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フィンランドへの贈呈刀


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フィンランドの二人の将軍に贈られた興亜一心刀



      銘: 興亜一心滿鐵作之
      裏銘: 昭和庚辰春(かのえたつ=昭和15年)
      製造a@リ 一 〇 八
      Paavo Juho Talvela将軍へ贈呈

      銘: 興亜一心滿鐵作之
      裏銘: 昭和庚辰春(かのえたつ=昭和15年)
      製造a@リ 一 一 〇
      Wiljo Einar Tuompo将軍へ贈呈

製造109が空いているのは謎。もう一振りフィンランドの将軍に贈呈されている可 能性がある
この刀身は、九八式軍刀外装に納められて贈呈された
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フィンランドと日本

 フィンランドは地勢上、スゥエーデン、デンマーク、帝政ロシアに隣接し、此等の国々の争いに常に利用されて支配や迫害を受け
た長い歴史を持つ。フィンランド人にとって民族の独立は悲願であった。
 国民的英雄シベリウスの交響詩「フィンランディア」はフィンランドの人々の心の支えであった。

 フィンランドと日本との接点は日露戦争に遡る。
 スゥエーデン駐在武官であった稀代の傑物・明石元次郎大佐は、フィンランド独立に命を賭けた革命家コンニ・シリアクスと巡り
会った。この時、フィンランドは自治権を持つ大公国としてロシア帝国の一部であった。
 ニコライU世になって圧政が強まり、これに抵抗する為に独立運動の地下組織が結成された。
 日本にとってもロシアは大きな脅威であった。
 彼等は『ロシア帝国を後方から揺さぶって日露戦争で敗北させる』という壮大な計画を実行に移した。
 日本は独立運動地下組織に多額の援助を行い、武器弾薬も供給した。
 アジアの小国日本が、大国ロシアを打ち破った日露戦争(1904-5)が契機となって、フィンランドの人々に大きな独立の希望を与え

 1917年3月4日、帝政ロシアが崩壊。
 ロシアからの独立を目指す有産階級(白軍)と、ロシア共産革命派に共鳴する労働者階級(赤衛軍)とが対立したが、ロシアからの独
立という共通目的で1917年12月6日独立を宣言した。
 しかし、赤衛軍が1918年(大正7年)にヘルシンキなど南部地域を掌握した為、両派は凄まじい内戦に突入する。
 政府は英雄・マンネルヘイムを指揮官に任命し、ドイツ・スゥエーデンも義勇軍を送り、タンペレの決戦で白軍が勝利した。
 これは「開放戦争」(1917-1918)と呼ばれる。
 白軍はカレリア地峡に出兵。これを援助する為、ドイツ皇帝の義弟フリードリヒ・カールを国王に迎える計画があったが、ドイツ
帝国は第一次世界大戦に敗れ、ドイツ革命で帝国は崩壊した。
 フィンランドの総選挙で共和派(農民党、自由党、社民党)が大勝してフィンランドは共和制へ移行した。
 
 暫くの平和の後、ソ連が再びフィンランドを脅かし始めた。
 フィンランドは反共産主義の立場からソ連の侵略を食い止める為、ドイツ・イタリア・日本と同じ側に立ち、第二次世界大戦では
1939年(昭和14年)11月30日、第1次戦争(冬戦争=100日間)で圧倒的物量のソ連軍を見事に撃退した。
 1941年(昭和16年)6月25日、ソ連の攻撃で始まった第2次戦争(継続戦争)でも善戦し、勇敢な防衛戦を展開した。
 ドイツの敗北でフィンランドも敗戦国となり、カレリア地峡を失い、多額の賠償金を負って苦難の戦後を歩んだ。 (下へ次く)

     ※ フィンランド独立運動家達が立て籠もった砦には「大日本帝国」の刻印がある大砲などが現存し、明石元次郎大佐や
      武士道は今も語り継がれている。フィンランドはヨーロッパを代表する極めて親日的な国の一つである

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来日した二人のフィンランド将校へ軍刀贈呈


    
       
       フィンランドの白夜

    
    Colonel Auno Kaila       Captain Lauri Laine



          Table. One Japanese sword. March 30, 1941.
          Kantōgun Army Commander Yoshijirō Umezu.



