武道 0

鏡 新 明 智 流・士 学 館 (2)

縁故の刀剣類


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鏡新明智流免許類


士学館が廃止された後、桃井家から相当数の書画や刀剣類が家外に流出した。財力が有った鈴木信道はこれを宜とせず、できる限り
の書画・刀剣類を買い集めた。
収蔵した桃井家縁故の品々の大半を然るべき処に納め、残りを個人所有とした。


士学館・桃井春蔵が最も大切にした太刀





無 銘
(財)日本美術刀剣保存協会 特別貴重刀剣(大道) の鑑定(昭和56年2月18日)




無銘、刃長: 二尺五寸四分(77p)、反り: 三分(0.9p)、大切先、刃文: 湾(のたれ)、目釘穴: 2



切先側と茎側半景




    桃井春蔵                     切先と中央部


太刀拵え





拵え全長: 三尺七寸六分(114p)、柄長: 九寸九分(30p)、鞘に螺鈿(らでん)の蒔絵(まきえ)









家紋刻印


    兜金頂部               佩表側の縁金     佩裏側の縁金              石突頂部


 五七の桐紋
 皇室、室町幕府、豊臣政権など様々な政権で用いられた由緒
 ある紋章。現在では日本国政府の紋章にも使われている。
 この家紋の主、及びこれが刻印された意味は不明。 
 

 丸に一引き紋
 清和源氏流・新田義貞氏の他、舟橋氏、小高氏などで使用。
 桃井春蔵家の家紋か。
上掲兜金頂部の五七の桐紋は天地が逆になっている。石突頂部の刻印も本来上にあるべきであろう。恐らく、紋章の刻印職人が江戸
期になって一般的となった「打ち刀拵え」の金具(柄頭(太刀では兜金)、鐺(こじり=太刀では石突))と勘違いして刻印したものと推量する。
「太刀拵え」の佩き方と「打ち刀拵え」の差し方では拵えの天地が逆になるからである。


1


銘: 山城守藤原百國入道一虎




刃長: 二尺四寸二分(73.3p)、反り: 四分(1.2p)、刃文: 湾(のたれ)、樋付き刀身、目釘穴 2ヶ



切先側、茎側半景


  
 

                  切先と中央部分



  銘: 山城守藤原百國入道一虎

  山城守藤原百国入道一虎は「山城大掾源国重」の晩年銘。  
  備中国水田派の始まりは古青江為次の末流達とも、室町時代後期に備後国より移住した国重が始まりと
  も言われるほどの名工。
  山城大掾源良近国重は大月与五郎国重の弟で、正保二年(1646年)山城大掾を受領し、明和頃(764〜)、
  江戸麻布に住した。
  道銘を一虎と名乗り、十字槍、変槍の作者として知られている。
  作州津山に於いても作刀した。
  


打ち刀拵え



この拵えには上質の「小柄」が装着されていたが、研ぎの仲介をした刀剣商が紛失させた
拵え全長: 三尺四寸四分(104.4p)、柄長: 八寸六分(26.0p)、





          小切羽               鍔の両面                小切羽




螺鈿細工で被服された鞘







3

太 刀

太刀銘: 助重
(財)日本美術刀剣保存協会 特別貴重刀剣 の認定(昭和56年2月18日)




磨上げ刀身 刃長: 二尺三寸四分五厘(71p)、反り: 五分(1.5p)、刃文: 湾(のたれ)、目釘穴: 3ヶ




切先側と茎側半景


   
   
 太刀銘: 助重
 「助重」銘の刀工は古刀期〜新刀期に複数人存在する。
  目釘の位置から、この刀身は6.4p以上磨上げられていて、元の刃長は77.4p以上の太刀だった。
  従って、古刀期で備前國吉岡一文字系の助重ではないかと推定される。






無銘




樋付き刀身  刃長: 二尺二寸六分五厘(68.3p)、反り: 七分(2.1p)、刃文: 直刃、目釘穴: 1ヶ




切先側と茎側半景


打ち刀拵え




拵え全長: 三尺一寸九分(96.6p)、柄長: 七寸四分(22.4p)、鐺(こじり)の斜め上部に「亀」の象眼


相当に使い込まれた刀で、目貫部分の柄糸が摩耗している







黒漆塗り鞘。鐺(こじり)の斜め上部に亀の象嵌



        柄頭                      差し表と裏の目貫



            縁表裏側面の象嵌              打刀拵えの一般的な鐺形状と異なり、太刀の石突風な鐺が
                                  付いている。その斜め上の亀の象嵌が珍しい   



4

短 刀 ( 鎧 通 し )
銘: 助光
(財)日本美術刀剣保存協会 貴重刀剣 の認定(昭和56年2月18日)








刃長: 七寸六分(23.0p)、反り: なし、乱刃、目釘穴: 一個



 
    


         茎、刀身の傷やヒケの状況から、実戦に使われた短刀と思われる。
 表銘: 助光(すけみつ)
 備州の何代目か不明


 




表銘: 奥州會津住下塚為義
裏銘:  天保十五年交日




槍表(上)と槍裏(下)

穂長: 三寸九分(12p)、身幅: 六分(1.8p)、重ね: 一分五厘(0.45p)、茎長: 九寸九分(28.5p)


 
 
             上: 穂表  中: 刃の重ね 下: 穂裏

 茎 表銘: 奥州會津住下塚為義
   裏銘: 天保十五年交日(12月1日に弘化に改元されたので入れ替わる日という意味か)


5


鈴木音蔵(信道)の系譜



   

 鈴木音蔵(
信道)

  
   鈴木家々紋

廃藩置県の後、信道は桃井春蔵の関係
で大阪府堺市警察署の責任者に任じた
と伝えられている。

生年と歿年は失伝。

  
  (明治19年11月10日〜昭和49年4月7日)
鈴木定寛(さだひろ)
旧制津山中学校
戦後、全日空、朝日新聞社の社長を務め
た美土路昌一氏と同窓。転居で空いた
津山市椿高下の定寛の自宅を美土路氏に
譲るという間柄だった。
シリーズ津山高校八十年の思い出(朝日新聞)
に二人のエピソードが別々に紹介されている。
陸軍士官学校第十七期
陸軍歩兵大佐
少佐時代、関東軍参謀・河本大作大佐の
知己を得る。
ソ満国境・老虎山警備〜台湾掃討戦など
に従事。・・・・・・・・・・・・・

  信道が個人所有した刀剣は100口前後
  あったと伝えられている。

  信道 → 定寛 → 一良(かずよし)の各々
  の代で家族、親族、知人などにかなり
  の刀が贈与された。
  
  現存する刀剣類の三口が(財)日本美術
  刀剣保存協会へ鑑定に出された。
  桃井春蔵が最も大切にしていた無銘
  の太刀は「伝・大道」との鑑定だった。

     
         鈴木正剛             鈴木一之
      資料・刀剣類保管々理者          次世代継承者



(掲載資料・刀剣類の提供元: 鈴木一良、鈴木正剛、鈴木一之)



鏡新明智流免許資料類



2019年2月10日開設
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