搭乗員軍刀 目次0

搭 乗 員 軍 刀

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ラバウルの魔王 西澤廣義海軍飛行兵曹長


昭和12年制定海軍制式軍刀を突いて立つ西澤廣義飛行兵曹長。飛曹長の昇任記念に撮影
身長178pの長身にして白皙(はくせき)の美青年
(写真提供: 「最強撃墜王―零戦トップエース西澤廣義の生涯」の著者・武田信行 様)

西澤廣義 {大正9年(1920)1月27日 - 昭和19年(1944)10月26日}
長野県上水内郡小川村出身。
昭和11年(1936)6月、横須賀航空隊の乙種飛行予科練習生第7期を拝命、海軍四等航空兵に任官。昭和13年(1938年)8月、霞ケ浦航空隊付。 昭和14年(1939)操縦練習生課程修了。同年3月〜、大分海軍航空隊にて支那事変の撃墜王・武藤金義一空曹から九五式艦上戦闘機と九六式艦上戦闘機 で航空戦闘の教導を受ける。
昭和16年(1941)10月1日、千歳海軍航空隊の戦闘機隊(千歳)に配属。日米開戦に備えて九六式艦戦の錬成に励む。

昭和17年(1942)1月25日、水上機部隊のニューブリテン島ラバウル地区進出を皮切りに、陸・海軍の戦闘、爆撃、偵察、水上各航空隊が次々にラバウルに集結して南海の一大航空拠点となった。作戦上、西にあるニューギニア島のラエ基地にも進出したが、各隊の本
部がラバウルに在ったので、陸・海軍の航空隊を総称して 「ラバウル航空隊」と言う。

千歳空の分遣隊はサイパン、ルオットと移動し、水上機部隊に続いて1月31日、空母「瑞鶴」・「翔鶴」に積載された九六式艦戦がラバウルに到着した。搭乗員は岡本晴年大尉、吉野二飛曹、西澤二飛曹、石川二飛曹たちだった。
ラバウル到着後直ぐの2月3日夜、西澤二飛曹は九六式艦戦で豪空軍のカタリナ飛行艇を迎撃して初めての撃墜を報告した。
2月10日 千歳空は第四航空隊(四空)に編入された。
2月24日から、ニューギニア島東南部のポートモレスビー方面に進出して来た米・英・豪の連合国航空部隊との戦闘が開始される。

 
 
 
ニューブリテン島ガゼル半島東側シンプソン湾
を臨む。湾の右奥がラバウル市街
ニューギニア島の右が
ラバウルが在るニューブリテン島
ガゼル半島東端の噴煙を上げる活火山(花吹山)
周辺の各飛行場は火山灰に悩まされた

昭和17年4月16日、支那事変での実戦経験を積んだ台南海軍航空隊(台南空)がラバウルに到着した。同時に、特設空母から真新しい零
式艦上戦闘機が陸揚げされ、西澤の四空は台南空に編入された。西澤は太田敏夫二飛曹と共に坂井三郎一飛曹の列機となった。
緒戦期の海軍戦闘機隊は練度が高く、連合国航空隊との損害率比較では 15 対 1 という圧倒的に有利な戦いを展開し「向かう処敵無
し」という状況だった。この戦いの中で、西澤を初め多くの撃墜王と呼ばれる搭乗員が誕生した。

      
火山灰が舞うラバウル海軍航空基地
列線に並ぶ零戦二一型




西澤が搭乗する飴色塗装の零戦二二型
編隊離陸する飴色塗装の零戦二一又は二二型
車輪カバー無しで緊急出撃する零戦二一型




離陸する迷彩塗装の零戦二二型
ガ島攻撃の一式陸上攻撃機を護衛する零戦
被弾しながら無事に帰投した零戦五二型

昭和17年(1942)8月7日、日本軍が進駐していたガダルカナル島に米・大軍団が押し寄せて来た。ソロモン方面からの米軍の本格的反
攻が開始された。このガ島を巡る陸・海の熾烈な戦いは航空消耗戦の始まりだった。
ラバウル航空隊 は往復2000kmの長距離飛行の進攻作戦を強いられた。攻撃隊は速度の遅い陸攻隊に合わせて往復五時間以上も掛かり、零戦隊は燃料の関係でガ島上空の戦闘時間は15分しか取れなかった。
日本側は被弾に弱い機体と激しい疲労で、貴重な熟練搭乗員と機体を次々と失っていった。
11月1日、台南空は第251海軍航空隊と改称。部隊損耗が大きく、再建の為に豊橋に帰還。生還搭乗員は西沢を含め十数名だった。
12月18日、陸軍の戦闘機部隊の第一陣(一式戦闘機「隼」57機を装備する飛行第11戦隊)が漸くラバウルに到着した。

昭和18年(1943)に入り、米英新型航空機が順次登場して攻防が益々激化する中の5月10日、西澤はラバウルに再進出した。
米英軍の物量はすさまじく、その後に増強された陸軍航空隊や海軍251空も再び消耗を強いられて行った。
9月1日、西澤は第253航空隊に転属。同月、航空艦隊司令長官草鹿任一より100機撃墜記念の感状と「武功抜群」と書かれたのし紙に
巻かれた白鞘の軍刀が西澤に授与された。
10月、西澤は内地に帰還。ラバウル離任時に飛行隊長兼司令の岡本晴年大尉に「86機撃墜」と語っている。
10月から激化した連合軍の空襲により空前の大規模迎撃戦が開始され、ラバウルは戦闘機隊を中心とする迎撃基地となった。
11月1日、西澤は飛行兵曹長(准士官)に進級し、大分海軍航空隊の教官を務める。

