軍刀制定勅令(1) 軍刀総論0

軍 刀 制 定 勅 令 類 士 官 軍 刀 総 論

Imperial edicts of establishment for Gunto.

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陸 軍 武 官 服 制 規 定

陸軍は、明治8年11月24日、太政官布告第百七十四號の陸軍武官服制改正で正剣と軍刀を規定した。

   軍服 凡ソ軍服ト稱スルモノハ通常左ノ諸品ヲ含有ス
      軍帽、軍衣、軍袴 (ぐんこ=ずぼん)、軍刀、手套(てとう=手袋)、下襟 (かきん)
   刀劔 一、凡ソ制服或ハ軍服ヲ着スルトキハ必ス刀劔ヲ帶 (おび)ルヲ法トス   (以下略)

古来より刀剣は武器でありながら多様な使用目的を持っていた。
儀式用、日常用、戦闘用の各用途である。上古刀の伝世品にも、用途に依ると思われる外装の差別が確認される。
これらは儀礼・朝儀用の「儀仗」と、戦闘用の「兵仗」に大別されて外装様式の差となった。
平安時代には、朝儀用の細身の刀身まで製作された。
儀仗外装には飾太刀・螺鈿(らでん)太刀・蒔絵(まきえ)太刀・・・、兵仗外装は毛抜形太刀・兵庫鎖太刀・蛭巻(ひるまき)太刀・糸巻太刀・革巻太刀・藤巻太刀・・・などの様式が知られる。

近代軍組織に於ける軍刀の用途目的は、
  1.儀礼、2.指揮、3.戦闘用
である。時代、将兵の階級、国軍の思想に依ってこの三つの優先順位は違った。
儀礼と指揮は密接しているので「儀仗」と「兵仗」に大別できる。 

明治8年の太政官布告は、正剣と軍刀を「服制の一部」として明確にその意義を規定した。
正剣は外装の規定のみで剣身には全く触れていない。装飾目的だったからであろう。
 
白兵戦の伝統を持つフランス軍の指導を受けた陸軍は洋刀サーベルの型式を踏襲したものの、軍刀すら服制の一部と規定した。
イギリス海軍の指導を受けた海軍も同様である。
即ち、士官軍刀は「儀仗用」と認識していたと云える。
その為に服制の範疇の義務づけられた私的装備品であり、僅かに反りに触れるだけで刀身選択は士官の自由であった。

その後の西南戦争に於ける警視抜刀隊の奮戦で日本刀が見直されることになり、士官達は「儀仗」の刀身に盛んに日本刀を選択するようになった。
日清戦争(明治27〜8年)で白兵戦を経験して日本刀の信頼性が更に高まり、精神的な拠り所にもなっていった。
明治32年、三十二年式下士官刀が制定された。下士官軍刀はその後終戦迄常に「兵器=兵仗」の規定だった。

然し、日露戦争の白兵戦を経験した後も、将校軍刀の位置づけに変化は無く、昭和9年から昭和13年にかけて制定された新軍刀も終始「儀仗」の範疇として「服制の改正」で定められた。士官軍刀は法規上の「兵器」ではなかった。

士官軍刀の「制式」とは、外装の基本要件のみを規定したもので、外装部材の形状・模様・塗色などの細部実施については各外装会社の裁量幅が介在する規格であった。
従って、制式軍刀といえども、士官個人の趣向・製作会社・外装等級・時局などの要素が絡まって、刀身及び外装部材の選択肢が多伎に渡った結果、厳密には「同一の軍刀」といえる物が無い。
服制の士官軍刀を服制令外の「兵仗」に転換したのは、大戦末期に制定された陸軍の通称三式のみである。
これは外装に止まらず、刀身の制式化を目論んだ。
然し、軍の思惑とは異なり、多くの将校達は服制として存続した九八式外装を選択する傾向にあった。
士官軍刀への佩用者の認識が窺える。

The introduction of a Mounting and Meaning of a Guntō

 An officer's Guntō is "the individual general tools" defined by "regulation of a military uniform".
 The officer has chosen the blade freely. Therefore, a formal Guntō specifies a Mounting (Koshirae).
 The army determined the foundations of a Koshirae and two or more production companies manufactured the Koshirae respectively based on basic regulation. Therefore, Koshiraes differ delicately respectively to elements, such as
liking of an officer, an officer's financial ability, a difference in a production company, a grade of a Koshirae,
and the domestic situation. Strictly, there is no same thing in an officer's Guntō.
 The essence of an officer's Guntō is the sword of command at a field battle, the symbol of a status, and the sword of self-defense. The officer controlled his heart by carrying a Guntō. The Guntō was an officer's strong emotional attachment and was the important general tools under pretense of the heart of Bushidō.



抜刀して指揮を執る近衛師団の青年将校
九八式軍衣袴を着用しているが、軍刀は九四式か九八式かは不明
九八式制定後は九四式の第二佩鐶を外して使用していたので識別は困難である
The youth officer of the Imperial Guard Division(Konoe-shidan) which extracts a Guntō and performs command.
Although this officer is wearing military uniform of type 1938, It is unknown whether this Guntō is a Types 94(1934) or 98(1938).
After establishment of a Type 98, the officers who held the Type 94 removed and used the second Suspension mount of a Type 94. Therefore,
discernment of this Gunto is difficult.

( Photograph offer: Mr.Ronny Ronnqvist )

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制式勅令類 Adopted-types Imperial decree and notification ...................................... 

  大元帥新佩刀制定 Generalissimo new Guntō establishment

  陸軍将校用新軍刀制定 New Guntō establishment for military officers (Type 94)

  海軍士官用新軍刀制定 New Guntō establishment for naval officers (Type Tachi)

  大元帥佩刀・陸軍将校用軍刀改正 Guntō revision for Generalissimo and military officers (Type 98)

  陸軍新軍刀改正(三式) Army new Guntō revision (Type 3)   元帥刀制定 Marshal sword establishment

  九五式制定(準備中)


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