搭乗員軍刀 (4)0

特 攻 隊 用 短 刀  Kamikaze Knife

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附: 「栗田艦隊謎の反転」の真相

海 軍 特 攻 短 刀 授 与





人間魚雷「回天」出陣式に於ける特攻隊員への短刀授与 (多聞隊・山口県平生基地)

 連合艦隊司令長官からの短刀を受け取る水井淑夫少尉。出撃隊員全員に授与された。
 左下、三宝の上には出撃隊員数分の短刀(刀袋入り)が乗っている。既に授与された右端の隊員は、左手に短刀を押し頂いている。
 多聞隊は昭和20年7月18日、伊号第58潜水艦にて6名が出撃、8月10日、沖縄海域で散華。
 陸・海軍航空特攻隊員への短刀授与の記録や写真が無い。
 陸軍も特攻隊用短刀を準備していた事実が分かったが、終戦迄に授与されたかどうかは不明。

 Knife conferment to the kamikaze pilot in a human bomb "Kaiten" kickoff ceremony.
 Second Lieutenant Yoshio Mizui who receives the knife from a combined fleet commander in chief. The knife was awarded to all the members' air mission members.
 The member of the already granted right end has held up the knife to the left hand.
 In the Tamon party, on July 18, Showa 20, six persons sortied by I-58 submarine.
 And all the members were killed in war in the Okinawa ocean space on August 10.
 There are no record and photograph of the knife conferment to an army or a navy aviation kamikaze pilot.
 Although the fact of having prepared the knife for suicide attack units also understood the army, it is unknown whether it was awarded by the end of the war.





陸 軍 特 攻 短 刀


刀身は陸軍省から白鞘仕込みの為に送付されたもの







この特攻隊用短刀身は、東京・秋葉原に在った「陸海軍御用鞘師(佐官待遇)の処に軍未納品として残っていた刀身である。
陸軍省から300本の刀身が届いたが、空襲の危険を避ける為にこれらの短刀は疎開先に移動されていて焼失
を免れた(鞘師の家は全焼)。
白鞘の作成が間に合わず終戦を迎えて軍未納となった。
白鞘と刀身茎に「ホ八」と印されている。
手作り刀身である為、一振り毎に出来が違うので、茎と白鞘に識別記号を付けた。
仙台の振武刀製作会社でも「特攻隊用振武刀短刀身」が造られていた。

ハバキは木製。
特攻隊用自決短刀は「朴の木の白鞘」が正式。
刀袋に入れて特攻隊員に授与された。

海軍「回天」特攻隊員への授与は、当時の写真等でも明らかだが、陸・海航空特攻隊員への授与は確認できていない。
陸軍も「特攻隊用短刀」を準備していた事は新たな発見である。陸軍航空特攻向け限定かどうかは不明。
本土決戦準備として各種特攻を想定していたのであろうか。

尚、本掲載の外装は、同鞘師が、戦後に上塗を前提に製作した下地鞘で、材質が異なり表面仕上げが若干
粗雑な物となっている。
正規品はこの外装形状で朴の木の丁寧な造りであったとして見て戴きたい。



(荻野氏の調査報告)

1



第三航空艦隊司令長官・小沢治三郎中将が配布した短刀












  
  鞘書き  「 贈  義烈  小沢治三郎


    

 第三航空艦隊参謀・深井俊之助海軍少佐の証言により、真正のものであることが判明した



 「J SHIPS 2009. Vol 35」誌上に掲載された小沢治三郎海軍中将が
 下賜した短刀。

 昭和19年、捷一号作戦発動を控え、この作戦で第三機動艦隊を率いる
 小沢海軍中将から深井俊之助少佐に手渡された短刀。

 決死の覚悟を促す為に、艦隊司令部要員全員に下賜された。
 「義烈」の文字が当時の将兵の覚悟を物語る。

2

第三航空艦隊参謀・深井俊之助少佐の証言



J SHIPS 2009. Vol 35
 第三航空艦隊参謀・深井俊之助海軍少佐は、「沈黙の海軍」の慣習を超えて
 極めて貴重な証言を「J SHIPS 2009. Vol 35」誌上で公開された。