昭和19年(1944)3月1日、西澤は第203航空隊(厚木)に配属。7月10日、203空戦闘第303飛行隊に転属。北千島方面の防衛にあたる。
西澤は9月下旬、第一航空艦隊からの要請で第201航空隊の司令部がある比島マバラカット基地行きを命じられ、10月に列機三機を率
いて台湾の台南空(二代)経由でマバラカット基地に到着した。

西澤廣義の悲劇
10月25日、西澤飛曹長が率いる小隊は関行男大尉を指揮官とする神風特別攻撃隊「敷島隊」の直掩任務を命じられた。


25日、出撃する神風特別攻撃隊「敷島隊」。手前左は関大尉の乗機
後方は特攻機と直掩機の一部。この中に西澤飛曹長も居た

西澤は直掩という制限の中で、「敷島隊」の迎撃に向かって来た敵のグラマンF6F二機を撃墜して特攻機の進路を切り開き、特攻機の敵艦体当たりを見届けた。正午頃、西澤飛曹長達三人が、戦場から近いセブ基地に帰投した。これが西澤達の命運を決めた。 
西澤達は、乗機を降りると直ちにラバウル以来の上司である201空飛行長の中島正少佐に「敷島隊」の戦果を報告した。
元々、特攻推進者の中島は我が意を得たりとばかりに第一航空艦隊司令部に緊急電を発した。
そして翌日、こともあろうに西澤達熟錬搭乗員の乗機を特攻機に廻す為取り上げてしまった。そして西澤達を丸腰の輸送機に便乗さ
せてマバラカット基地に返した。制空権も満足にない劣勢な日本軍にとって、熟錬搭乗員達は何にも代え難い貴重な戦力だった。
その彼等を無防備で危険な輸送機に乗せて原隊に返すとは ? 特攻を推進する中島にはその是非の判断すら出来なかった。
海兵58期出身の中島は、満足な飛行戦闘経験が無いにも拘わらず、部下に戦闘講義をすることを趣味にしているような男で、日常指
示する作戦内容も「航空戦を知らない男」として部下の搭乗員からは疎(うと)まれていた。
自らの判断ミスで201空セブ基地の戦闘機隊を壊滅させるという重大な「セブ事件」も起こしていた。

西澤たちが便乗した
輸送機がミンドロ島北端上空にさしかかったところで、危惧された通り米・グラマンF6Fの攻撃を受け、成す術も
なく輸送機は撃墜され、西澤は24歳10ヶ月の短い人生を敢えなく閉じた。
もし彼等が零戦に搭乗していたら、F6Fなど蹴散らしていたに違いないし、仮に、空戦で被弾して墜落するのであれば諦(あきら)めのつ
く死であったに違いない。戦うことも出来ない彼等終焉の無念さは如何ばかりであったろうか。
西澤達は敵にではなく味方の無能な上官に殺されたも同然だった。

西澤廣義の偉業
昭和20年(1945)8月15日の終戦時、連合艦隊告示172号で、「戦闘機隊の中堅幹部として終始勇戦敢闘し敵機に対する協同戦果429機撃
墜、49機撃破、内単独36機撃墜2機撃破の稀に見る赫々たる武勲を奉し」と全軍に布告された。
この他、家族への手紙に記載された撃墜数は143機、戦死時の新聞報道に記載された撃墜数は150機とされている。
戦後、米軍は国防総省とスミソニアン博物館に杉田庄一と並んで西澤廣義の肖像を飾り、同じ軍人として卓越した日本の戦闘機パイ
ロットに敬意を顕してくれている。



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搭 乗 員 軍 刀 に つ い て

制式軍刀の規定に「搭乗員軍刀」という規定は無い。制式軍刀は、陸・海軍共に定寸を基本としていた。
「定寸」とは刀身62〜3p、外装全長100p前後を指す。江戸時代の打刀を模範としている。
然し、現実にはかなりの短寸外装軍刀が存在した。短寸外装には二つの理由が考えられる。

   1. 選択した刀身が止むを得ず短い為に外装も短くなった。
   2. 意図的に短い刀身と短い外装をを選択した。

短寸外装は佩用した場合の見栄えが良くない。その為に、体面を重んじる軍人は、例え刀身が短くても定寸外装を選択している。
従って1.のケースは希である。
2.のケースは、定寸軍刀が不都合な為に明確な意図により調製されたものである。
これらの短寸軍刀を必然とするのは、戦闘居住空間に制約を受ける兵科である。即ち、飛行、戦車、潜水艦等の搭乗員達である。
このことから、短寸軍刀は通称「搭乗員軍刀」と呼ばれるようになった。然し、搭乗員達が必ずしも短寸軍刀を選んだ訳ではない。
残存写真でも解るように、大多数の搭乗者達は定寸軍刀を佩用していた。
搭乗員軍刀は兵種の特殊性から生まれた特注軍刀という事ができる。
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         陸軍搭乗員軍刀  陸軍搭乗員軍刀(2)  海軍:無銘・寿次(零戦飛翔写真)  

         
特攻短刀 ・小沢治三郎海軍中将配布の短刀 (附: 栗田艦隊謎の反転の真相)


                    ※ 
更新: 2019年10月19日、目次追加(西澤廣義) ※ ページ改変
 
2013年11月22日より(旧サイトから移転)
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