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五七の桐紋 皇室、室町幕府、豊臣政権など様々な政権で用いられた由緒 ある紋章。現在では日本国政府の紋章にも使われている。 この家紋の主、及びこれが刻印された意味は不明。 |
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丸に一引き紋 清和源氏流・新田義貞氏の他、舟橋氏、小高氏などで使用。 桃井春蔵家の家紋か。 |
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切先と中央部分 銘: 山城守藤原百國入道一虎 山城守藤原百国入道一虎は「山城大掾源国重」の晩年銘。 備中国水田派の始まりは古青江為次の末流達とも、室町時代後期に備後国より移住した国重が始まりと も言われるほどの名工。 山城大掾源良近国重は大月与五郎国重の弟で、正保二年(1646年)山城大掾を受領し、明和頃(764〜)、 江戸麻布に住した。 道銘を一虎と名乗り、十字槍、変槍の作者として知られている。 作州津山に於いても作刀した。 |
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太刀銘: 助重 「助重」銘の刀工は古刀期〜新刀期に複数人存在する。 目釘の位置から、この刀身は6.4p以上磨上げられていて、元の刃長は77.4p以上の太刀だった。 従って、古刀期で備前國吉岡一文字系の助重ではないかと推定される。 |
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茎、刀身の傷やヒケの状況から、実戦に使われた短刀と思われる。 |
表銘: 助光(すけみつ) 備州の何代目か不明 |
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上: 穂表 中: 刃の重ね 下: 穂裏 茎 表銘: 奥州會津住下塚為義 裏銘: 天保十五年交日(12月1日に弘化に改元されたので入れ替わる日という意味か) |
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鈴木音蔵(信道) 鈴木家々紋 廃藩置県の後、信道は桃井春蔵の関係 で大阪府堺市警察署の責任者に任じた と伝えられている。 生年と歿年は失伝。 |
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(明治19年11月10日〜昭和49年4月7日) |
鈴木定寛(さだひろ) 旧制津山中学校 戦後、全日空、朝日新聞社の社長を務め た美土路昌一氏と同窓。転居で空いた 津山市椿高下の定寛の自宅を美土路氏に 譲るという間柄だった。 ※シリーズ津山高校八十年の思い出(朝日新聞) に二人のエピソードが別々に紹介されている。 陸軍士官学校第十七期 陸軍歩兵大佐 少佐時代、関東軍参謀・河本大作大佐の 知己を得る。 ソ満国境・老虎山警備〜台湾掃討戦など に従事。・・・・・・・・・・・・・ |
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信道が個人所有した刀剣は100口前後 あったと伝えられている。 信道 → 定寛 → 一良(かずよし)の各々 の代で家族、親族、知人などにかなり の刀が贈与された。 現存する刀剣類の三口が(財)日本美術 刀剣保存協会へ鑑定に出された。 桃井春蔵が最も大切にしていた無銘 の太刀は「伝・大道」との鑑定だった。 |
鈴木正剛 鈴木一之 資料・刀剣類保管々理者 次世代継承者 |
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