歴史・戦史 百人斬り裁判考(2)0

「百人斬り裁判」     冤 罪 を 濯(すすぐ)

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冤 罪 は 終 わ っ て い な い 

 前項で、「百人斬り裁判」の結果を述べた。
 この裁判の論点が、国民が最も関心を寄せていた「百人斬りがあったかどうか」を争ったものではなく、毎日新聞の記者が「勝手
に書いたか、二人の少尉に聞いて書いたか」という、世間の関心と著しく乖離したところにあった。
 即ち、記事の内容の真偽を争った訳ではなかった。
 これが実に大きな禍根を残した。
 「新聞記者が勝手に書いたとは言えない」という判決は、「記事の内容は正しかった = 百人斬りはあった」かのような印象を社会に与えてしまったことである。
 元々の「争点が間違っていた」の一言に尽きる。
 その為に、近隣国のでっち上げも否定できないままとなっている。

 中国の「抗日記念館」と台湾の「国軍歴史文物館」には、向井・野田両少尉が百人斬りに使ったと称する軍刀が展示してある。
 展示軍刀の写真を見ただけで、人斬りに使った軍刀とも思われないし、何よりも、終戦時の大量の武装解除と接収時にどうして持
ち主が特定出来るのか。現に、野田少尉の軍刀は、日本の実家に厳然と存在するから、荒唐無 稽な話である。
 これらの展示軍刀は、戦後60年以上を経過しても尚、徹底した反日教育に使用されている。
 日本国憲法は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」と高邁な理想を謳った。何時までこんな幻想に浸っているのか。
 「平和を愛する公正と信義の諸国民」という近隣国が何処に有るのだろうか ? あったら是非とも教えて欲しいものである。

野 田 少 尉 の 軍 刀



 左: 野田少尉の実家にある写真立ての中の写真を切り出した。
  左が向井少尉、右が野田少尉。

 下: 写真下部にある説明書き (野田少尉自筆)
   南京攻略戦常州駅ニテ
   昭和十二年十一月二十九日
   (大毎社佐藤特派員撮影)

 両少尉とも、第二佩鐶を外した九四式軍刀を携えている。

 百人斬り裁判で原告側証人として証言した元東京日日新聞(現毎日新聞)特派員
 だった佐藤振壽カメラマンが浅海記者に頼まれて撮影したもの。
 この写真が中国と台湾の反日記念館や反日教育に使われ続けている。
 それに就いて佐藤カメラマンは「忸怩たるものがある」と述懐している。

    

 大紀元時報の相馬洋道記者に依頼されて、2007年9月1日、野田少尉の実妹・野田マサさんを鹿児島に訪ねた。
 目的は、野田少尉が佩用していた軍刀を確認す る為だった。

 野田少尉が昭和12年当時佩用していた上記写真の軍刀は、戦後、米軍の刀狩りを逃れ、野田少尉が中国の不法な要求で警察に連行
された時もこの刀が問題にな ることも無く、親族の方々に依って野田少尉の貴重な遺品として守られ続けていた。
 片田舎から陸軍士官学校に入り、帝国陸軍の将校となった野田少尉は住民の誇りだった。
 その為に、野田少尉が任官する時、近所の神社の神主から刀が贈与され た。
 無銘の「伝・波平」の刀と云われている。この刀を慎重に精査した。

野 田少尉の遺品の九四式軍刀


      右が野田マサさん、左が筆者
 外装所見
 細身の外装は遠目に見ると綺麗だが、それなりに傷んでいる。
 野田少尉は騎兵用グルメットを使用しており、その為にグルメットと接触する
 佩鐶周辺に塗装剥げが顕著に出ている。
 戦地では野戦革覆いを付けていたので内地佩用の時の疵であろう。
 金具に緑青が浮き、外装が補修された形跡は認められない。
 往時の儘の状態と推測する。

 切羽の不足は、恐らく戦後のご親族に依る何度かの手入れの際に、一部が欠落
 したようだ。

    個人情報保護の為、顔の一部をマスキングしている。見苦しい点はご了解下さい
        (総ての写真撮影は大紀元時報の相馬洋道記者に依る)



 金具に緑青が付着。
 口金は破損。佩鐶附近の塗装剥げが酷い。

 写真に写っていないが、佩鐶前後の棟にはグルメットに依る と思われる無数の擦過傷がある。







        立葵の大切羽二枚、タテシノ、小刻み各一枚が欠落。右の菊座と左から二番目の菊座は裏を撮影。
        金具の打刻 41。
        何故金具を紛失したかは不明。現在保管を継承されている親族の方もその経緯をご御存知なかった。

刀 身 所 見


 刃長: 61.2p、反り: 1.8p
 下の写真で判るように、60pの刀身でこの身巾だから相当に細身である。
 身巾と重ねを計るノギスを持参しなかった事が悔やまれる。
 最初に抜刀した時の印象は、実戦刀にはほど遠く、朝儀用飾り大刀を連想した。
 研ぎ減りに依る細身かとも思ったが、刀身地肌の疲れ、ハバキ周辺の観察、納刀時の入れ子鞘との整合性等を勘案すると研ぎ減り
した刀身とはとても思えなかった。

