軍刀抄(4) 造兵刀 Army Arsenal blade0

造 兵 刀 Army Arsenal blade

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造兵廠  Army Arsenal 





小倉(東京)陸軍造兵廠製作の制式造兵刀
詳しくは下欄参照

造 兵 刀

陸軍造兵廠が直接又は監督製造した将校用刀身には二種類がある。これは、一般的に「造兵刀」と通称されていた。

現 代 鍛 錬 刀

1. 各工廠 (造兵廠) 鍛練所で専属嘱託刀匠に依り作刀された鍛錬刀 (茎に刀匠銘と造兵廠標章刻印)
  東京砲兵工廠: 横山祐包・森岡政吉、東京第一陸軍造兵廠: 吉原宣威 (昭廣・國家同人)、大阪工廠(造兵廠): 月山貞勝・貞一
  (二代) ・貞重・正清、小倉工廠(造兵廠):  白龍子忠孝・平貞重・兼延、 旧兵器廠 善平 他

2. 民間刀匠又は刀剣会社に委託した鍛錬刀 (茎に刀匠銘と陸軍素材検査の星刻印)

3. 陸軍制式現代鍛錬刀 (茎に刀匠銘と年季、陸軍素材検査の星刻印他)
  陸軍受命刀匠が作刀する制式刀身 昭和15年から試行され、17年から本格的に全国展開された。
  個別手作りで統一性が無く、性能に大きなバラツキがある日本刀を「完全規格化」する初めての試みだった。
  一刀毎に大変厳しい検査を行い性能品質が保証された。
  過去、古作刀の名刀と言われるものでも性能検証されたものはない。
  殆(ほとん)どが風聞伝説であり、試し切りは性能保証とはならない。
  そういう面では一つの画期であった。「受命刀匠」規格刀参照

量 産 刀

1.造兵廠刀 (軍人会館呼称) 
  一般俗称は「造兵刀」。九一式下士用刀 (昭和6〜7年) が始まりで、この内、将校に販売されたものを指す。
  後の九五式刀身も包含する。「造兵廠で作られた刀身」という意味の通称である。便宜上この市販品を前期造兵刀としておく。
  「陸軍刀剣鋼 (C1.0%-1.1%) を使用し、圧延ロール及び機械ハンマー等により鍛造成型。
  寸法、重量は、官給下士官用制式造兵刀より稍軽量で細身。
  油焼入したものを乾燥研磨による機械仕上げをした。刃文無し」 (尾藤少佐回想記より)
  原型は三十二年式下士官刀。本来下士官刀だが、将校用刀身の不足、鍛錬刀の非生産性を補う為、満州〜上海事変が勃発した
  昭和6〜7年頃から将校に販売された※1。                   ※1 この刀身評価は「実戦刀譚・刀身評価」参照

2.造兵刀 固有制式名
  上記陸軍制式現代鍛錬刀と同様に、昭和13年9月16日付け陸普第五六六八號通達の新軍刀製作命令が原点である。
  昭和14年5月、小倉陸軍造兵廠は、玉鋼と刀剣鋼を使用した試作刀身の第一回試験結果を「造兵彙報」に掲載した。
  その後17年初頭の第5報に至るも、各種鋼材と作刀法の試作と試験が繰り返されている。
  その後の彙報に掲載論稿が無い為に、最終案は関で昭和16年に開発された「古式半鍛錬刀」と近似した玉鋼(推定)を機械鍛錬し
  た刀身と推察しているが、名古屋陸軍造兵廠関分工場長・尾藤少佐の回想記には
  「形状寸法等概ね鍛錬刀に準じたもので、刀身は陸軍刀剣鋼※2 (C1.0%-1.1%) を使用。     ※2 「九五式軍刀」の刀身項参照
  火造り素延べ成形して反りを付け油焼入(840℃)、焼戻(530℃)。鍛錬刀に準じて上研ぎ。
  油焼入れのため折れないが、刃文無し。製造の開始が遅すぎた。需要に応えられず」と述べている。
  昭和16年初め、「和鋼を鍛錬する古来の日本刀式に機械力を利用して試作」との報道※3とは違っている。
  刀材も陸軍刀剣鋼であり、この説明だけでは、研ぎ以外に九五式との決定的な差が掴めない。        ※3 新軍刀改正参照 

  小倉陸軍造兵廠が何時から制式量産を開始したかの日時は判らないが、昭和18年から名古屋陸軍造兵廠関分工場では直接製造の
  他、関刀剣(株)等17社が協力して製造を開始した (関史より)。関以外では、東京の服部軍刀製 造(株)も製造している。
  民間下請会社の造兵刀々匠として(有)関共進社の「義昌、兼茂、義忠、兼正」、服部軍刀製造(株)の「頼正」等が陸軍々刀
  展で確認されている。
  又、小倉陸軍造兵廠の嘱託として新軍刀開発に関与した九州帝大・谷村教授※4は、「日本刀の冶金学的研究」(1981年「鉄と鋼」)
  
