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陸軍搭乗員軍刀 (2) Army Crew Gunto (2)

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異種型 銘: 備洲長船祐光、備前國、寛文新刀、(刃長: 49.7p・ 反り: 1.5p)、特製革圧着木鞘、
尉官刀緒付 (全長: 71.5p)











手彫りされた木の鞘と柄に革が見事に圧着され、縁金具も江戸期に見 られるような象嵌高彫りが施されている。
極めて丁寧な外装である。歩兵科では少しでも長い軍刀を要求していたので、特定兵科での使用と思われる。
外装は明らかに制式の鉄鞘よりは高価な特注品で、制式以外を佩用するには相当な理由があった筈である。
革巻き木鞘の外装は軍刀を軽くする目的もあるが、周辺の機器を疵付けない為の配慮とも受け取れる。
そうであれば狭い居住空間での航空隊か戦車隊の可能性がある。
然し、それだけであれば、鉄鞘に野戦用革覆いを付けても解決できる話であり、場合に依っては制式に拘束されない「軍属刀」の考え
も捨てきれなかった。
但し、最初から尉官刀緒付きということで、この尉官刀緒は定寸用よりかなり短い。特定目的の短軍刀といえる。
将校軍刀は義務づけられた「私的装備品」だった。その為に、このような制式以外の外装も黙認されていた。
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異種型  無銘、美濃國・末古刀、 (刃長: 39.0p・ 反り: 0.9p)、革巻の柄と木鞘 (全長: 60.0p)




上の高級皮圧着外装と同じ吊鐶が使用されており、端出鍔も型打ち品である点に注意。このことは金具の量産があったことを意味して
いる。狭い居住空間及びその出入りの邪魔に成らないように鍔も小さくしたと見るのが妥当である。
通常、この長さの脇差しだと、もう少し大きな鍔が付く筈である。航空隊又は戦車隊用途と推測する。
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短刀「細川忠正」 Knife "Hosokawa Tadamasa"

銘: 細川忠正
、下総國・元治新々刀、 (刃長: 25.7p・ 反り無し)、革巻外装、紐付
守り刀兼自決用 (全長: 41.0p)

Mei: Hosokawa Tadamasa, Shin shin-tō, Blade length: 25.7p, Curvature: non,
Brown-leather covered mounting, For sword for self-defense and suicide use.
With the round string., Overall length: 41.0p





    黄色の紐は首に吊す為のもの。航空隊搭乗員、戦車隊搭乗員の守護刀兼自決用ではないだろうか。
    孤島などに不時着した飛行搭乗員にとって、生存する為の道具として、短刀は色々な面で有用であったという。

A yellow string is a thing for hanging on a head. Isn't it the sword for self-defense and the object for suicide of a flying corps crew and a tank corps crew? It is said that the knife was useful in respect of being various as a tool for surviving for the crew who crash-landed on the solitary island etc.

(上掲三景: 松原聡氏 所蔵)



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異種型 無銘、特注全革覆い外装、尉官刀緒付  (全長: 81.0p)

Different variety type All-Leather-covered mounting, With the tassel for company officers,
Overall length: 81.0p





(丸谷護氏 所蔵)

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栗原恭一中尉(前列飛行服姿)は、常陸(ひたち)教導飛行師団教官勤務中の昭和19年11月6日、特別攻撃隊八紘第二隊一宇隊々長を拝命した。11月10日、比島へ向け出発の直前、同師団付の陸軍航空士官学校第56期の同期生との記念写真。
栗原中尉は短寸軍刀を持っている。見送る側の同期生も、5名がこの後間もなく戦没した。

First Lieutenant Kyoichi Kurihara (front row flying suit figure) who was an instructor of the Hitachi guide flight
army division was appointed as the captain of Special-Attack Party Hakkō-Second Party Ichiu-Unit on November 6, 1944.
This photograph is a commemorative photo with the classmate of the 56th term of Military Flying Academy with the same army division, and just before he leaves to the Philippines island on November 10.
First Lieutenant Kurihara has a short Guntō.
For the near classmate who sees off, five persons were soon killed in war after this.
 

陸軍特攻・八紘第二隊一宇隊
 
写真の右から三人目が隊長・栗原中尉。(吉田誠様より栗原中尉戦死経緯のご助言を頂戴した)
大正11年7月3日生、福岡県糸島郡前原町出身。陸軍航空士官学校第56期。昭和19年11月23日、比島ミンドロ島付近において未帰還。戦死と認定される。
Army Special-Attack Party Hakkō-Second Party Ichiu-Unit From the right to the third person, First Lieutenant captain Kurihara has a short Gunto.
(栗原恭一中尉写真: 陸軍飛行第244戦隊HP櫻井隆様ご提供) 


2013年11月22日より(旧サイトから移転)

※ 更新: 2019年10月20日、 ページリニューアル
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