戦史 戦艦大和ノ最期  0

   吉田満著  「 戦 艦 大 和 ノ 最 期 」 その真実と虚構

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原 文 の 改 変

 「大和」乗組士官(学徒出身の副電測士兼戦闘詳報記録係)で奇跡の生還を果たした著者が、戦後、一夜で書き下ろしたとされる文
語体による「戦艦大和ノ最期」は戦記文学に止まらず民族の叙事詩として高く評価されている。
 然し著者が昭和20年秋、純粋に書き下ろした原文(初稿) はGHQの発禁処分となり、今日広く流布されている昭和27年の再稿版
は以下の改稿が行われ、これが定着した。「叙事詩」が「物語」に姿を変えてしまった。        著者は「初版」としている



戦艦大和: 46p主砲9門、満載排水量72,809頓、世界最大の戦艦


1. 重要な「結語」の文章改変

      原文   「サハレ徳之島西方二〇浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨體四裂ス 水深四三〇米
           乗員三千餘名ヲ數ヘ、還レルモノ僅カニ二百數十名 至烈ノ鬪魂、至高ノ練度、天下ニ恥ヂザル最期ナリ」

      改変   「徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨體四裂ス 水深四百三十米
            今ナホ埋没スル三千ノ骸  彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」

 原文は「当事者」としての偽らざる心情を吐露、将兵の敢闘を讃え、心は誇り高く、精神は敗北していない。
 改変された表現は、生死を共にした将兵の心情を「第三者・傍観者」の立場に立って疑問符で問いかけている。
 初稿から再稿版に至る6年間の時空背景に一体何があったのであろうか。著者の「心と魂」の崩壊ではなかったのか。

2. 原文に無くて、再版本に加筆された「虚偽」の過(あやま)

 「初霜」救助艇ニ拾(ひろ)ハレタル砲術士、洩(も)ラシテ言フ
 救助艇忽(たちま)チニ漂流者を満載、ナオモ追加スル一方ニテ、危険状態ニ陥ル 更ニ拾集セバ転覆避ケ難(がた)ク、全員空(むな)シク海ノ藻屑(もくず)トナラン、シカモ船ベリニカカル手ハイヨイヨ多ク、ソノ力激シク、艇ノ傾斜、放置ヲ許サザル状況ニ至ル、ココニ艇指揮オヨビ乗組下士官、用意ノ日本刀ノ鞘ヲ払ヒ、犇(ひし)メク腕ヲ、手首ヨリバッサ、バッサト斬リ捨テ、マタハ足蹴(あしげ)ニカケテ突キ落トス、 セメテ、スデニ救助艇ニアル者ヲ救ハントノ苦肉ノ策ナルモ、斬ラルルヤ敢(あ)ヘナクノケゾッテ堕(お)チユク、ソノ顔、ソノ眼光、瞼(まぶた)ヨリ終生消エ難カラン、剣ヲ揮(ふる)フ身モ、顔面蒼白、脂汗滴(したた)リ、喘(あえ)ギツツ船ベリヲ走リ廻ル 今生ノ地獄絵ナリ

 と救助の状況を「救出消息」の項に追加記述した。救助された砲術士の目撃談か著者の創作かは今となっては知る由もない。
 只、この内容は明らかに虚構(フィクション)と云わざるを得ない。
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虚偽と判断せざるを得ない理由

 @ 一等駆逐艦「初霜」(初春型2070t)の士官は艦長以下、航海・砲術・水雷・機関担当の7名、特務士官2名、准士官3名、下士官
  57名。救助活動中も未だ戦闘行動中で、兵科士官が漂流者救助の為に指揮部署を離脱する事は不可能。
  この内強いて救助指揮を執れる可能性のある士官は限られる。
    「初霜」は、指令により軽巡「矢矧」の乗組員の救助に向かって、戦艦「大和」乗組員救助の事実がない。
 A 士官は短剣を常用し、海軍下士官は軍規上軍刀を元々持てないし佩用出来ない。
                               注: (救助艇)乗組下士官、用意ノ日本刀ノ鞘ヲ払ヒ・・・」は明白且つ重大な誤りである
 B 駆逐艦搭載救助艇の標準は「橈艇=カッター」。船縁(べり)に縋り付く人間を軍刀で斬らねばならない程収容者が満杯の状態で、
  且つ、波で動揺するカッターの船縁を物理的にもどのように移動して軍刀が使えるのか ?
  収容者を踏みつけながら移動したのか ?  人を踏みつけなければならない不安定な足場で軍刀が使えるのか ?
  手首を斬るという事は当然に刀身は橈艇の船縁に食い込む事になる。刀身損傷と連続使用は可能だったのか ?
  救助員に軍刀は邪魔物以外の何物でも無い。冷静に考えればあり得ない話しである。
 C 著者自身は学徒兵であり、海軍そのものを良く理解していた訳では無い。
  内火艇・橈艇とその構造をみれば、波や漂流者が掴まろうとして動揺する内火艇・橈艇の「船ベリヲ走リ廻ル」とはサーカスの
  曲芸と云ってよい。                                            救助艇検証参照
 D これが、救助された砲術士(@の事実より乗組艦艇名不明)の発言であったとしたら余計に信じ難い事になる。
  海軍を知る者としての発言とはとても思えない。直ぐに虚構と判る供述を何故敢えてしたのか ?
  戦後、意図的に日本を辱めようとした元軍人達(俗に云う懺悔(ざんげ)組)の例は枚挙に暇(いとま)がない。
   
