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野田少尉の実家の写真立ての野田、向井 両少尉の写真と野田少尉自筆の説明文 |
支那事変中の昭和12年、東京日日新聞(現毎日新聞)に掲載された浅
海一男従軍記者による第16 師団歩兵第9連隊第3大隊(富山大隊)の若い将校である大隊副官・野田毅少尉と歩兵砲小隊長・ 向井敏明少尉の戦意昂揚を目的とした「百人斬り競争」の記事が元になって、戦後二人は中国 に召還され、抗弁も許されず銃殺刑になった。 「これは記者の創作記事であるから真実を話してくれ」という両将校の懇請を浅海記者及び毎 日新聞は無視した。 戦後、朝日新聞の本多勝一記者が更に追い打ちをかけて「百人斬り競争は真実」との本を出版 し続けた。 ご遺族は塗炭の苦しみを強いられ、高齢となられた為に最後の名誉回復を求めて、朝日、毎日 両新聞社と本多勝一氏及び出版社を相手に「冤罪訴訟」を起こされた。 この裁判の元々の争点は、記者が記事を創作したか、両少尉の話をきっかけにしたかという点 にあり、百人斬りの虚実審理では無いという大変微妙な裁判だった。 地裁→高裁→最高裁判所と争われたが原告敗訴に終わった。 |
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