  
  銘: 贈呈 カイラ大佐殿 金川大佐
  裏銘: 紀元二千六百二年(昭和17年) 12月8日昭友作
  カイラ大佐へ贈呈(日本陸軍金川大佐より個人的贈呈)
  
   
   銘: 興亜一心滿鐵作之
   裏銘: 昭和庚辰春(かのえたつ=昭和15年)
   製造a@ヲ又はヌ 四三三 
   ライネ大尉へ贈呈   

来日した二人のフィンランド将校

 両国共通の脅威であるソビエト連邦と対峙するフィンランドと日本は、極めて緊密な関係を構築していた。
 日本より一足早く「冬戦争」でソ連と戦ったフィンランド軍は、その経験を日本軍、特に関東軍に伝える決意をした。
 マネルヘイム元帥(Carl Gustav Emil Mannerheim)はカイラ大佐とライネ大尉を個人的に呼んで命令を下達した。
 その時、元帥は「私がもっと若ければ、私が日本に行きたかった」と二人に述べた。重要な任務であった。
 1940年(昭和15年)10月初旬、二人はノルウェイの港町 Liinahamari から海路西インド経由ベネズエラに寄港、ニューヨークに到着。陸路ロサンゼルスに移動し、日本の客船で11月に横浜に到着した。欧州の戦時下、長駆の旅であった。

 ライネ大尉は日本の軍用機で、台湾・香港・広東・海南島・サイゴン・バンコク・シンカポール・スマトラ・ジャカルタ・マニラ
と、極めて精力的に各地を視察した。その時、彼が撮った多くの写真が国家文化財委員会に収蔵されている。
 二人のフィンランド士官は、1942年から1943年に跨がる冬の期間、満洲 国に滞在して関東軍に助言を行い、ソ連軍に関する緊密な情報の交換を行った。軍刀の贈呈は両国の緊密な関係の証しでもあった。

 彼等は1年で祖国に帰る予定だった。然し、日本が大東亜戦争に突入した為、機会を失った。
 日本に寄港予定のドイツのU-ボートで帰る計画も挫折した。
 ドイツの敗戦でフィンランドは1944年9月19日、モスクワで休戦協定に調印した。
 彼等は1945年(昭和20年)3月まで日本に留まり、シベリア横断鉄道で祖国フィンランドに帰国した。
 日本から持ち帰る二つの荷物の内一つは船が沈められ、一つは祖国に無事到着した。

 本掲載史料はその中に有ったものである。98式軍刀は今も二人の士官の家族に大切に保管されている。
 日本で忘れ去られようとしていることが、北欧の地で今も息づいている。彼等は歴史を決して忘れようとはしなかった。

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カイラ大佐への贈呈刀二種



二人の関東軍将校とカイラ大佐 ( 満洲での撮影 )



ライネ大尉と共に、関東軍からカイラ大佐に贈呈された興亜一心刀の九八式軍刀



小切羽はフル装備だが大切羽が写っていない。撮影者の撮り忘れと思われる









銘: 興亜一心満鐵作之
裏銘: 昭和庚辰(かのえたつ=15年)秋
シリアルa@ル 16



銘: 贈呈 カイラー大佐殿 金川大佐 →
裏銘: 紀元二千六百二年12月8日昭友作




←将官刀緒付



本掲載写真はカイラ大佐のお孫さん(フィンラン ド・日本友好協会々長)がMr.Ronnqvist の要請で撮影された


押し形写真提供:「フィンランド-日本文化友の会」会長ロニー・ロンクヴィスト氏


フィンランドへの贈呈刀目次 

       来日した二人のフィンランド将校への贈呈刀  マンネルヘイム元帥への贈呈刀



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