海軍短剣 1・2 | 軍刀 | 軍刀について | 太刀型軍刀 |
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← 甲種三笠短剣 「皇國興廃在此一戦」彫刻 "The fate of a Empire is decided by this battle" sculpture |
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銘: 秀明 裏銘: 三笠 Mei: Hideaki Ura-mei: Mikasa (太田淳一氏所蔵)
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桜花頭を各々持った牡雌ネジの目釘
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(松原 聡氏所蔵) |
鎌倉天照山鍛錬所 「海軍・鎌倉天照山鍛錬所」と標記するが、「鎌倉天照山鍛錬所」自体は、明治に創業された民間刀剣商で、 二代目店主の服部善次郎は、関東大震災後、東京から大阪に店舗を移した。 軍の要請により、 娘婿の栄治※は、静岡の三島、鎌倉天照山に刀匠を抱え軍刀製作の経営に当たった。 この服部栄治こそが、終戦直後の日本刀救済に奔走した中心人物だった。 米国・第八軍憲兵隊司令官のC,V,キャドウェル大佐に信任の厚い服部栄治が、ある一定の刀剣の保存を認める
天照山の刀身は、服部の鍛錬所だけでなく、関の刀匠が作刀して銘を切り鍛冶研ぎの状態で納入された物も多い。GHQとの交渉が成立した後、組織や制度化をする為に、誰を窓口にするかという相談をキャドウェル大佐から受 けた時、「私の先生」として紹介されたのが本間順治氏でした。戦中、文部省官僚で刀剣研究家の本間順治氏は、 戦後、GHQに摘発されるという恐怖から、故郷の山形に逃げ帰っていた。彼は、日本刀保存交渉の功労者として 伝えられているが※2、これは創作の可能性が高い。最大の功労者は、服部栄治だった。 (※ 「栄一」という名も使われていた。 ※2 いずれ別項で、本間順治氏の実態を取り上げる) 常駐する海軍技官が検査して検査印を刻印した。最終仕上げは鍛錬所の研師が研磨した。 この茎銘は「天照山」となっているので、天照山で作刀された物と思われる。海軍検査刻印は無い。 |
初期型(明治前期型)・茶研出鮫皮巻木鞘 Meiji term: Brown rayskin binding wooden scabbard |
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中期型(明治後期型)・黒研出鮫皮巻木鞘 Meiji term: Black rayskin binding wooden scabbard |
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中期型(明治後期型)・黒漆塗木鞘 Meiji term: Black lacquered wooden scabbard. |
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後期型(昭和期型)・黒牛革巻木鞘 Black leather binding wooden scabbard |
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後期型(昭和期型)・黒牛革巻木鞘 Black leather binding wooden scabbard |
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後期型(昭和期型)・茶研出鮫皮巻木鞘 Brown rayskin binding wooden scabbard |
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士官候補生短剣 Cadet dirkBlack rayskin binding wooden scabbard |
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