 戦争の「非情・悲惨・不条理」は原文(初稿=初出テクスト)で十分に形成されている。
 原文の誤記の訂正や詳細補強は当然としても、虚構を追加挿入するに足る何の意味があったのであろうか。
 この件に関しては、駆逐艦「初霜」の通信士で救助艇の艇指揮を務めた松井一彦さん(当時海軍中尉、現80歳)が、戦後60年の長
い沈黙を破って産経新聞と文藝春秋8月号に初めて当時の真相を語られた。(次ページ参照)
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3.終戦後の時間経過で変質したと思われる著者の妄想

 「救助作業ノタメ駆逐艦洋上ニ停止セル間、米水上偵察機一機、コトサラニ我ラガ頭上ヲ旋回セリ・・・略・・・・
 上空ニ待機セル戦闘機、爆撃機ノ奇襲ヨリ我ラヲ遮蔽シ、絶対ノ防壁トシテ作用セシハ、ホカナラヌ偵察機ノ謎ノ旋回行動ナリ・・・米軍ノ敵愾心ハカネテ熾烈ヲ極メ、機銃掃射、漂流者ヘノ追撃ト徹底殲滅ノ構エ明ラカナレバ・・・略・・・
 彼ラ選リスグラレタル精鋭ナレバ(米偵察機搭乗員を指す)、タダ日米決戦ノ終幕ヲ汚スを潔シトセザリシナラン・・・略」

 米軍偵察機が、停止して漂流者を救助する日本駆逐艦の上を低空で旋回し、自軍の攻撃機から日本駆逐艦を護ったという著者の
「想像」で米軍偵察機の行動を賞賛している。
 米偵察機が低空で旋回すれば当然日本駆逐艦の対空砲火を浴びる事になる。こんな事がある筈が無い。
 米軍の主目標は巨艦「大和」であり、その沈没を確認して米攻撃機は引き上げている。
 僅かに残存した日本の小型艦艇は歯牙にも掛けなかっただけの話である。
 第一、米軍が残存駆逐艦を攻撃する積もりなら、たった一機の偵察機如きが自軍の雷・爆・攻撃機郡の攻撃をどうして物理的に阻
止出来るのか ? 阻止が事実なら、この偵察機搭乗員は軍法会議で死罪を問われる事になる。
 海上を漂流する日本兵に戦闘機の機銃掃射を浴びせた米軍である。
 病院船や児童疎開船を沈め、東京を初め主要都市を妄爆し、あまつさえ広島・長崎に必要性の無い原爆まで投下して一般市民の大
量虐殺を厭わなかった米軍の人道性を賞賛するが如き著者の「妄想」は何を意味するのか・・・。

 上記三点の終戦後の時間的変質は、戦勝国の一方的報復裁判である「極東国際軍事裁判(東京裁判)」史観に依り日本人の「心と魂」を完全に破壊するGHQの徹底した洗脳政策の結果であるとも云えよう。
 著者が初稿を改変した昭和27年、著者自身の心と魂が文字通り米軍と自らに完全に敗北した事を意味している。
 著者の変心の姿は、そのまま戦後日本人の姿そのものであった。日本人は心まで完全に支配され、現在に至っている。
 この改変に依り、再稿本(著者は初版と云う)は叙事詩(初稿)を物語に変質させてしまった。名著故に惜しまれてならない。

 自国の歴史の検証と総括は日本人自らが行うべきであった。それを怠った国民の責任もまた大きいと云える。

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4.一部の改変や虚構の挿入は本質に関係無いと云う主張に対する反論