で、「昭和15年頃から戦時色が濃厚となり、その頃、小倉陸軍造兵廠では将校用軍刀の需要に応ずべく、昔と同質の日本刀製作
  を始めた。同工廠の太田宰治技術少佐は、九州帝大で得た鍛錬手法を参考とし、原料にはたたら吹きの玉鋼を用い、鍛錬には機
  械ハンマーを使って本質的日本刀の量産の目的を果たし、比較的低コストで将校軍刀が出来た。この「昭和新刀」は実用的性能
  は古来の日本刀に劣らないと考えられるが、芸術的には遙かに及ばない」と述べている。

  これらの事からも、この造兵刀は陸軍刀剣鋼の一枚鍛えとは考え難いのだが、当事者としての尾藤少佐の言葉も重い。
  制式造兵刀は、制式後暫(しばら)く製造された物と、戦争末期の物とで違いがあったように思われる。 未だ真相が分からない。
  便宜上この刀身を後期造兵刀と呼称しておく。何れにしろ量産体制の確立は余りにも遅すぎた。

造兵廠直接製造の茎には造兵廠標章と検査刻印がある。
民間企業で製作された造兵刀の刀匠名は一部確認されているが、刀身現物が確認されていない為、茎の銘と刻印は不明である。

小倉陸軍造兵廠は新軍刀(後期造兵刀)を試作する段階で、谷村X(ひろむ)九州帝大教授の指導を仰ぎ、 機械ハンマーに依る効率的な製造
方法を確立した※5
造兵刀と同様に、昭和12年から15年にかけて「満鉄・興亜一心刀」、「振武刀」、「群水刀」など、科学の力を応用して日本刀を凌(し
の)
ぐ優秀な軍刀身が完成していた。これらは総て量産設備を前提とした刀身である。          ※5 将校用軍刀の研究参照

昭和16年、岐阜県立金属試験場でも日本刀古式鍛錬の機械化に成功した。これは「古式半鍛錬刀」と称され、製品には厳しい検査基準
を設け、「関」、後に内務省令に依る「桜の中に昭」を刻印して刀の品質を保証した。
軍刀需給の時局を冷静に判断していれば、これら優秀な量産向け刀身を正当に評価して製造を早期に且つ強力に推進すべきであった。
日本刀神話に染まった刀剣界の軍嘱託や、一部の軍関係者達によって優秀な量産軍刀の製造が結果として阻害された。
時局の判断すら出来ない輩に依って、深刻な軍刀不足を招き、軍刀政策を大きく誤らせてしまった。      「軍刀不足と造兵刀」参照 
                                                    
                      ※4 谷村X: 東京帝大工学部俵國一博士の教え子。
                       昭和11年から九州帝大の日本刀鍛錬所で各地の刀匠を招き日本刀の製作工程を冶金学的に研究した

1

制 式 造 兵 刀

The blade considered to be formality Zohei-to.




刃長: 68.1p、反り: 1.7p、刃文はエッチングでつけられたものと思われる
佩表ハバキ付き全景腰反り刀身

一般的に、造兵廠で造られた将校用刀身茎には「造兵廠標章」の刻印が、民間に製造委託して造兵廠に納入された刀身茎には
「陸軍星章」検査刻印が打刻された(下欄参照)。

Generally, a "arsenal trademark" is stamped on the swod-tang forged with the arsenal. And the "army star" was stamped
on the swod-tang which carried out outsourced manufacturing to the private sector.

これと同一の刀身は国内外で4例が確認されている。九八式外装に収められ、その外装は総て弊サイト掲載例と同一品です。
外装付きの造兵刀をご所有の方はご連絡を下さい。




佩表 切先側と茎側半景

 


佩表 切先と刀身中央の部分




佩裏刀身全景  造兵廠標識と検査印は佩裏の茎




佩裏の切先側と茎側半景(こちらの茎に造兵廠標識と検査印)




佩裏の切先と刀身中央の部分


          

   
← 四つの砲弾マーク
小倉(東京)造兵廠標識  (造兵廠標識はこちら)
Kokura Army Arsenal mark

← 「ホ」は第一製造所検査印
"Ho" is First Factory inspection marks.