「魂のサイレント・ネイビー 第十三回」より

「栗田艦隊謎の反転」の真相

 捷一号作戦(レイテに集結した敵輸送船団の撃滅作戦)で、小沢機動艦隊が敵の空母
 部隊を北に尾曳寄せたにも拘わらず、栗田健男中将指揮の第一遊撃部隊(通称:栗田
 艦隊)はレイテへの突入を放棄して北に反転した。
 これが「栗田艦隊謎の反転」問題である。

 栗田中将は、戦後、この真相をほとんど語っていない。
 その為に、戦史研究家の間で諸説が論議されていた。
 栗田艦隊司令部と同じ(戦艦「大和」の)第一艦橋に居た深井俊之助少佐は、その時
 の情況を次のように語られた。

 (栗田中将が座乗する旗艦の重巡「愛宕」がレイテ沖海戦で沈没した為、艦隊司令部
 要員は予備の旗艦に指定されていた戦艦「大和」に移乗する事態に陥っていた)

 私が栗田長官や第一戦隊司令官・宇垣纏中将とのやりとりを目撃したのは、まさに艦隊が「転進」して北を目指し始めた頃でし
た。「大和」で私が砲撃の指揮を執っていた副砲射撃指揮所は艦橋の上層にあったのですが、艦橋の方がなにやら騒がしかったので、下に降りていきました。
 何とも異様な空気が漂っておりました。
 
栗田長官、宇垣司令官、そして「大和」の艦長が三人して船の進む方をじっと見ておりましてね。
 宇垣長官はプリプリ怒っており、皆んなに聞こえるように「南に行くんだろ ? 」と繰り返していました。
 南というのはレイテ湾の方向です。
 けれども、栗田長官は知らぬ顔。艦長もどうしたらいいのか分からない様子で、前を見たまま一言も発せずにいました。
 当然レイテ湾に突入するとばかり思っていました私は、さすがに怪訝に思いましたから、後ろの方におりました参謀連中・・・
栗田長官と一緒に「愛宕」から移ってきた参謀達です・・・に「おかしいじゃないか」、「どういうことだ ? 」と問い詰めました
 すると参謀の一人が「電報」を私に見せて、「この電報にある敵の大部隊を攻めに行くんだ」と言うんです。
 電報によれば、その敵大部隊というのは「大和」から90マイルも北にいるというのですが、ただでさえ傷ついて速力の遅くなった
(我が)艦隊が追いつけるわけがない。
 第一、この数時間前、敵の護衛空母を正規空母と誤認して攻撃し、速力の速い(敵の)正規空母に追いつけるはずがないと追撃を中
止したばかりです(サマール島沖海戦)。
 それなのに、今になって兵力も判然としない敵を、追いつけもしないのに攻めにいくんだなんて、まったくおかしな命令です。
 そもそもこの電報というのが怪しいものでした。

 実は「大和」ではそんな電報を受け取っておりません。
 後で調べてみると、発信者の記録もどこにもない。他に何隻も(日本の)海軍艦艇が同じ海域におりましたけれども、受けたのは
(栗田)司令部だけ。何も遮蔽物のない海上で、ただ(栗田)司令部だけに届く電信などあるわけがありません。
 今になって言っても詮無いことですが、敵のフィリッピン上陸を少しでも遅らせることができていれば、日本が講和を準備する為
の時間がかせげたかも知れませんし、何より、レイテ湾突入という目的の為だけに、多くの犠牲を払いながら数日にわたって苦しい
戦いを続けてきたのではなかったか・・・・・。