 識者を自認する学者や評論家等が、結語の改変や虚構挿入の議論は枝葉末節であり、この本の本質を読めない愚かな議論だと言う。
 尤(もっと)もらしい事を言っているが、これは独善的驕(おご)りでしかない。他の数多の読者の存在を全く忘れた自慰に過ぎない。
 私はこういう人種を最も軽蔑する。
 今後もこの本は更に若い層に読み継がれる。読者は彼等と同じ次元の人とは限らない。
 現在、国民は戦後生まれの人が大半を占め、軍や戦前の国民意識を全く知らない世代である。
 多くの読者は殆ど「当事者が書いた記述だから正しいもの」と信じて仕舞う。そして其処から何かを学び取ろうとする。
 その時、私は虚構を真実と思われる事を怖れる。虚構は認識を誤らせ、間違った判断を招く事になる。
 「戦艦大和ノ最期」は、少なくとも「戦争礼讃」や「反戦」を訴えるという浅薄な内容の本ではない。
 死者達が戦後日本人に問いかける「心と魂の慟哭の記録」である。日本と日本人の基本的在り方を問う本である。
 この本は、日本の歴史上、民族として最後の叙事詩になるであろう。だからこそ初稿と再稿本の落差に拘った。

 復員直後に書かれた「天下ニ恥ヂザル最期ナリ」は、沈み行く「大和」を見送る著者の偽らざる心情であった事は疑う余地がない。
 全文の基調からも、自らが運命を託した「大和」と「責務に殉じた将兵」へ贈る葬送の言葉として、この結語程相応(ふさわ)しい言葉は無い。
 改変された結語「・・・・彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」は、全文に一貫して流れている「将兵の冷徹な描写」と明らかに違和感が
あり、文律が違う。傍観者として将兵の心情を疑問符で終わらせている。
 そうであれば、全文に亘(わた)り将兵の姿を緻密に描写した意味は一体何だったのであろうか ? ここに大きな矛盾がある。
 結語の改変は、著者を執筆に駆(か)り立てた最初の純粋な動機(大和と将兵の終焉を在りの儘記録する)を大きく歪めてしまった。
 著者は「大和終焉の論評」や「戦争の批評」と云う目的で初稿を書いた訳ではない。                ※ 著者の言葉
 事実のみを記録して、歴史の判断は後世の人々に委(ゆだ)ねたのである。改変結語はその趣旨にもそぐわない。
 改変された結語からは当時の将兵の真の心情は伝わってこない。これがどうして枝葉末節と言い切れるのか ?

 講話条約成立後の出版で、著者は、沈没時に感じた在りの儘(まま)の心情(原文)を脚色せずに記述すべきであった。
 叙事詩である為の「結語」は、当事者のその時点に於ける「偽りのない心情 (魂の叫び) 」でなければならなかった。

 「今ナホ埋没スル三千ノ骸(むくろ)  彼ラ終焉(しゅうえん)ノ胸中果シテ如何」・・・・この言葉こそは、後日になって、傍観者である
日本人が、眠れる「大和」と「三千の骸」に対して、その死の意味を問う為の言葉に他ならないからである。



圧倒的米軍の航空攻撃で満身創痍になりながら、尚、戦い続ける戦艦大和


5.所感 (将兵の姿)

 愚行を命令した軍中枢に疑念を持った乗組士官達は、理不尽さに憤り、やり場の無い思いに各自が葛藤(かっとう)する。
 彼等は自らの死の意義を求めて艦内で激論を戦わす。制空権の無い水上艦艇の命運は出撃時に決まっていた。
 「自らの死の意義」を納得する事で「作戦の意義を」を見い出そうとした。長官から水兵に至るまで例外ではなかった。
 この事は、本作戦が、戦略、戦術上からみて如何に無謀・無益であったかの証しでもある。
 本作戦は海軍の面子のみが優先され、「有終の美を飾る」為の政策上の判断でしかなかった。
 この軍中枢の判断は日本文化が持つ「民族の精神性」と「日本人の美意識」に深く拘(かか)わる問題でもあった。
 作戦の無謀を問うのは簡単である。然し、作戦の是非を問うには、民族性の本質まで掘り下げなければならない。
 軍と国家の愚行・無能の責任を彼等は一身に引受けた。ここに「大和」以下出撃艦艇とその将兵の悲劇があった。
 伊藤司令長官、有賀艦長以下作戦参加将兵達の壮烈な戦いと最期迄の生き様が克明(こくめい)に描き出されている。

