日本刀の考察 030

居 合 斬 道 家 に 聞 く

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「無雙直伝英信流居合道」及び「無双流居合斬道」の宗家 古岡二刀斎(本名勝)師に電話インタビューに応じて戴き、大変丁重なご
説明を頂戴した。
私が師に注目したのは師の経歴である。
師は昭和15年、陸軍予備士官として支那に派遣され、終戦時大尉で帰還された。
軍隊を経験され、ご高齢でありながら「居合斬道」を実践しておられる師は大変貴重な存在でおられる。
戦後の師の燦然たるご経歴にも拘わらず、極めて気さくにご説明を戴き大変恐縮をした。
師はお立場上、軍での経歴は具にはお話にならなかったし、此方も失礼になるのでお尋ねしなかったが、お話の端々で、豊富な軍刀
使用の経験をお持ちである事が窺える。
支那大陸で、古岡大尉の噂を聞きつけた憲兵将校達が、古岡大尉の下に軍刀操法の教えを請いに多数訪れたという。
古岡大尉は任官前の段階で既に「真剣操法」に相当習熟しておられた様である。
私の主旨は、陸軍兵科将校の軍刀の意味と軍刀操法の「生のお話」をお聞きする事にあったので、直裁にその質問をさせて戴いた。
以下要点のみ記す。


                               古岡二刀斎師の試斬                    (チャンネル桜より)

1

柄 握 り の 間 違 い


私は剣道を経験し、若い頃、脇差し(近江大椽藤原忠広)で和竹を切った事もある (刃まくれを起こした)。
柄の握り方は、鍔の傍を右手で握り左手は大きく離れて柄頭(兜金)の近くを握る。之を常識と思っていた。
師が先ず言われた事は、柄の持ち方を皆さんが間違えている。
これでは刃筋は通らず、刀は曲がったり折れたり、 斬れ味も悪く、敵に致命傷を与える事は出来ない。
時代劇に観るような柄の持ち方は間違いであって、これでは絶対に物(人)は斬れないと断言された。
師は、鍔の傍を右手で握り、左手は右手から指一つを置いた処で握るものだと言われる。

ここで思い当たる節がある。騎馬戦では太刀は片手で操った。
両手握りの徒歩戦に移行した時、刀は既に主武器ではなくなっていたし、実戦で使う刀は消耗品と考えられていたから、柄の損傷は
当時は大きな問題とはならなかったのかも知れない。
それとも古えの武士達は師と同じ握り方だったのだろうか。
軍刀柄の破損の原因の一つは、この柄の握り方にも起因している様に思える。
 
人を斬る時、目釘を支点として、茎尻には下向に大きな応力が掛かる。柄頭を握った左手がこの茎尻の応力に逆らって柄頭を上に向
ける理屈になる。茎と柄の作用・反作用の大きな力学上の相剋が、朴の木の柄の中で生じることになる。 
師の言われる握り方だと、左右の手はほぼ目釘の位置で握られる事になり、柄には茎尻の応力に逆らう力が殆ど生じない。
目釘や柄の破損の理由の一つはこの柄の握り方にもあると思われる。
2

手の内・間合い・刃筋


刀が本当に斬れるか斬れないかは「手の内」と「間合い」にあり、正しい「手の内」でなければ絶対に人を斬ることはできないし、
日本刀の威力・特徴などその真価は発揮できないと言われる。
「間合い」は剣道の経験から意味は充分理解できるものの、「手の内」は正直、真剣で物斬りの修練をしていない私には難解であっ
た。
師の下には、うら若き女性から大柄の外国人男性迄巾広い人が修行にきている。
大柄の外国人は殆どが刃長76p位の大刀を使うという。(因みに師は大変小柄でいらっしゃる)
修練が浅い時の彼等は力に任せて物を斬るので、安くもない刀を大抵曲げて仕舞うと苦笑しておられた。
その点では短い脇差しは曲がり難いとの事。これは物理的にも充分理解できる。

「手の内」を修練した若い女性消防士で、見事に物が斬れるようになった人がいるとのお話があった。
「手の内」の意味と「刃筋 (刀身の軌道)を通す」ということが、その女性消防士と外国人男性の例を重ね合わせる事に依って何とな
くその輪郭が私なりに掴めたような気がする。
「手の内」を会得すれば力などは要らないし、刀の自然の動き=軌道に任せれば良いとの説明であった。
師は事もなげに仰しゃったが、6年に及ぶ戦場での実戦経験と戦後の永い修練の積み重ねで極意を会得された師にこそ言える話であっ
て、素人が直ぐにその境地に達する訳ではない事は云うまでもない。
刀が斬れるか斬れないかは、将に「使い手の腕」ということはよく理解できる。
刀柄の神秘性 参照 

