九八式軍刀0

昭 和 1 3 年 制 定 陸 軍 制 式 軍 刀

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通称: 九 八 式 軍 刀

昭和12年、支那事変が勃発して戦時非常時体制となり、翌13年、服制改正で正装・礼装が事実上停止された。
これに伴い、昭和13年(1938年) 5月、九四式の第二佩鐶を廃止した制式軍刀外装が制定された。
これが昭和13年制定陸軍制式軍刀(通称九八式)である。実質は九四式と変わる処はない。

 刀身: 初期には古作日本刀々身が大半であったが、需要に供給が追いつかず、大量生産の軍用特殊刀身が過半を占めるに至った。
 外装: 一等・二等・三等・略式外装の4等級の外装品位がある。鞘は、鉄・アルミ・革巻木鞘の外装変遷と鮫皮巻又は漆塗木鞘等
    の特注品があり多岐に亘った。これらの選択は将校の資力と国情に依って決定された。

大東亜戦争に突入して、これらの外装品位を超越する深刻な物資不足によって品質は極端に劣化していった。
九八式軍刀と一括りにできない程の品質格差であった。昭和18年三式制定後も、諸般の経緯から継続制作されている。
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戦争呼称
昭和16年(1941)12月12日、大日本帝国政府の閣議決定により「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルベキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」と定められた。「大東亜戦争」が我が国の正式呼称である。
「日中戦争」・「太平洋戦争」は戦後の外国呼称に過ぎない。
弊ホームページは、日本の史実通りの呼称に当然従うものである。



中支派遣「祭兵団」歩兵第51連隊・白戸伴孝少尉

陸軍士官学校第56期・昭和18年5月27日、少尉任官の日に撮影。その後中尉に進級。
第15師団(祭兵団)は昭和19年3月、インパール作戦に投入される。
ビルマ方面軍第15軍は第31師団(烈兵団)、第33師団(弓兵団)、第15師団(祭兵団)を基幹とする参加兵力約100,000人(実数不明)。
無謀な作戦に抗議した第31・33の二人の師団長と病に倒れた第15師団長を罷免する異常事態となった。
第15軍司令官牟田口中将と参謀本部の無謀・無能極まりない作戦により、将兵の80%が斃(たお)れ、退路は「白骨街道」と化した。
白戸中尉が指揮する150名編成の中隊から、延べ300余名が戦死。
中尉は奇跡的に生還されたが、悲惨を極めた本作戦に怒りを露わにされた。今も中隊戦死者を鮮明に記憶されている。

将校の装備は拳銃と軍刀(戦況で手榴弾は持った)。
筆者の「将校にとって軍刀とは何か」の問いに対して「野戦に於ける指揮刀だった」と明快な回答。
「指揮官が抜刀したら、それが前進・攻撃の号令であることを部下は承知しており、将校の抜刀の姿を見て全員が奮(ふる)い立った」と
も述べられた。
写真は「遺影」を念頭に置き「軍帽」を被っているが、戦時下では「略帽」しか被らなかった。
軍刀鞘には野戦用革覆いが付いている。
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  御賜軍刀「靖延」・末古刀    興亜一心・天草丸  靖国刀「靖憲・靖繁  一貫斎国護・兼正

  軽量型木製木鞘 ( 無銘
・信吉・永弘・康春・行■ )  群水刀「群水兼宗」・造兵刀 

  柴田果・藤田永弘・野戦用革覆い
  受難の興亜一心刀 (附: 満鉄刀対談)  

  平成に蘇る九八式軍刀・津田越前守助廣   平成新軍刀試案・長光  末期・略式外装   異種軍刀・軍属刀   

                      昭和13年陸軍将校軍刀改正勅令


                      
2019年03月22日、  ページリニューアル                      

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