 最も関心があった物打附近は勿論の事、刃コボレは一切認められず。
 ハバキは固着して外せない為に刃区、棟区は確認できなかったものの、ハバキの状況、入れ子鞘との整合性を考えるとこのハバキ
は新製時の儘、即ち刀身も軍刀調整時の儘と推定するのが妥当である。

 100人もの人を斬った刀なら相当の研ぎ減りがあるものと思われるが、刀身観察上、その気配は全く感じられない。
 親族のお話に依ると、支那から内地に帰還して、もう一振り日本刀を増やされた(外装無し)が、野田少尉が大切にされていたのは
この伝・波平だったという。
 ご親族は、これは「波平」などではないと苦笑されながら、それでも野田少尉はそのように信じていたとの事であった。




 切先側↑と物打部分の拡大(左)
 共に地肌の荒れと刃の状態を対比して貰いたい。
 若し、人を斬ったり、刃コボレなどの理由で刀身を研ぎ直したものな
 らば、例え70年を経過しても地肌はこんなに荒れるものではない。
 贈与された時の刀身の状況は判らないが、思うに、この刀身は野田少
 尉が佩用してから一回も研がれた事がないのではないだろうか。
 贈与前からの古研ぎの状態で佩用し続けた結果のように思える。
 ハバキを外して専門家が分析すれば確実な結果が得られる筈である。
 そうだとすれば、この刀身は一回も人を斬ってはいないと言う事にな
 る。
 刀身中央部↓: 切先側と同様である。




 ハバキは固着し、頑として外れなかった  
 研ぎ減りして調製し直したハバキには
 とても見えない


 野田少尉はこの軍刀を携えて前線に赴いた。この刀以外に軍刀を所有していない。
 予備の軍刀を携えていた将校は先ず皆無と言って良い。
 歩兵将校でもない野田少尉が、最初から白兵戦を想定して戦地に赴いたとはとても思えない。
 軍刀外装の傷みの状況からも、常時佩用していた軍刀である事はほぼ間違いない。
 細身の刀身、古研ぎの刀身状況から判断しても、「百人斬り」とは全く無縁の刀であったと判断する。


       


 不思議なのは、台湾の「国軍歴史文物館」には、向井又は野田少尉の百人斬り競争に使われたと称する軍刀が堂々と展示してある
事だ。
 向井少尉の軍刀に関しては未だ調査していないので何とも言えないが、少くとも昭和12年当時、南京に進撃していた野田少尉が帯
びていた軍刀はこれである。
 残るのは向井少尉の軍刀だが、中国に召喚される時、軍刀を携えた記録は無い。
 野田少尉の例を見ても、佩用した軍刀は家族の手元に残っていたか、米軍の刀狩りで接収された可能性が高い。
 従って、台湾の「国軍歴史文物館」の百人斬り競争の軍刀はでっち上げということが確信できる。
 彼等は自分達の主張のためには「嘘でも何でも構わない」と平然と思っている民族だからである。

 軍刀のでっち上げと同様に許されないのは、中国反日施設での上掲した向井、野田両少尉の写真の反日宣伝への悪用である。
 これに対して国家は何の抗議行動も起こさない。
 独立国でありながら、国民を多数拉致されても知らん顔をしている政府だから当然なのかも知れない。
 もっと愕然とするのは、こうした中国の反日施設の落成やリニューアルオープンに祝辞を述べ、表敬訪問までする愚かで信じ難い
日本の政治屋がかなり存在する現実である。そうした政治屋を選んだ選挙民の責任も厳しく問われなければならない。

 十代の昔、「ロベレ将軍」(題名はうろ覚えで不確か)という映画を観た覚えがある。
 その映画の中で、ある敵国の内通者がレジスタンスの尋問を受ける場面があった。
 そのスパイは「私は何もしていない」と必死に抗弁する。
 それに対してレジスタンスのリーダーが言い放った。
 「この国家の非常時に、お前は何もしなかったのか ? それがお前の最大の罪だ」・・・と。

 寝ぼけた戦後60年の間、社会や国家に巣くう膿は溜まる一方だった。巧妙な宣撫工作の手先は日本の全ゆる分野で増殖している。
 「日本は日本人だけのものではない」、「隣の国が不愉快に思う事をすべきではない(換言すれば、相手の言うままになっていれば良い)」などと言う、信じ られない売国奴を首相にした国である。
 それが恰(あたか)も文化人であったり平和主義者であるかのように錯覚しているところに救いようのない この国の悲劇がある。
 チャイナの植民地になって初めて目覚める以外に、日本を再生する道はないのかも知れない。
 それが嫌なら、レジスタンスのリーダーが言った言葉を、今こそ国民が真剣に噛みしめるべきであろう。





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