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8月16日・17日〜東京(靖国神社参拝)、19日
山中湖(富士登山) 8月23日〜軽井沢(近衛邸レセプション他) 8月28日〜日光中善寺湖畔(東照宮) 8月31日〜会津若松(白虎隊々士の墓参) 9月04日〜函館、9月05日〜札幌〜支笏湖畔 9月10日〜岩手・仙台(政宗像)・青森(奥入瀬)・秋田(竿灯祭り) 9月22日〜鎌倉(鶴岡八幡宮) 10月02日 岐阜、3日 関町(日本刀鍛錬見学)〜名古屋 10月07日 伊勢神宮参拝、10月10日 法隆寺見学 10月13日〜京都・大阪(清水寺、金閣寺、大阪城見学他) 10月22日 瀬戸内海深勝(鞆ノ浦など) 10月23日〜別府、10月25日〜宮崎(鵜戸神宮参拝) 10月29・31日〜熊本・雲仙、11月03日 長崎(ベーロン見学) 11月04日 福岡(博多人形・修猷館中学) 11月07日 厳島神社見学、 11月12日 歓送会(神戸オリエンタルホテル)、神戸港より帰国 |
(お茶の水女子大学所蔵) |
関町では、 HJ一行の来関に備え、刀都としての誇りと威信をかけて刀剣館を仮設して 万全の準備を整えた。 この刀剣館で日本刀の展示と日本刀鍛造の実技が披露された。 ドイツのゾーリンゲンは刃物産地で世界的に有名だった。 ゾーリンゲン出身の若きウェルナー・ヘルウェグさんもこの訪日HJ 団員の中にいた。 今回、日本に返還された短刀の持ち主である。 日本刀の神秘的な美と、ドイツの刃物とはいささか製法を異にする日本刀鍛造法に彼等 が驚嘆したであろう事は容易に想像がつく。 更に、関町では、日独親善の証しとして、HJ 隊員達に贈呈する短刀を事前に準備してい た。この年に改称された「日本刀鍛錬塾」の若き刀匠・兼秀 (本名:中田勇、当時24歳) 他が 31 口作刀した。これらの短刀は白鞘に収められ、HJ 団員全てに贈呈された。 銘: 大日本國關鍛錬塾兼秀作 裏銘: 為 ヒットラー・ユーゲント来訪記念 刃長: 六寸五分 (20p) |
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井戸誠嗣氏を報じるドイツ地元新聞 |
新聞記事の要約は「この刀は魂と力を込めて造られた。日本のビジネス
マン井戸誠嗣 氏が、ショーケースから慎重に刀を取り出した。自分の腕で抱えて刀を検査した。 井戸氏は博物館に今年も来訪。そしてゾーリンゲンの刃物メーカーのいくつかを訪問 する。今回も伝統に従って刀の手入れを行った。 そしてドクター・バーバラ・シェーバーズ館長は、この刀には歴史があると次ぎのよう に述べた。 "これは父親の正一氏が、昭和37年(1962)、日独修交百年を記念して、感謝の意味を込 めて(当博物館に)贈られたもので、博物館として記念すべき寄贈品である。 以来、定期的にゾーリンゲンを訪問する度に(正一氏が)手入れを行ってきたが、父亡き あと、二代目の子息に引き継がれ、今年も行われた。 柄を外すと作者と制作年代が判った。この刀は精神を込めて作られたと書いてある。 そして、井戸さんと博物館を結ぶ友情で出来ている"」との内容であった。 |
短刀と白鞘を手にする井戸氏。白鞘には「濃州関日本刀 鍛錬塾兼秀作」と書かれている (関市の(株)井戸正にて) |
ヒトラーから直筆手紙と共に贈呈された 西洋兜(上)、短刀々身(下左)と白鞘(下右) |
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