軍用日本刀 終わりに0
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終 わ り に

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軍刀ホームページ開設の動機


 私は父を知らない。私の生後二日目に、医者であった父は「軍医」として召集され、一年後にアッツ島で玉砕した。
 物心ついてから、部屋に掲げてあった赤十字腕章に軍刀を抱えた軍服姿の父の写真が父の印象の全てであった。
 戦場で負傷兵を助ける為の軍医が何故(なぜ゙)軍刀を持っているのか子供心に不思議であった。私の軍刀に対する興味は、この一枚
の写真から始まった。
「軍刀とは一体何なのか ?」、父と運命を共にした軍刀というものを何時の日か実際自分の手に取って確認してみたいと思った。
 以来数十年間、この思いは心の底に沈殿し続けていた。



陸軍・軍医中尉  T・ O 
 明治34年、神戸市生田区下山手通り(旧地名)生まれ
 第一神戸中学校(旧制神戸一中、現・神戸高校)
 第三高等学校(京都・旧制三高)
 東京帝国大学医科(大正14年卒)
 日本郵船海外航路船医、日本赤十字病院医師、開業医

 帝大時代、日本陸上短距離新記録X4 大正12年第六回極東競技大会入賞。
 昭和8年、松岡洋右(満鉄総裁、外務大臣)の実家の関係者の仲介で無医村
      の山口県熊毛郡光村(当時)に招聘される。
 昭和17年、陸軍加古川連隊(兵庫県)入隊、独立野戦高射砲第33中隊配属。
 北海守備隊編成下令。昭和18年5月29日、アッツ島にて玉砕。享年42歳。



戦 後 日 本 の 歪 み

 私の目的は明確だった。私は士官軍刀の意義を知りたかった。
 これは、幼い頃から思い続けてきた課題だった。私は、士官達が佩用した軍刀の実物を手に取ってみたかった。
 そして、実物の軍刀に自ら何を感じるか、何か感じるものがあるとすれば、佩用者達の心情に些かでも近づけるのではないかとい
う無謀な期待もあった。
 従って、打刀の拵えには全く興味が無く、幼い時より思い続けてきた軍刀のみが対象となった。

 日本に体系的な軍刀資料が無く、且つ、最初は無知であった為に、結果として粗悪な軍刀を掴(つか)まされた失敗を何度か経験した。
 将(まさ)に暗中模索であった。
 私は軍刀資料を調べ始めた。然し、軍刀が極めて大きな分野であったにも拘(かか)わらず、体系的な資料が全く無い事に驚いた。
 日本軍は、敗戦に伴い軍関係資料を消却していた。その為、日本軍刀の情報は外国の出版物のみという情けない状況だった。
 私は、本家本元の日本のこの現状に愕然とした。こうした状況下で、私は軍刀の実際を調べ始めた。
 軍刀を扱う刀剣商は極めて少なく、寧ろ、軍刀が在庫されているのが奇蹟だった。
 思えば、実戦部隊の軍刀は、日本の武装解除で連合国に全て接収された。国内に残存した軍刀も全て進駐軍に没収された。
 秘匿された僅かな軍刀と、海外からの里帰り軍刀しか市場には流通していなかった。
 日本に比べて、軍刀を戦利品として持ち帰った英国とアメリカで、日本軍刀の研究が先発した理由はこうした実情に依る。
 偶(たま)に出会(でくわ)す軍刀在庫を持つ刀剣商でも品数は殆ど無く、特に外装品質の良い物は滅多(めった)にお目にかかれなかった。
 又、偶然に良質の外装が有っても本身は外ずされていた。刀身と外装を別売して得る営利主義の所業である。
 商売は否定できないが、刀剣商には軍刀を佩用していた将兵の心を想う気持ちは皆無であった。
 特に、美術刀剣界は、貴重な歴史遺産である軍刀の認識を全く欠落させていた。
 刀剣界は「軍刀」を蔑(さげす)んでいた。刀身と外装を分離するのは、軍刀外装付きの刀身は高く売れないというのが理由の一つだった。こうして、僅かに残っていた軍刀は無惨に解体されていった。