 「前檣(しょう)(いただき)ニハタメク大軍艦旗、傾キテマサニ水ニ着カントス、見レバ少年兵一名、身ヲ挺(てい)シテソノ根本ニ攀(よ)
ジノボル、沈ミユク巨艦ノ生命、軍艦旗に侍(じ)セントスルカ、カカル命令ノ発セラルルコト、アリ得ズ、サレバ彼、ミズカラコノ
(は)エアルニンムヲ選ビタルナリ、如何ニソノ死ノ、誇ラカナリシヨ」 (少年水兵最期の状景描写)
                             軍艦旗は平時は艦尾旗竿に、戦闘中は「後檣」に掲揚される。後檣の誤り

 将兵達は見事であった。責務から逃避せず、堂々と敵に対峙(たいじ)し、矜持(きょうじ=誇りを持つ)を保ち運命を受け入れた。
 一部に卑劣な参謀の例はあるが、全将兵は壮絶な戦いを展開し、責務を全うし、そして従容(しょうよう)として任務に殉じた。
 米軍の圧倒的物量に破れ乍ら、最期まで魂の矜持を貫抜こうとした将兵達の姿は、我々の魂を揺さぶらずにはおかないものがある。
 それ故に、「大和ノ最期」は民族の悲劇の象徴として今日に至るまで語り継がれて来た。
 こうした日本人達が、僅か半世紀前のこの日本に存在した。そして彼等は今もなお海底から祖国を見続けている。
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6.叙事詩か物語か

 「叙事詩」とは民族の歴史に語り伝える価値のある事象(戦争)や英雄(戦艦大和と乗組将兵)などを題材に、民族共有の意識(精神・魂)を仮託(題材を借りて言い表す)した長大な韻文( いんぶん=リズムを持った文章=詩)の事である。           ※ 一つの例
                
 祖国の古名を艦名とした「大和」は単なる軍艦に止まらず、大日本帝国の象徴であり、祖国そのものであった。
 それ故、その滅亡を描いた「戦艦大和ノ最期」を多くの読者は叙事詩だと評価した。
 然し、再稿本の出版で、元海軍々人や読者の一部から直ぐに内容の虚偽を問う議論が巻き起こっている。
 「叙事詩」は「事実の記述、或いは事実が起きた時点の民族共通の精神・魂の記述」でなければならない。
 重要な事は、事象や意識を、虚飾を交えずに「在りのまま記述する」ことである。
 再稿本はこの点(改変結語の時間的ズレ=異質な表現、虚構文の挿入)に於いて疑問符がつく結果となった。
 「物語」とは事実や虚構を題材に、著者の意図で脚色された「作り話=フィクション」の事である。
 再稿本は、事実と虚構を内包する為に「叙事詩」と「物語」の狭間で揺れ動いている。
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7.口語体と文語体

 口語(こうご)とは「日常の話し言葉」、文語とは「文章を書く時に使う言葉」である。
 話し言葉で表現された文章を「口語体」、書き言葉で表現された文章を「文語体」という。
 古代日本の文字は漢字であり、漢字の表音文字である「万葉文字」が日本人固有の文字として誕生した。この「万葉文字」を極端
に草書化して「平仮名」が生まれる。平安時代、女性が主に用い、女文字とされた。
 平仮名に後れて平安時代初期に、漢文訓読の為に漢字の一部分を取り出して「片仮名」が生まれた。平安時代には「話し言葉」と
「書き言葉」に大きな差が無かったといわれている。

 明治から先の大戦後暫く迄、公用文書は江戸期までの「漢文」を基調とした漢字・片仮名の文語体が使われた。
 軍の公文書(戦闘詳報など)も全て「文語体」であった。維新後、口語の変化で、文語と大きな乖離(かいり)が生じた。

何故文語体か

 文語体は漢文を基調にしている。その特徴は、簡潔な文章で、事象と情感が豊かに表現出来る事にある。書かれた文字以外の文章
空間に、読む者の想念を掻き立てる「余韻」がある。「文語体」は詩に例えると解り易い。
 漢詩や和歌は限られた字句で、文字の数倍の意味と深みを表現する。
 同じ文章を口語体で書くと、一般的に長文となる。それでも表現は文章以上でも以下でも無い。
 口語体は、文語体が持つ格調の高さ、迫力感、悲壮感などの表現力には遠く及ばない。
 「戦艦大和ノ最期」を名著たらしめた大きな要因の一つが文語体の記述であった事は疑う余地がない。

 然し、何れにしても日本語は実に素晴らしい。
 英語を経験された方は等しく感じられるであろうが、日本語が内包する豊かな情緒と表現力に比肩する言語は世界に見当たら無い。
 この誇るべき日本語を決して溶解させてはならない。
 グローバリゼーションとは白色人種への同化に他ならず、日本の豊かな精神文化の崩壊を危惧せざるを得ない。




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