 レイテ湾沖の「大和」艦橋で起こったことは、私は今まで語らないできました。
 「黙して語らず」が海軍の伝統ですし、死者を咎(とが)めることも気が引けていたからです。
 しかし、このまま真実が明かされることもなく埋もれてしまっては、日本の未来につながりません。
 事実を事実として正しく伝えていくことは、日本が二度と失敗しない為に大切なことではないでしょうか。
 海軍らしくも、武人らしくもないことかもしれませんが、少しでも私の証言をお聞き留めいただけたとすれば、思い残すことはあ
りません。  ( )は筆者注


 栗田艦隊参謀の捏(ねつ)造電報に基づいて、レイテ湾を目前にしながら栗田艦隊は反転帰投したという証言である。

 栗田艦隊をレイテ湾に突入させる為、小沢艦隊が自ら囮となって敵機動部隊を北に尾曳寄せた決死の努力も、このレイテ突入作戦
を成功させる為に誕生した神風(しんぷう)特別攻撃隊の尊い犠牲も、栗田艦隊の反転によって全て水泡に帰した。
 艦隊参謀が何故このような偽情報を捏(ねつ)造したのか、新たな問題を提起することになる。
 ただ、偽電報の問題があったにせよ、もっと根本的な「海軍の体質」に原因を求めることができるように思われる(以下の記述)。


戦 略 無 き 海 軍 体 質

捷一号作戦の目的は、レイテ湾に集結した敵輸送船団を撃破して、米軍のフィリッピン上陸を阻止することにあった。
例え、敵・機動部隊の発見情報を得たとしても、何故、所期の作戦目的を放棄して、反転してまでその敵を追おうとしたのか。
直前のサマール島沖海戦で、敵・護衛空母艦隊の巧妙な煙幕と、追撃速力も遅い為、追撃を中止した経緯がある。(深井少佐も証言)
例え追撃できても、空母を伴わない水上艦艇の命運は決まっていた。現に、巨艦「武蔵」、重巡「愛宕」・「摩耶」を失っていた。
それにも拘わらず、進撃路の反対に出現(正体不明電報)した敵・機動部隊を再び追う為に反転したというのは実に不可解な話である。
ここに、帝国海軍の根本的体質が作用していたように思われる。
即ち、「日本海々戦」の勝利以来、「艦隊決戦」こそが海軍の作戦対象という考えが支配していたと見做される。
捷一号作戦の「戦略」は、米軍のフィリッピン上陸の阻止である。その目的を達成する為の手段が「戦術」である。
小沢機動艦隊の囮(おとり)作戦も、「神風特攻」の発動も、レイテ湾に集結している敵の上陸部隊(輸送船団)の撃滅を栗田艦隊に遂行させる為の「戦術」であった。

軍令部も栗田長官やその参謀達も「戦略」と「戦術」の区別が出来ていなかった。いや、「戦略」という認識が著しく危弱だった。
その証拠に、栗田艦隊側は「敵艦隊と遭遇した場合は、輸送船団撃滅と艦隊撃滅とのどちらを優先するか」を軍令部に質した。
軍令部は、結局のところ、栗田艦隊側の「艦隊攻撃を優先する」との方針を是認してしまった。
この時点でレイテ湾突入の戦略目的は極めて曖昧になってしまった。問題は既に萌芽していた。
レイテ湾突入は時間の争いだった。
敵の護衛空母群を正規空母と勘違いして、これの追撃に余分な時間を費やしたサマール島沖海戦は、曖昧な戦略の一つの顕れだった。
第三機動部隊の小沢中将は、本作戦が乾坤一擲(けんこんいってき)の最終作戦と認識していたので、決死の覚悟を促す為に「義烈」の短刀を艦隊司令部要員に配っていた。栗田長官の過去の行動に不信感を抱いていた節がある。
不安は適中した。栗田艦隊は「敵機動部隊発見(正体不明の電報)」を根拠として、その追撃を理由に反転してしまった。
既に彼我の戦力比は絶望的だった。栗田水上艦艇が、敵・空母機動部隊を相手に「艦隊決戦」などは幻であったにも拘わらずである。
栗田艦隊のレイテ湾突入を成功させる為に、小沢機動艦隊、西村艦隊、神風特攻隊が捨て身の作戦を遂行している最中であった。
この為に、神風特攻隊は勿論のこと、虎の子の小沢・空母機動艦隊は壊滅し、レイテ湾に突入した西村艦隊は全滅した。
軍令部も栗田艦隊側も、課せられた「戦略」が解っていれば、こうした無意味な反転は出来なかった筈である。