3

将 校 と 軍 刀

将校軍刀の意義をお尋ねする為に、先ず昭和12年の「百人斬り競争」の件をお尋ねしたら「副官と歩兵砲だろう。あり得ない」との
明快なお答えだった。
古岡大尉の任官時期と特殊任務に就かれていたご様子(当方の推測)なので、一般将校軍刀の意義をこれ以上お尋ねすることは無意味
と思い質問は取り止めた。
騎兵が機甲に変った後、士官学校では歩兵科生徒のみ本科で戸山学校軍刀操法の教練があった。
将校達の軍刀操法の程度をお尋ねしたら「特殊な任務でない限り、将校は軍刀操法など殆ど知らない素人ですよ」との事。
短期間の教練を受けても使いものにならないと云う意味を込めての事のようだ。
4

血 刀

これに関して人を斬った血刀の処置をお尋ねした。
刀に付着した血脂はすぐに白くなり、時間が経つと固形化し、そうなると血脂は絶対取れなくなるとの事。
従って人を斬ったらなるべく早く手入れをしなければならず、布で拭った位では駄目である。砥石をかけるのが一番だが、砥石を戦
場で持ち歩く訳にはいかないから最低打ち粉と拭い紙の手入れ道具は必要である。
人を斬ったら必ず手入れが不可欠で、これは常識とのお答えだった。古岡大尉の兵科と軍務が今一つ不明な為、一般将校の状況の
応答に些か齟齬(そご)をきたした。
全将校が軍刀手入れ道具を戦闘中も携行したのであろうか。
軍務・兵科にも依るが、第一線の歩兵将校達が連続戦闘や激戦の状況で果たしてそんな余裕を持てたのか、ここは少しく疑問の残る
処であった。

因みに、血刀をその儘にして置くと、一晩で真っ赤な錆を生じる。
刃部は最も錆に弱い部分で、血脂の固着と共に数日で刀は使い物にならなくなる事が実証されている。
生半可な刀身の手入れでは、その刀身を何日も掛けて連続使用するという事は斬れ味からしても大変難しいという事になる。
5

満 鉄 刀


古岡大尉の軍刀に関心があって、佩用軍刀をお尋ねした。
「満鉄刀を使っていました」とのお答えに少し意表を突かれた思いであった。
私は常日頃「日本刀」とは何であろうかと自問自答している。
刀剣界では古式鍛錬法(と云っても新刀以降の事) で作られた和鋼以外の刀剣は蔑視され、日本刀とは認めていない。
武器性能としても全く劣る物と流布されている。意表を突かれたという事は無意識にもそういう考えが心の奥底を蝕んでいた事にな
る。
大変失礼乍ら、思わず「性能は如何でしたか」と、我ながら愚問を発っして仕舞った。
「切れ味が良く、大変良い刀でした」とのお答えであった。
「巷間、日本刀に比べて満鉄刀は劣ると云われていますが・・・それに対するお考えを」と更にお聞きしたい衝動に駆られたのだ
が、「日本刀談義」が目的ではないのでそれ以上のお話はさし控えた。

これに関連して二つの話がある。



 1) 登録証付きの「満鉄刀=興亜一心銘」を保有されている方が、さる著名な研師に研ぎに出された。その研師はプライドの高い方
   で、上作の日本刀以外は一切受け付けない人であった。
   只、研ぎに当たり、その研師に顔が利く仲介者がおられて、その関係で満鉄刀の研ぎが実現した。
   その研師からすれば満鉄刀は「埒外(らちがい)の物」で、普通では実現出来ない話しであった。
   満鉄刀は見違えるような仕上がりで却って来た。刀身と共に仲介者の「裏話」が一緒に付いてきた。
   その熟練研師の方が、こともあろうに研ぎの過程で指を切ってしまわれた由。
   研師の方曰く「満鉄刀は凄いな」との感想であったという。この「凄い」という意味が何を指しているのかは定かではない。
   指を切られたので「良く切れる」という単純な意味だったのか、もっと深い意味を持っていたかはついぞ確認できなかった。
   これは落語の「落ち」の話では無い。興味ある話である。
                                  満鉄刀の全貌参照
 2) A刀剣店のT社長より以前にメールを頂戴した。
  「江村」・「長光」に就いて、
  「戦中の軍刀は全く駄目だと思っていたが、上研ぎにかけたら見事な刃文と地肌が出てきて驚いた。戦中の物が悪いと云われる
  のは、研ぎが粗略な為で、良い研ぎにかければ見違える刀になる。見直した」
  という主旨の内容であった。  

刀剣界はどうも固定観念と偏見が渦巻いている世界のようである。
殆どの人がそれに洗脳されていて、確たる理由や実証が無いままに、偏向した観念に囚われ過ぎているように思えてならない。




2013年9月4日より
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