「セ」は第二製造所検査印
  "Se" is Second Factory inspection marks.
ここで造られた造兵刀は第一製造所で造られた刀身との刃長と反りが異なり、
特に茎の長さに大きな差がある。樋の長さも微妙に違う。
その差が製造時期に依るものか、造兵廠毎に相違があったのかは不明。

二つの製造所の刀身差は下写真を参照されたい。
(掲載制式造兵刀: Y.国原 所蔵)



造兵刀の製造所、或は製造時期による差



     上写真: 小倉(東京)造兵廠第一製造所(検査印「ホ」)
             刃長: 68.1p、反り: 1.7p、
     下写真: 小倉(東京)造兵廠第二製造所(検査印「セ」) フィンランドMr.Ronny Ronnqvist撮影の刀身(こちら)
             刃長: 65.0p・反り: 1.65p
刃長と反りが違い、特に茎の形状と長さに顕著な差がある。
「ホ」刻印の刀身茎長は 15.8p、九五式軍刀身、三式軍刀身の茎に比べてもかなり短い。
樋の始点、終点の形状や長さにも微妙な相違があり、刀身製作パレットの形状差をそのまま反映している。



陸軍造兵廠が民間刀工に委託して造らせた将校用の刀身
The blade for officers which the Army Arsenal entrusted to the private sector swordsmith





陸軍三式末期型外装に納められた民間刀匠の刀身





造兵廠に納められた継延刀匠の刀身


     




← 陸軍星章


外部委託品に適用する補助検印
主として素材検査に用いられ、検査印に準ずる
各関係個所共通とする


← 群水・継延が作刀して造兵廠に納められた刀身。
  造兵廠の基準に合っていれば合格の印として陸軍星章が
  茎に打刻された。










            (山畑繁明氏所蔵)


The blade for officers made from an Army Arsenal

There are two kinds of blades for officers of directly or supervisor manufacture on an army arsenal. In the public,
the common name was carried out to "Zōhei-tō.

Forging sword

1. Forging sword in which swordsmith under exclusive contract carried out sword making by sword workshop of each
 arsenal (A swod-tang has a swordsmith Mei and an arsenal trademark stamp)
 Osaka Arsenal: Gassan Sadakatsu, Masakiyo,  Kokura Arsenal: Hakuryushi Tadataka, Tairano Sadashige, and Kanenobu,
 Arsenal: Yoshihira others.
2. Forging sword entrusted to private sector swordsmith or sword company (A swod-tang has a swordsmith Mei and an
 inspection mark "star" of an arsenal).
3. Army formality present age forging sword (A swod-tang has an inspection mark "star" of an arsenal, swordsmith Mei
 and production years).
 The formality blade which the army commission swordsmith made.  It is trial production blade completion to the end
 of 1940.
 The whole country was completely developed from 1942. It was the first trial that carries out full standardization
 of the Japanese sword which does not have unity individual handmade and had a big gap also in the performance.
 Very severe inspection was conducted for every sword, and performance quality was guaranteed.

Mass-production blade

1. Common name "Zōhei-tō."
 The Type 91 noncommissioned officer blade sold to the officer will be said around 1931-2.he next Type 95 blade is
 also included. The common name of the meaning "the blade made from the arsenal."Army sword steel (C1.0%-1.1%) is
 used.
 One-sheet forging. It is forge molding by the rolling roll, a machine hammer, etc. The size and weight of this blade
 are slightly lightweight and a thin figure compared with "formality Zohei-to." The tempering in oil of this blade
 was carried out, and it carried out machine finish by dry polish. There is no tempered line (account of  Major Bitō
 recollection).
2. Zōhei-tō (Peculiar formality name)
 The manufacture command of the new military swords as of September 16, 1938 is the starting point like the
 bovementioned army formality present age forging sword.
 The trial production blade was completed by the end of 1940 by the Kokura Army Arsenal. It is imagined as "the
 ancient rite half forging sword of a Tamahagane" developed behind in Seki, and the approximated  blade.However,
 Major Bitō's (Nagoya Army Arsenal Seki Part Factory manager) account of recollection is as follows.
 "The shape and the size applied to the forging sword correspondingly in general. A blade uses army sword steel
 (C1.0%-1.1%).
 Fire structure one-piece-no-forging fabrication was carried out. And curvature was attached and a tempering in oil
 (840 degree Centigrade) and tempering were returned (530 degrees). According to the forging sword, it polished
 good.
 Although it does not break for a tempering in oil, there is no tempered line(Hamon).The end of 1940 and the report
 "the Kokura army arsenal made the blade as an experiment to the Japanese sword from ancient times which forges a
 Tamahagane using mechanical power" are differed from. Sword material is also army sword steel and cannot hold a
 decisive difference with Type 95 only by this explanation other than a polish.
 The time of from when the Kokura Army Arsenal started formality mass production is not known. In 1943, in the
 Nagoya Army Arsenal Seki Part Factory, 17 companies, such as Seki sword Inc, besides direct manufacture,
 cooperated, and manufacture was started at it (history of Seki). In Kantō, Hattori Guntō Seizō Inc, in Tōkyō is
 also checked.
 As private Zōhei-tō's swordsmith, of "Yoshimasa, Kaneshige, Yoshitada, and Kanemasa"of Kyōshinsha limited Co. and
 "Yorimasa"of Hattori Guntō Seizō Inc etc, is checked. They are a commission swordsmith or a swordsmith. Also from
 this thing, it is hard to consider this Zohei-to to be a blade of an army sword steel one-sheet forging.
 However, the meaning of description of the account of recollection of Major Bito as the party concerned is heavy.


2013年9月17日より
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