海軍太刀型軍刀0
昭 和 1 2 年 制 定 海 軍 制 式 軍 刀
通称: 太 刀 型 軍 刀
海軍刀は陸軍刀に比べて儀仗の色彩が強い。サーベル軍刀の時代にもその外装は陸軍刀に比べて華麗であった。
海軍の性格上、海軍陸戦隊を除けば通常は短剣が常用されていた。
民族主義の昂まりで、海軍は昭和10年より、新軍刀外装の研究を進めていたが動かなかった。
戦時体制が進む中、海軍陸戦隊の戦訓から、陸軍に遅れて3年後の昭和12年(1937年)10月、「現行制式長剣ハ実用上適当ナラズ、速ヤカニ陸戦用トシテ至便ナル軍刀ヲ制定スルノ要アリ」との勅令で太刀型新軍刀を制定した。
外装は、日本刀の故実に詳しい小泉親治海軍少将の考案により、鎌倉期の太刀を範とした。
翌13年には正装・礼装が使用停止されているが、昭和20年3月の戦時特例処置(一佩鐶)まで二佩鐶の形態は変わらなかった。
外装は黒皮、又は黒漆鮫皮着せの木鞘が基本で、金色金具の配色と相俟って儀礼刀の雰囲気を色濃く漂わす。
刀身:
本鍛錬の日本刀も仕込まれたが、海上塩害の対策として不銹鋼(ステンレス)刀が多い。
外装:
一等・二等外装の二種。黒研出鮫皮巻の規定外に、黒漆塗の木鞘が多く、黒革巻きの鞘は余り残存していない。
金具も上等品と並品の二種があり、旭日大切羽に品種巾が認められる。最末期を除き陸軍刀程の極端な品質落差が無い。
物資枯渇の為、昭和20年3月「軍刀外装ノ臨時特例」で佩鐶は一つ、金具は鍍金・黄銅・模様・猿手・駐爪を廃止、鞘は木の薄皮巻き黒塗りと処置された。これは制式では無く臨時特例であって外装としての体をなさなかった。
昭和19年・串良海軍航空隊 第二種軍装 佐々木直亮軍医中尉
佐々木直亮(昭和18年慶應義塾大学医学部卒。戦後、弘前大学医学部教授・名誉教授)様ご提供
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太刀型目次 Contents of the Type Tachi
天照山・「無銘」関刻印 ※ 菊水刀「湊川神社正直」※ 菊水刀「湊川神社正忠」※ 兼波・「無銘」特注外装 ※
「無銘」飯田式錠蓋・勝正・豊川海軍工廠「無銘」と「平俊」※ 安次・「無銘」一佩鐶 ※
2019年03月27日: ※ 更新 ※ ページリニューアル
2005年2月より
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