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| 日 本 | 米 国 | 備 考 | ||
|  昭和16年12月 開戦時  | 
      国民総生産(GNP) | 1 | 
      12.7倍 | 
       決定的国力差 | 
    
|  航空母艦保有数  | 
      10 正規 6・軽 2・改装 2  | 
      7 正規 7・軽 0・護衛 0  | 
       日・米空母機動部隊の 戦力比はほぼ互角  | 
    |
|  航空機保有数 | 
      1,250(海軍) 1,375(陸軍)※1  | 
      402(海軍) 1,290(陸軍)※2  | 
       ※1 南東アジア配備 ※2 含: B-17大型爆撃機  | 
    
| 日 本 | 米 国 | 備 考 | ||
| 開戦 〜 終戦  | 
      国民総生産(GNP) | 1 | 
      12.7 〜 18.1倍※ | ※ 昭和19年(1944年) | 
    
| 航空母艦補充数 | 
      17 正規 2・軽 3・改装 12  | 
      103 正規 17・軽 9・護衛 77  | 
      米・護衛空母は日・改装空母と同じ  | 
    |
| 昭和17年度 | 
      航空機生産機数 開戦時生産数/月  | 
      8.861(3.581※1) 550  | 
      47,838※2 2,500  | 
      ※1は海軍機 ※2 F6F、F4U 高性能戦闘機登場  | 
    
| 昭和18年度 | 航空機生産機数 | 16,693(7,695※1) | 
      85,898 | 
      |
| 昭和19年度 | 航空機生産機数 | 28,180(11,321※1) | 
      96,318※3 | ※3 B-29 超大型爆撃機登場 | 
| 昭和20年度 | 航空機生産機数 | 11,066※4 | 305,359※5 | ※5 内:B-29 超大型爆撃機6,413機 ※4 B-29 による軍需工場の破壊  | 
    




| 操縦技倆  | 
      飛行時間  | 
      搭乗員比率 | 
      能 力 | 備 考 | 
| A | 
      2,000以上 | 
      2人(4%) | 
      指揮官又は僚機として戦闘力あり | 
      |
| B | 
      1,000以上 | 
      8人(16%) | 
      状況により作戦可能 | 
      僚機として戦闘可 | 
    
| C | 600以上 | 
      26人(53%) | 
      一部制限の上作戦可能 | 
      編隊が組める | 
    
| D | 300未満 | 
      13人(26%) | 
      未完成(錬成が必要) | 
      単機で飛べる  | 
    
| 49人(100%) | 
      
| 操縦技倆  | 
      飛行時間  | 
      搭乗員比率 | 
      能 力 | 備 考 | 
| A | 2,000以上 | 
      3人(5%) | 
      指揮官又は僚機として戦闘力あり | 
      |
| B | 1,000以上 | 
      11人(18%) | 
      状況により作戦可能 | 
      僚機として戦闘可 | 
    
| C | 600以上 | 
      44人(75%) | 
      一部制限の上作戦可能 | 
      編隊が組める | 
    
| 58人(100%) | 

![]()  | 
       午前9時頃、飛行長・中島少佐は指揮所の黒板の前で、左手に飛行機の模型を持ちながら搭乗員に講義を していた。この時、セブ島南端の陸軍見張所から「敵の艦載機セブに向かう」という警報が入った。 飛行長は「かまわん」と言って、この知らせを無視して講義を続けた。 それから20分後に不意をつかれて敵の大空襲を受けた。 飛行長は大声で「上がれ! 上がれ! 」と連呼し、搭乗員は空襲の最中、我先にと飛行機に飛び乗って発進 した。が、全機の発進は不可能で、地上の残置機はたちまち燃え上がった。空中では離陸中の不利な態勢 の為、つぎつぎと撃墜されて多数の戦死者を出した(現場にいた木下満寿男兵曹の証言)。 必死に離陸を始めた零戦は上昇中に銃撃されて25機が自爆、14機が不時着、地上の55機が破壊された。 空襲の合間をぬって迎撃に飛び立った森井宏大尉以下41機はその七割りの27機が未帰還となった。 山本司令、中島飛行長の重大な判断ミスによって、二○一空の戦闘隊は瓦解した(※ セブ事件)。 奇襲や不運ではなく、全くの油断と、情報軽視による怠慢だった(一航艦の門司親徳副官証言)。  | 
    
| 戦 闘 機 | 
       攻・爆撃機 | 
      総  計 | 
      備 考 | |
| 第一航空艦隊 | 34 | 5 | 
      39 | 
      昭和19年(1944年)10月20日現在※ | 
| 陸軍第四航空軍 | 12 | 
      18 | 
      30 | 
      昭和19年(1944年)10月19日現在  | 
    