「既に突入時期を逸していた、突入すれば帰りの燃料が無くなる、艦隊を温存して次の戦いに備えるべき、敵・味方の情報把握の不
備、戦力消耗の状況から転進はやむなし・・・等」という栗田艦隊の反転を正当化する見解が多々あることを筆者も承知している。
然し、特攻まで発動せざるを得ない絶望的な戦況を見れば、この期に及んで艦隊を温存することに何の意味があったのだろうか。
栗田艦隊は敵・機動部隊追撃を理由に反転したのである。何よりも、艦隊の温存と敵・空母機動部隊の追撃は全く矛盾している。
敵・機動部隊と交戦すれば、全滅の公算が大であることを直前の海戦で解っていた筈である。
例え、残存艦隊を内地に温存しても、既に、艦艇を動かす燃料も無い状況だった。その後の内地の艦艇は「海上砲台」と化した。
レイテ突入か、艦隊決戦か・・・同じ全滅の運命を辿るなら「どちらが効果的か」の選択肢に迷いを生じることは無かったろう。
ところが、「艦隊決戦」こそが海軍の本命であり、輸送船の撃破などをしても海軍の誇りにならない(武士の恥)という意識が根底に
働いたのではなかろうかと思える。
これは、開戦劈頭の真珠湾攻撃でも感じる事で、「戦略上」で重要な港湾施設、油槽施設などの攻撃が軽んじられ、戦闘艦の破壊の
みに攻撃が集中していたことからも窺える。
連合艦隊の運用で「戦術はあっても戦略が無かった」と言われる所以(ゆえん)である。
Uボートや小型戦艦などによる徹底した通商(兵員と物資の移動)破壊作戦を展開したドイツ海軍とは対照的であった。
日本自体が、米軍の通商破壊作戦によって、南方からの戦略物資や油の輸入を絶たれ、早期に継戦能力を失ったことを考えると、
「戦略無き戦い」の限界を感じざるを得ない。

栗田艦隊反転の真相は「正体不明の電報」が一つの契機になったとしても、それが根本原因とは考え難い。
例え敵艦隊発見の情報が入っても、その敵は進撃路の真反対である。その敵から攻撃を受けている訳でもない。
例え反転追撃しても、傷ついた「大和」以下の栗田艦隊は、敵の高速機動部隊の半分の速力に落ちている。追いつける筈もない。
その為に、直前のサマール島沖海戦では追撃を諦めた。既述した通り、例え追撃出来ても栗田艦隊の壊滅は免れない。
戦略的役割を栗田艦隊が充分に認識していれば、全滅覚悟で目前のレイテ湾に突入すべきであった。
正体不明の電報に惑わされたのも、艦隊決戦に固執する海軍の体質から導かれた必然の結果だったように思えてならない。
「艦隊決戦」なら反転しても大義名分が成り立つ。この思想こそが問題であった。
反転に伴う多くの矛盾を勘案すれば、酷なようだが、「正体不明の電報」が敵前逃亡に巧みに利用されたとみられても仕方がない。
栗田艦隊の反転は決して「謎」ではなく、帝国海軍の体質が成さしめた当然の結果であったと推量する。


(小沢中将配布短刀:森田銀月氏所蔵。J SHIPS 2009. Vol 35 誌提供も同じ)


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