 刀剣の世界にも、戦後日本の歪みが深く浸透していた。
 又、地肌や刃文にのみ現(うつ)つを抜かす好事家達もこれに一役買っていた。
 「軍刀」という言葉を出すだけで相手の態度が豹変した。刀剣界で「軍刀」は相手にもされないという苦渋を嫌という程味わった。
 私は、激しい憤りを覚えた。
 それならそれでも良い。軍刀がそんなに嫌なら、彼等には、本身入りの軍刀に指一本触れて欲しくなかった。
 私は、美術刀剣界とその信奉者達はどこか狂っていると直裁に思った。狭視野の幼児の世界と写った。
 刀の地肌や刃文に溺れるのは勝手だが、軍刀を否定する事は日本のある時期の歴史の抹殺であり、国に殉じた人達の否定である。
 日本人なら、そして幾ばくかの良心を持ち合わせているなら、国難に身を投ぜざるを得なかった人達に対する配慮があっても罰
(ばち)は当たらないだろう。
 せめて貴重な歴史遺産である事の認識位は持って欲しいと願う。言っても詮無い話だが、刀剣界には猛反省を促(うな)がしたい。
1
占 領 政 策

 こうした状況になった背景の一つは明確だった。
 GHQ(連合国軍総司令官総司令部)の巧妙な占領政策により、戦前、戦中の日本の価値観は全て悪とされた。
 戦後の国民は、一部の軍指導者が招いた暗黒の時代への反動が大きかった為、この占領政策を簡単に受け入れてしまった。
 この占領政策は、GHQが草案した日本国憲法に代表されるように、日本を二度と立ち上がれない、骨抜きの国家にする事だった。
 日本の戦後60年は、敗戦以前の日本の歴史の全面否定の上に成り立つ異常な世相だった。
 政治、マスメディア、教育界及び世論は、敗戦迄の日本の歴史に封印をした。学校教育でも、日本史の近代科目は抹消された。
 旧軍に触れる事は一切タブーであった。
 特に、将兵の心の支えであった軍刀は、軍国主義の象徴とみられた。これは大きな偏見である。
 軍国主義とは、「敵を知り、己を知る」と云う冷徹な分析力と、緻密な計算、鋭い情勢判断力に裏付けられたものである。
 原則的には勝算ある戦いしかしない。止むを得ず戦う時は、戦争終結の綿密なシナリオを準備するものである。
 旧日本軍指導者、軍事官僚の大勢は、そのような冷徹な素養を持ち併せていなかった。
 彼等は情緒・感覚でしか物事を捉えていなかった。
 軍国主義の名にも値しない。そういう意味に於て、日本に軍国主義は存在しなかったと言える。

 軍刀に関しては更に不幸が重なった。日本民族の長い歴史の中で、日本刀は日本文化の象徴だった※1     ※1 刀と日本人参照
 占領軍GHQは、日本刀を根絶する事で、日本人の心と魂の徹底的な破壊を狙った。
 少数の刀剣関係者が、この危機を乗り越える為に奔走した。
 彼等は、GHQの方針を回避する為、「日本刀は武器ではなく美術品」だと方便を使った。
 彼等の努力によって、辛うじてある条件の一部の日本刀が存続出来るようになった。
 然し、見返りに失った代償も大きかった。即ち、日本刀を「美術工芸品」と規定したことである。

 この結果、日本刀の概念は捻じ曲げられた。
 法律によって、「古来の製作法※2」 の美的要素を備えた日本刀しか存在を認められなくなった。
 新たに製造する刀剣が対象ならまだしも、既に存在していた歴史遺産である軍刀にまで、この法律を遡及させた。
 これが軍刀保存の命運を決めてしまった。諦めきれない痛恨事である。          ※2 この虚構は「日本刀考」の各項参照
2
戦 後 日 本 の 愚 か し さ

 日本が独立する時、この歪んだ概念を訂正すべきだったが、政治政略と美術刀剣界の利権が絡んでそのまま現在に至っている。
 軍刀を調べていく過程で、特殊軍刀身は軍刀を語る上で避けて通れない大きな課題だった。
 特殊刀身の中には粗雑な物もあるが、近代科学の力で古来の日本刀を凌駕する優秀な刀身も存在した。
 然し、「銃刀法※3」によって、これらの刀身と官給下士官刀の保存は禁止となった。
 これ等の刀身は所持出来ないし、所持すれば、刀身は無惨に破断されてしまう。
 従って、異郷の地に存在するこれらの軍刀は祖国に帰ることもできない。
 これらの軍刀を佩用した将兵達の多くが祖国に殉じた。彼等はこうした状況を彼岸からどうみているであろうか。
 これは歴史の抹殺であり、国に殉じた将兵達を冒涜する事に外ならない。
※3 「銃刀法」は古来の製法としか規定していない。これを美術刀剣界は勝手に都合の良い解釈を押し通している

