歴史・戦史 フィンランドへの贈呈刀 (3)
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マンネルヘイム元帥への贈呈刀
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角 岡知良と黒龍会
マンネルヘイム元帥
マンネルヘイム元帥は独立戦争(1918)、冬戦争(1939/1940)とソ連に対する継続戦争(1941-1944)のような、フィンランドの運命
を決定した戦争での最高司令官だった。彼は、ソビエトの攻撃からフィンランドを救った独立の英雄である。
銘: 贈マンネンハイム将軍 日本人角岡知良
裏銘: 笠間繁継彫同作 昭和10年12月吉日
←刀身に「忠孝」の彫り
鞘書きに「荒魂」→
鞘書: (黒龍会主幹・内田)良平
角岡知良
(すみおかともよし)
は「五・一五事件」の軍事裁判で陸軍側被告の弁護人を務めた人物。
彼とマンネルヘイム将軍との接点は不明。
笠間繁継は一時期、頭山満の鍛刀所にいた。国家主義者で右翼の巨頭・頭山満(玄洋社)が絡んでいたとの見方がある。
鞘書きは頭山満の教え子で国家主義運動の指導者・「黒龍会」主幹の内田良平の直筆。頭山満は黒龍会の顧問だった。
この贈呈短刀は、角岡知良と黒龍会の関係を浮き彫りにし、歴史の事実を解明する興味深い物証となった。
頭山 満 内田 良平
この近代的な太刀は、龍の目貫から、黒龍会が絡む贈呈刀と思われる
写真はマンネルヘイム博物館 (在ヘルシンキ)様のご好意に依る。ロニー・ロンクヴィスト氏経由でご提供戴いた
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角岡知良と黒龍会
従来、角岡知良の人物像は明確ではなかった。本項をご縁に、T.S様から貴重な情報のご提供を頂いた。
日本近代史の一隅を照らす重要な情報である為、筆者の独断と責任に於いて、ここにその内容をご紹介する。
角岡知良
(すみおか・ともよし)
は、「「五・一五事件」の陸軍側被告人、浜田首相暗設事件(1930 年) の佐郷屋留雄、永田軍務局長刺殺事件(1935年) の相沢三郎の弁護人を務めた人物で、近代日本史の中で非常に重要な位置にある人物だった。
角岡には、外交官としてのもう一つの顔を持っていた。
エチオピアのアムハラ語研究者としても知られ、日本語とアムハラ語が同一起源と主張する角岡は、エチオピア帝国の皇室に深い縁交
を持ち、エチオピア王子の花嫁に黒田子爵家の令嬢を推挙するなど、興味深い活動をしていた(
この話は、イタリアから の横槍で実現せず)
。
イタリアのエチオピア侵攻に憤慨する角岡は、いくつかの論考を発表したが、出版元は黒龍会出版部だった。
1931年、角岡は「日本ツラン協会」という団体を発足させた。
このツラン協会とは、「ツラン語族(ウラル・アルタイ語族と重なる非印欧語族)が一つにまとまり、印欧語族の支配に苦しむ世界を
解放する」という発想の政治運動団体で、日本人は東端の大国として、その中心的な役割を果たすべきだと主張した。
これは汎ツラン主義と呼ばれ、元々はオスマン・トルコの世俗運動だった考えが、第一次大戦後のハンガリーに受け継がれ、主に
ハンガリー人から日本に伝えられた。
日本語とアムハラ語との関係にのめり込んでいた筈の角岡が、なぜウラル・アルタイ語族の汎民族運動の旗手を買って出るようになっ
たのかという問題には不明な点が多く、今後に課題を残す。
当時、すでに俗化した言語学的な関心から、「フィンランドに住む人間とハンガリーに住む人間が日本人と同種人である」と信じる日
本人は多く、地図上で、この「日本人の類縁」の民族世界が、満州からモンゴル、中央アジアのトルコ系民族、ハンガリー、
フィンランドと、ちょうどソ連の領土を取り囲むように広がっていた。
故に、対ソ戦略の決定打を探る満州・関東軍の一部の軍人やソ連を仮想敵国としていた団体に、この汎ツラン主義という考え方が伝播
して行った。この発想は黒龍会の活動にも近接していた。
龍の目貫を持つフィンランドへの近代的贈呈太刀の写真は、実態のよくわからない黒龍会の活動に光をあてる貴重な資料となった。
日本短刀贈呈の時点で、角岡知良とマンネルヘイム元帥との個人的な関係は無かったとみられる。
何故なら、「マンネルヘイム」とすべき刻印を「マンチンハイム」と誤り、更に角岡は自分の名前の前に「日本人」と彫らせているからである。
これは「汎ツラン主義」という政治思想が念頭にあって、「フィンランド人とハンガリー人が日本人と同種人」であることを強調する一文句として機能していると考えられる。
その推測の裏付けとして、角岡知良は、1936年にハンガリーの摂政ホルティ・ミクローシュにも日本刀を贈呈していることが挙げられる。
このことから、マンネルヘイム元帥への短刀贈呈の時期も、茎に刻印された年期の翌年、1936年だった筈である。
又、角岡知良による日本刀の贈呈は、マンネルヘイム元帥個人への謝意・顕彰ではなく、日本における汎ツラン主義という政治運動の
中の政策だった可能性が強い。
ハンガリーのホルティ・ミクローシュには、日本刀の他に、二揃いの甲冑と二つの花器が一緒に贈られていることが判明している。
ハンガリーの資料に「価値あるサムライ刀」と記載されているこの贈呈刀が、今も遺されているかは不明だが、贈呈刀は笠間繁継の作
品だった可能性が高い。
フィンランドへの贈呈太刀は、柄に「龍」の彫り物が施されていることから、黒龍会(又は黒龍会経由)からの贈呈だった可能性があ
る。
ハンガリー側の記録を照らし合わせると、フィンランドにも甲冑が贈られて、太刀はその甲冑の揃いだった可能性がある。
もしそうであれば、マンネルヘイム元帥とホルティ・ミクローシュ摂政への贈呈品自体が、すべて黒龍会からの出資に基づいていたの
ではないかと推測される。
日本とフィンランド、日本とハンガリーの外交史を考える上で、非常に大きな問題につながる可能性を孕んでいる。
(このT.S様の情報開示は全て筆者の責に帰す)
2013年10月4日より
(旧サイトから移転)
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