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←輸送船「玉鉾丸」(たまほこまる) 船団に移送された連合軍捕虜 772名(米43、英190、豪267、蘭266) 米・潜水艦の雷撃で死亡した捕虜560名、 翌朝、救助船で救助された捕虜 212名(米13、英42、豪72、蘭85) インドシナから引きあげる日本婦女子も多数が犠牲になった |
上) 軍医の夫人。残念乍ら、2013年4月、映画の完成を待たずに永眠された。 下) 軍医に恩義を受けた日本人として、「日本近代刀剣研究会」の寺田会長と筆者は、 決して恥ずかしくない簪、髪留めなどの日本伝統工芸品をご遺族に贈呈した。 右は夫人、中央二人はご息女。左は我々の贈り物をご遺族に渡しているプロデューサ ーのBob Jackson氏。 |
上) 長崎県神社庁の東照宮で軍刀の説明をする筆者 下) 礼に筆者に贈られてきた軍医の著書の裏表紙に 書かれたご息女 Adrienneさん(左写真中央右)と Nicola さん(中央左)の自筆サイン |
『 Gambit Pictures(株)は、アイルランド(国営)放送局より、ドキュメンタリーを制作 するための資金が与えられた。 ドキュメンタリーは、「ある軍医の刀」という物語で、第二次世界大戦中のエイダ ン・マッカーシー軍医の経験を明らかにするものです。 マッカーシー軍医は長崎の原子爆弾攻撃を生き延びた戦争時の連合軍捕虜のうちの一 人であり、その余波の中で救援活動を手伝った人でもありました。 長崎の廃墟の中、敵味方関係なく生存者を助けることに尽力し活動したマッカーシー 軍医は感謝の印として日本軍刀を授与された。 ドキュメンタリーはマッカーシー軍医の物語を伝え、彼に軍刀を与えた日本軍将校の 家族と刀を再び繋ぎ合わせることにある。 これには2013年7月に、(贈呈された)日本軍刀とニコラ・マッカーシー(マッカーシー 軍医のご息女)が日本を訪問する必要がある。 事前に刀を持ち込む許可を得る為の連絡を千葉県公安委員会に行った。 然し、このようなケースは今までなく、警視庁に判断を任せることになった。 警視庁は、刀を日本に持ち込むに十分な理由が必要との懸念を強調しています。 |
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しき友マッカーシー少佐に餞別と共に贈る 君のご多幸を祈る 昭和二十年八月平和到来の日 楠 野 |
上) 西日本新聞8月11日朝刊の、ご遺族判明の報道記事 右) 同じく西日本新聞8月11日のニコラさんと筆者の 対談を伝える記事 対談では、当時の日本人にとっての軍刀の意味をニコ ラさんから主に聞かれ、写真裏の献辞から、楠野少尉 とマッカーシー軍医との立ち位置の関係を、国文学の 大部淑子女史共々説明をした。 |
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