 私は、戦後日本のこうした歪みをどうしても納得できなかった。
 こうした考えが如何に愚かで危険であるかは、タリバンに依る摩崖仏の破壊を例に出すまでもない。
 歴史や歴史遺産というものは、後世の人間の価値観や好みに依って抹殺や破壊が許されていいものではない。

 いずれの国にも、国立歴史博物館や軍事博物館が存在する。
 忌(いま)わしいとされる兵器類が大切に保管展示してある。是非は別として、其の国の紛(まぎ)れのない歴史の事実だからである。
 自国の一時期の歴史を意図的に「抹殺」する国は、一部の独裁国を除いて、近代国家では日本だけであろう。
 しかも、先の戦争は日本有史以来、最大の出来事であった。ここから学ぶべきものは大変に多いはずである。
 歴史に学ばずして、何に学ぶというのであろうか。歴史を無視する者は、再び同じ過ちを必ず繰り返す。

 私は狂信的な軍国主義者でもなければ、「平和という念仏」を唱えていれば平和が保たれるという寝惚けた文化人でもない。
 両者共に、主張するお題目が違うだけで、その思考の根底は同根である。
 日本人は戦前・戦中の反動から、戦後、あまりにも反対方向に偏り過ぎた。
 「羮(あつもの)に懲(こ)りて鱠(なます)を吹く」にも限界がある。
 戦後日本の愚かしさと、美術刀剣界が犯した過ちは、何れ後世の歴史家に依って断罪される時が来るであろう。

 こうした国家と、占領政策を奇貨(きか=もっけのさいわい)として、自らの利益の為に誤った日本刀観を営々と吹聴し、軍刀を徹底して圧殺してきた美術刀剣界に対する憤りが、日本刀の史実を研究する動機ともなった。
 軍刀に加え、日本刀の分野を弊サイトに追加した所以である。
3

鎮 魂

 国に殉じた240万将兵の大多数は、純粋な軍人であり、それと「赤紙」一枚で召集された市井(しせい)の庶民と学徒であった。
 彼らと戦争責任とは全く無縁である。
 生き残ったのは、無謀な作戦を指導した統帥部や、自らは後方にいて、前戦の将兵達に玉砕や特攻を安易に命じた軍の上級指導者
達である。
 責任を問われない彼等は作戦の失敗に何んの痛痒も感じていなかった。
 だからこそ、無為無策の作戦を安易に下令し、行き詰まると、いとも簡単に部隊や将兵を見捨てた。
 責任を負って自決した軍指導者は指を屈するまでもない。
 一般の将兵達は、過酷な条件の中で黙々と任務を果たした。
 軍中央から見捨てられた部隊であっても、前線の将兵達は祖国を信じ日本人の矜持をもって最後まで戦った。
 こうした事実は明確にしておかなければならない。これが歴史に学ぶという事である。
 我が祖国は、そうした英霊達に対して国家としての葬儀を未だに行っていない。



アリューシャン列島最西端のアッツ島
   戦闘終了後、米軍は各所に日本兵を埋葬し、目印として埋葬数を
   記した
十字架を建てた。白木の墓標は、1978年、日本慰霊団に依る
日本人ここに眠る アッツ島玉砕・霧の日記

 国に殉じた将兵の終焉(しゅうえん)の胸中を思えば、私は決して歴史を忘れてはならないと思う。
 私はそれが「英霊」の方々への最低の礼儀だと思う。

 戦後の歪んだ風潮の中で、軍刀と軍刀を佩用した将兵達は歴史の彼方に葬り去られようとしていた。
 私は、国に殉じた将兵への鎮魂を顕す方法を模索した。軍刀は祖国の象徴であり、そして彼等の心の支えであった。
 「軍刀」を史実に残す事は、それが彼等を記憶に留める縁(よすが)の一つになると私は信じた。
 そうした思いで、私はこのホームページを開設した。

 日本での乏しい軍刀調査環境の中で、日本軍刀の母国の誇りをかけて軍刀の全貌を解明したいと思った。
 幸いに関係者の皆様方のご支援に依り、ある程度、軍刀の実態を掴む事ができた。
 然し、未だ探索の途上であり、未完であることは否めない。

