深く進行している。青い目の刀匠見習いの来日が久しい。
 彼等は母国に帰り、実際に日本刀を造っている。
 COLD STEEL Inc, (米国カリフォルニア・刃物メーカー)の製品デモを見て驚いた。
 全ゆる物体(巻藁・合板・肉・木材・本・プラスチック・コンクリートブロック・自動
 車鋼板など)を対象に、製品毎の極めて過酷な性能試験を公開している。
 製品の一つに「KATANA」があった。打刀の日本刀である。
 大男が万力に刀身を夾んで力任せに曲げたが、手を離すと形状記憶合金のように復元
 した。それから過酷な試斬を見せる。柔軟性、強靱性は驚異的である。
 その性能は我が国の日本刀など脚元にも及ばない。刀身は全く損傷しなかった。
 AISI規格の1055鋼(C=0.55%の普通炭素鋼)にスプリング焼入の熱処理を施したものである。(村田平和様)

 刀匠個人が造る日本刀にはモリブデン鋼が多いという。焼きも入り、刃文もある。
 合理的な彼等は「折れず・曲がらず・良く切れる」という日本刀の本質を追求するのに、躊躇(ためら)う事なく最適な手段を選ぶ。
 彼等は真面目に「NIHONTO」、「KATANA」を造っているのだと言う。
 日本でも、新鋼材に挑戦している刀匠の例があるが、因習の壁に阻まれて、美術刀剣界からは異端児扱いされている。

 然し、柔道などのお家芸が欧米に奪われつつある今日、玉鋼だ、鍛錬だ、心鉄だ等と寝惚けたことを言っている間に、日本刀のお
株を彼等に奪われるのではなかろうか。
 彼等は、「真の日本刀」だと主張を始めている。万邦無比の日本刀は欧米にあり・・・・悪夢でなければよいが。

3

私 的 刀 剣 観


 日本には数多くの伝統的武具・工芸品があるが、刀には他の工芸品とは決定的に異なる独特の意味合いと雰囲気がある。
 非日常の武器という理由だけではない。刀身が秘める雰囲気は情感を刺激し、ある種の祈りに似た想念を引き出してくれる。

 この畏怖・畏敬を織り交ぜた想念は他の工芸品には絶対に感じる事が無い「刀」だけが醸し出す独特の情緒である。
 これは何に起因するのであろうか。
 通常工芸品の完成結果は作者の力量の範囲で確定する。然し、刀は最終焼入れの段階で、どんな名工も凡工も、ある種の祈り・・
運を天にまかせる・・・を伴って生成されるという特殊性が一因に思える。
 即ち、刀工の力量の範疇を超えた天の力(自然の力)が介在するという事ではなかろうか。
 自らの力量丈では制御出来ない最終工程がある事を一番良く解っているのは刀匠自身に他ならない。
 この独特の生成過程の神秘さが他の工芸品と決定的に違う点であるように思われる。
 又、刀剣は人の生殺与奪に係わる紛れもない武器である。
 私は「刀剣愛好者」と言われる事を最も嫌う。私は「嗜好・愛好」という感覚で刀剣を見ていない。
 嗜好・愛好という感覚は書画骨董への感覚であって、刀剣には馴染まない。この思いを言葉に表現する事は大変困難であるが、私
は「愛好」とは全く異質の情緒で刀を眺めている。

 私は抜刀身の全景しか見ない。目を皿のようにして刃文や地肌を鑑賞するという趣向を生憎と持ち合わせていない。
 そして、刀は刀身と外装を総合したものと思っている。刀身と外装が一体となって初めて刀の意味がある。
 従って、外装を伴わない白鞘仕込みの刀身には余り興味がない。そう言う意味でも私は「刀剣愛好者」ではない。

 軍刀が造られた時代背景と、佩用した人への想いを重ねる中に刀は常に在る。

(本項に密接する 斬鉄剣・小林康宏刀匠の項を併せてお読み下さい)


 

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