| 敷島の 大和心を 人とはば 朝日に匂う 山桜花 | 
| 敷 島 隊 | 
      備考 | 
      大 和 隊 | 
      備考 | 
    ||||
| 関行男 大尉 | 海兵七十期 | 戦闘三〇一 | 分隊長 | 中瀬清久 一飛曹 | 甲飛十期 | 戦闘三〇一  | 
      |
| 谷暢夫 一飛曹 | 甲飛十期 | 戦闘三〇五 | 19歳 | 
      塩田寛 一飛曹 | 甲飛十期 | 戦闘三〇六 | |
| 中野磐雄 一飛曹 | 甲飛十期 | 戦闘三〇一 | 20歳 | 
      宮川正 一飛曹 | 甲飛十期 | 戦闘三〇一 | |
| 山下憲行 一飛曹 | 甲飛十期 | 戦闘三〇一 | 19歳 | 
      ||||
| 朝 日 隊 | 
      備考 | 山 桜 隊 | 
      備考 | ||||
| 上野敬一 一飛曹 | 甲飛十期 | 戦闘三〇一 | 宮原田賢 一飛曹 | 甲飛十期 | 戦闘三〇一 | ||
| 崎田清 一飛曹 | 甲飛十期 | 戦闘三〇一 | 瀧澤光雄 一飛曹 | 甲飛十期 | 戦闘三〇一 | ||
| 磯川質男 一飛曹 | 甲飛十期 | 戦闘三〇一 | 藤本寿 一飛曹 | 甲飛十期 | 戦闘三一一 | ||
| 士    官 | 
      
      准 士 官 | 
      下 士 官 | 
      兵 (二飛は略) | |
| 将官 | 
      大将、中将、少将 | 
      飛行兵曹長 (飛曹長) | 
      上等飛行兵曹 (上飛曹) | 
      飛行兵長  (飛長) | 
      
      
      
      
      
      
      
      
      
    
| 佐官 | 
      大佐、中佐、少佐 | 
      一等飛行兵曹 (一飛曹) | 上等飛行兵 (上飛) | 
      
      
      
      
      
      
      
      
      
    |
| 尉官 | 
      大尉、中尉、少尉 | 
      二等飛行兵曹 (二飛曹) | 一等飛行兵 (一飛) | 
      
      
      
      
      
      
      
      
      
    |
|  甲種飛行予科練習生(甲飛): 中学四年一学期終了 満15歳以上20歳未満(昭和16年から三年終了と改正)程度の者  乙種飛行予科練習生(乙飛): 高等小学校卒業資格を有する者 満14歳以上20歳末満(少年航空兵) 丙種飛行予科練習生(丙飛): 一般兵科から選抜された23歳未満の者 初期標準教育期間 2年 6ヶ月・飛練 6ヶ月 
 甲飛10期生の入隊平均年齢は16〜17歳である。教育期間:基礎 1年6ヶ月・飛練 6ヶ月。軍服を着た中学生と言われた航空兵は一般兵科と違って短期間に下士官への道が開けていた 戦局が風雲急を告げる甲飛13期は前期・後期の二期に別れた。昭和18年10月に入隊した前期組は基礎 8ヶ月・飛練 6ヶ月 教育・錬成期間が圧倒的に短縮され、練度不十分のまま、戦場に投入された 12月入隊の後期組は、訓練用のガソリンが枯渇し実質的飛行訓練はなされず、「回天」・「震洋」などの特攻隊員に充足  | 
    

  ![]()  | 
       先述したように、久納中尉は9月22日のラモン湾東方洋上の米機動部隊の攻撃で掛け替えのない部下 三人を失った。 10月13日、戦闘三〇一飛行隊は新竹から台湾沖航空戦に出撃し、隊長の鈴木宇三郎大尉を失った。 新竹に帰投できた搭乗員達も翌日の再出撃で殆どが戦死した。 10月15日、セブ基地壊滅(9月12日)の責任を取り、第二十六航空戦隊司令官・有馬少将は階級章を剥 ぎ取って一式陸攻で出撃し、敵艦に突入して散華した。この護衛を務めたのも久納中尉だった。 19日、レイテ湾機動部隊攻撃の為、天山艦攻隊11機を護衛して浜崎勇一飛曹らと共に4機の零戦で ツゲガラオ基地を発進した。然し、久納中尉、浜崎一飛曹と天山艦攻1機をのぞいて全滅した。 その日、マバラカットに帰投した久納中尉は、翌日に特攻隊発令を知った。  | 
    
![]()  | 
       関は腹立たし気に「どうして自分が選ばれたのかよくわからない。日本もおしまいだよ。僕のような 優秀なパイロットを殺すなんて・・・。僕なら体当たりせずとも敵母艦の飛行甲板に五十番(500キロ 爆弾)を命中させる自信がある」と。 関には艦爆乗りとしての誇りがあった。生きてさえいれば何回でも敵艦を攻撃出来る。 それが一回の体当たりで、これまで訓練してきた戦力が一瞬に無となってしまう。理屈に合わない。 無念の思いが滲み出ていた。命を惜しむ事とは全く別の憤りだった。 これは、特攻を指名された熟錬搭乗員達にほぼ共通する思いだった。 「僕は天皇陛下とか、日本帝国の為とかで行くんじゃない。最愛のKA(海軍用語で妻)の為に行くんだ。 命令とあれば止むを得ない。僕は彼女を護る為に死ぬんだ。最愛の者の為に死ぬ。どうだ素晴らしい だろう ! 」と。この二十三歳の大尉は、相手が民間人なので本意を洩らした。  | 
    
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