 只、このサイトが、軍刀に関心をお持ちの皆様方に少しでもお役に立つのであれば、ご支援を頂いた方々へのささやかなご恩返し
に繋がるのではないかと思っている。
 そして、軍刀に対する認識と、英霊に対する想いを共有出来る方々の輪がもし広がるならば、これに勝る喜びはない。
4

ご協力者の方々への感謝

 このホームページに関しては、軍刀収集家の松原聡氏との出会いが大きく与(あずか)っている。
 又、「靖国神社」様、「東郷神社」様、「東郷会」野尻勝馬(元海上自衛隊司令)様、瑞泉鍛刀所の堀井胤匡刀匠様、陸上自衛隊大
村駐屯地様、「関市役所」様、国内外のHP開設者並びに協力者の方々、本HPご訪問者の方々等多くの皆様方(本文表示)のご支援があ
ってこのHPは成り立っている。
 ここに改めてご支援・ご協力を頂いた方々に感謝と御礼を申し上げます。





軍刀ご協力:
 松原聡様 (軍刀収集家)、東郷神社様「東郷元帥長剣」、陸上自衛隊大村駐屯地様「三十二年式軍刀」、橋本訓明様、丸谷護様、
 荻野一信様、米山高仁様、山畑繁明様、小島克則様、佐藤康弘様、西敏和様、盛 泰寛様、太田淳一様他本文表示の方々

資料ご提供:
 靖国神社様「元帥刀」、野尻勝馬様 (東郷会)「東郷元帥に関する写真・資料」、瑞泉鍛刀所・堀井胤匡刀匠様「三笠刀・謝恩刀」
 社)日本金属学会付属金属博物館・東洋刃物(株)様「振武刀」、関市役所様「戦時下の刃物産業資料・写真」、
 群馬県立博物館様「群水刀」、知覧特攻平和会館様「魂魄の記録」、K.森田様「満鉄資料・群水刀」、
 石川志珪夫様「助廣・長光」、たかひろ様(米国)「銃剣」、施純男様(台湾)「砲兵刀・銃剣」、甘記豪様(台湾)「銃剣」、
 岐阜県立博物館様「天照山」、寺田憲司様「村田刀」、(株)カワイスチィール様「東郷ハガネ」、
 偕行社文庫様「九五式軍刀関係資料」、小野義一郎様(小野測器会長)「南満造兵廠」、
 森良雄様「日本刀受難記・他」、藤本礒様「南満造兵廠」、國安輝久様(陸士60期)「将校写真」、光本雅弘様「円真刀」、
 安原久悦様「村田銃剣」、当時の関係者証言、他、
 Mr.Ronny Ronnqvist (フィンランド-日本文化友の会々長)、フィンランド共和国文化財委員会、Mr.Guy Vanduyfhuys (ベルギ
 ー)、Mr.Frank Stand (米国)、Mr.Simon Rowson (英国)、Mr.J.Michael Kerrigan (米国)、 Mr.Tom Conroy (米国) 他海外ご
 提供者

情報探索ご協力:
 森 良雄様 著書「日本刀受難記」(1998年3月26日星雲社)、「元帥刀と軍刀」、「日本刀と西南戦争」、「皇室行事と日本刀」、
 「日本刀帝展出品騒動」、「巡査帯剣の歴史」  略歴 昭和31年3月中央大学法学部卒 陸上自衛隊重火器中隊小隊長、
 名古屋自動車学校法令指導員・技能検定員、綜合警備保障且x社長・事業部次長 日本安全警備椛樺k役

軍装ご協力;
 松原聡様「陸軍将校軍刀帯」、澤田米男様 (陸士60期) 「陸軍将校軍帽」、橋本訓明様「海軍剣帯」、
 Y.近藤様 (東京・品川区) 「海軍兵学校制帽」、太田淳一様「海軍士官軍帽と剣帯」

補修協力:
 鉄鞘・金具焼付塗装: 藤崎塗装 ( 045-543-1074 )、 金具鍍金: 内山鍍金工芸 ( 03-3844-2280 )



参考文献目録




サイト管理者: T.Ohmura
経歴: Hitachi Zōsen information system Co,Ltd 取締役、
   上場企業の設計標準化運動の推進、
   国際 CIM Symposium 事務局長 (CIM=Computer Integrated Manufacturing 座長:北海道大学・岩田教授)
著書: 「情報検索論」、「設計に於ける積み木遊びの原理」((社)日本マイクロ写真協会)、「CAD/CAM概論」(日立造船情報システム)、他




2013年9月12日改装
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